
神聖な場所では、一筆していただくことにしています。


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つい可愛らしい御守りを、意味あるものとして買ってしまうこと。
衝動買いに近い、それでも、素通りできず、
陳列された品々を手にする毎回から、
その日の瞬間を、その場でしっかり愉しむこと
(あっ、冷静装いながら、全身こわばっています💦安全な場所ですが、緩やかな水の流れに見入り、身体がグラグラ、落ちる危惧。ですので、脚を踏ん張って立つ自分を自覚


そして
小物を買わない心がけ、御朱印に総て心を託す事
ある時から、御朱印に記していただくことに切り替えました。
自分の習慣、好きなこと、
これらは、捨てられず、増え続けるものと化。
どんなに、愛らしく意味あるものでも、全てを持ち歩けるものではない。
結果的にコレクション同様になってしまうこと
御朱印帳に切り替えることは
●この代替え案で、私には意味を成すこと
●心地よくサイズの整ったお帳面を整理する楽さ
●手放せない品を一つでも減らせること
小さな心がけの見直しは
心を整え、ものを増やさない家庭の空間の心地よさに繋がり始めました

また、御朱印は、筆を走らせて下さる方により、書体が全く異なるものですね。
今回は、素人の私では、読めないほど素晴らしい筆使い、惚れ惚れとしてしまいました。
訪れた地では、いつからか、
体力的に遠出が難しくなった両親に、健康を祈り、2人が訪れた気持ちになるようにと、御朱印を、私とは別にもう一枚お願いする常。
この場合、書き置きされたものに日付を書いてくださることが一般的ですが、
今回、お帳面に書いてくださった方の文字が、あまりに素晴らしかったので、無理なお願いをしたところ
快く、一枚、その場で描いてくださいました。
元号の令和元年に目が留まり、静かな佇まいの中
新しい元号を迎えたことを、文字に感じる想いでした。
先日、元号を新たにしたことに、楽しい企画も目に、大笑いしながら遊んでもみました…
こちらも、確かに、心新たにする意識が湧きました



けれども、
静かに心整えて描いていただいた文字から伝わるものは、
愉しさに終わらず、
これからの頼もしさを覚える気持ちが、自ずと湧いてくること
両者、趣の違いから比較はできかねますね

両親に御朱印をいただき始めて長いのですが、
『誰かのためにいただく御朱印は、お土産ではなく、お相手の事情で代わりにいただくということです』
と以前、ご指導受けたことがありました。その意を心して、毎回両親に一枚いただき続けていますが
【整えること】を誰に習うでなく、当たり前として整える母。都度、ゆっくり、丁寧に、御朱印帳に貼って、私にお礼を伝えてまいります。
どんなに忙しくても、目の前にある一つのことを
明日回しにしないで片をつける

これは、私の記憶にある長年の母の習慣です。
未だ娘として、学び続けている母の所作の一つ

『お片づけがお仕事になるとしても、ライセンスがあってこそね、歳が許せば自分も共に働けたかしら』
と、笑う母が、私のこれからの道へと、背中も推してくれ、それは、心の大きな支えでもあります🕊
いくつになっても、母の言葉は、誰より大きな自信と決断に足る力を持っていると感じます。自分が、そのような存在になり得るかは、娘がいつの日か感じた そのありのままを受け止めようと思いますが
一段一段、飛ばすことなく、ゆっくりでも前に進めていくことが、大切かな
、そのように思います。
