そのような話を、ライフオーガナイザー®︎や、インテリアコーディネーターではない、異業種のフリーカメラマンの方としました。
彼女からは、仕事柄、写真に関して
「誰からも素晴らしいと賞賛される撮影は、プロでなくても、存在する。けれども、偶然そのような結果になって評価を受けられることも、往々にしてある。偶然出来上がったものをもって、プロとは言えない。
プロは
何度、同じことをやらせても、再現性がある
ということだと思っているの」
と。
彼女は、大変研究熱心で、好きなことを追求したその先に、フリーのカメラマンとして多くの仕事をこなし、昨年自分の仕事のスタンスを、敢えて見直す時間をゆっくりとり、新たな挑戦に向かうことに。
変わらないことは、
好きでしたことが支持されたなら仕事にし、
支持されるために、仕事はしない
ということです。
華やかなサラリーマン時代を経て、全く異なる過酷な仕事を、フリー、として選んだのは
彼女が自分で決めた、このような信念です。
決めた自分に責任が持てればそれで良いという 潔い考え方です。
私が、彼女と知り合った時は、被写体とカメラマンでした。
その後、何度かやり取りをし
ファインダーから覗く私の姿とは、異なる私を感じた日を境に、彼女は、
根っこの部分に自分と類似した想いがある
と見抜いてくれ、以来、色々な話を楽しく重ねられるようになりました。
どの職種の世界にも、自分よりはるかに腕のいいプロが山のようにいる
その謙虚さと、ひとりのプロの自覚から
彼女は、社会的に注目される仕事もしていますが、あえて前面に出さず
目立つことより、自分にしかできないスタイルの追求と、身の丈にあった自分の価値を常に心して、仕事に臨んでいます。
自分の価値は、自分でしっかり見出し、
好きなことが、社会の誰かに喜んでいただけることが仕事に繋がる、それ以上の喜びはない
自分にできることが、社会の何に活かせるのか、二人とも、仕事を通じて、誰かの笑顔に繋がることがしたい
単純明快なその一つに
さらに何ができるだろう…
常に考えながら、
求められるニーズにベストを尽くすことに向かおう、そのように、心地よく話を結びました。
心許せる友人との時間は、
心地いい余韻
という、見えない贈り物
を贈られた気持ちになります

