・「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅香帆 著 | 有井努(ありいつとむ)の乱読ブログ

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多読はするもののインプットと比較してアウトプットが極端に少ない。
そこでブログを利用することにしました。
ノンフィクションが好きなジャンルです。齋藤孝氏もよく読みます。
さらっと内容に触れただけの読書日記ですが、読んでいただければ幸いです。

 

 

それは本からの情報は、まだ見ぬ新たな情報で

あるから、その人にとっては「ノイズ」でしか

ないからです。

 

どういう意味かと言いますと、現代のネットに

よる情報収集は「自分がすでに知っていること、

興味あること」だけが意図せず集まってくる状

態を指しています。

 

ネットサーフィンしていると似たような話ばか

り出てくることを自覚している人は多いと思い

ます。

 

そこへ「未知」の情報が入る余地はありません。

なぜなら皆、疲れているから。

 

「でもそんなのは知的好奇心が低い人であって、

そういう人はネット以前は漫画とかスポーツ新

聞とかを読んでいて、民度が高い人はちゃんと

読書をしていたのでは?」と反論がありそうで

す。

 

確かに誰も彼もがネット中毒ではありません。

 

エリート層、エスタブリッシュ層は知的好奇心

が高いはずだ。しかしそれでも現代は、そうい

う人たちでも「本が読めない」状況に陥ってい

ると著者は指摘します。

 

なぜか。

 

それは資本主義社会とは「全身全霊」に物事に

取り組むことを要求する社会だから、というこ

とです。

 

仕事のことだけを言っているのではありません。

育児や家事、趣味や最近では資産運用にまで「

これでもか」というぐらい「全身全霊」の取り

組みを要求してきます。そりゃ疲れるわけです

よね。

 

と、結論を書いてしまうと「なんだそんなこと

か」と終わってしまいます。

 

では、なぜ現代ではここまで人に「全身全霊」

を求めてくるのか。

 

明治時代から辿る労働史とそれに関わる読書史

も語られています。これを読みますと、現代の

「読書という行為」が見えてきます。

 

仕事をしていてもこの本を読むことができた自

分って、もしかして時代の先を行っているのか

な?となんとなく誇りを持ってしまう一冊です。

 

 

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