先日、「カティンの森」という映画を観に行った。
映画の冒頭、
多くの人が荷物を持って、橋を渡ろうとしている。
すると、反対側からも人が走ってくる。
「ドイツが攻めてきてるぞ、戻れ、こっちは危険だ」
と叫ぶ男性。
「いや、こぅちからはソ連が攻めてきている、こっちは危険だ」
青年が走りながら叫んでいる。
第二次世界大戦中、
ポーランドは不可侵条約を結んでいたはずのソ連と、
ドイツの双方から攻められて占領された。
半分は、ソ連の占領下、
もう半分はドイツの占領下。
ソ連とドイツが密約を結んだ上での行動だった。
そのよう中で起きたのが、
カティンの森事件である。
カティン森と呼ばれる場所で、ソ連に捕まっていた
ポーランド兵士の捕虜が大量に殺害され、地面に埋められたのである。
しかし、第二次世界大戦後、
ドイツ軍が敗退すると、ソ連の占領下では、
カティンの森事件の首謀者がドイツであるとされ、
ポーランドの人々は、その偽りを強制された。
真実を口にしたら、ソ連軍に捕まり、
自分が嘘をついたという声明文を書くまで光を見ることができない。
映画は、ソ連に捕虜として捕まった夫と、その残された妻を基軸にしつつ、
様々な人間の戦争に巻き込まれる様を描く。
ドイツ軍に大学の再開を訴えようとして
収容所に送られてしまった教授、その残された妻。
兄がカティンの森で殺害され、
真実を頑に保持してソ連軍に捕まった妹と、
教師としてポーランドの教育を復興するために、
ソ連の嘘に自分を染めた姉。
戦争を生き延びたにも関わらず、
嘘に染まる自分に耐えられず自殺する兵士。
死亡者リストを見て、呆然と立ち尽くす女性、
自分の夫は載っていないと心から喜ぶ女性。
等々。
事件の回想シーンでは、
それまで個々の人物像が描かれていた兵士達が、
有無も言わさず、淡々と事務作業のように殺されていった。
映画が終わった後、
私は呆然としてしまった。
最後に画面が真っ黒になって流れたレクイエムの低温の響きが
頭をワンワンさせる。
「真実は、フィクションよりも残酷だ」
直後、自分の頭に浮かんだ一節だ。
その後は、
言葉にならない、どう表現したら良いかわからないものが
自分の内側から上ってくるのを感じてた。
会場を出て、
他の映画のポスターを眺めていたら、
自然と涙がこみ上げてきた。
別に、泣こうと思った訳じゃない、
本当に自然にこみ上げて来たのだ。
あの感情は、なんだったのだろう。
帰り道、
家まで自転車に乗っていたら、
ようやく少しあの感情の理由がわかってきた。
事件とか、真実とか、歴史的発見とかではなく、
個々の「人」の考え、思い、
そこから選択した行動、結果。
いろいろな立場、考え方、行動をした人が
たくさんいて、多様出会ったにもかかわらず、
とにかくどの人も
悲しかったのだ。
ひたすら、悲しかったんだ。
どんな人であろうと、
どんな行動を選択しようと、
「戦争」という袋の中に入れられてしまった、入ってしまった「時」は、
結局悲しみにしかならないんだ。きっと。
どの人の思いもきれいごとでなく、悲しいんだ。
こんなことを書いているパソコンの横から、
写真に写っている甥っ子が
天使みたいな顔で笑いかけている。