おはようございます
ビジネスドクターの竹島正浩です
どうも今日1日のテレビは天皇一色になっているようだ
でも、問題の本質を真剣に討議する内容のものは
なさそうだ
女系天皇
天皇の政治利用
天皇陛下のビデオメッセージの本意
象徴天皇のあり方
今、議論すべきことは多いはずなのに・・・
今日はこんなことを書く予定ではなかった(笑)
1.第一部「金融・東京時代」
平成元年1989年は、私が社会人1年目を終わろうと
しているタイミングだった
つまり、平成の30年は自分の社会人人生そのもの
とも言える
30年前、本当に楽しく残業していた時代だった
女性でも22時、23時まで仕事していた
残業時間になると、残業者向けに提供されていた
「残業メシ」なる定食を食堂まで食べに行き
女性社員はヒールを脱いで裸足で社内を駆け回りながら
残業をしていた
月の締め切り日は、みんなで銀座に飲みに繰り出し
深夜まで楽しんだあとは参加者全員が
プールしていた「タクシー券」でご帰宅していた
営業部門に配属されると
それこそ「24時間戦えますか」状態(笑)
今日は札幌、明日は福岡のような出張もあり
(東京にいると日帰りが出来てしまう)
お陰で2年もするとマイレージで沖縄往復が可能に
平成の最初の10年はそんな経験で過ぎていった
みかりんともそこで出会い、結婚に
結婚、トップセールス、自宅購入
という人生での大きな経験を積んで次のステージへ
次の10年は大きな節目に
2.第二部「コンサル・仙台時代」
転職と同時に仙台へ引っ越すことに
下っ端時代の1年半はまさしく雑巾掛け
睡眠時間は2〜3時間・・・
購入した本は本棚2個をいっぱいにした(苦笑)
人間関係にも苦しんだ1年半だった
(パワハラに悩み味覚障害も起こすまでに)
そんな苦しい時に娘を授かる
不思議なものである
そこを抜けて5年で部長職に
この後のナンバー2時代も上司とすれ違うことばかり
こう振り返ると人間関係で悩んでいた時期ばかり
組織不適合者だったのでしょう
3.第三部「出会い・新潟時代」
新潟への転勤の内示を辞令の1年前にもらい
悶々とした思いを抱えながら仕事をすることに
そういう中で3.11を迎える・・・
混乱の中で、新潟での新生活がスタート
しかしここでも組織内で孤立し
人間関係に苦しむことに
平成最後の10年は新潟での生活
ここは新しい人間関係の構築と
多くの人生の師匠となる人たちと出会い
次のステージへの転換の期間となった
10年刻みで節目を迎えていたようです
(自分で作っていたのかも)
自分の意思でこうしようと思ったことは
結局は実現するものです
令和を迎え、簡単に生き残れる時代では無くなっていくが
家族とともに自然に生きていきたいですね
無理なく、ワクワクすることを、楽しんで
感じていきたい