2011年3月11日。
あの日のことを私は一生忘れないだろう。
多くの人の人生に影響を与えた日だ。

東日本大震災。
マグニチュード9の地震もさることながら、
その後の三陸を襲った津波の映像に、世界中の人が震撼した。

まるで映画を観ているようで、
図書館でその映像を見た私は、唖然として一瞬よくわからなかったのを覚えている。
黒い濁流がまるで生き物のように、なだれ込む。
家を飲みこみ、車をおもちゃのように押し流し、すべてが黒になっていく。
そこに人がいるのだと想像した瞬間、思わず口を覆ってしまった。

その後も止まらない余震。
そして、その震源地は徐々に南下していっていて、
自分の地元をも襲うんじゃないか、不安がどんどん大きくなっていった。

ジュネーヴにいる自分は、何もできず、
ただ皆の無事を祈ることしかできない。
もしものことがあったらどうしよう。
母の機敏な判断のおかげで、早めに家族の安否はつかめたものの、
不安が止まらず、帰り道吐き気がしたほどだ。

結果的に、家族や友人は無事だった。
しかし、最近になって同じ高校に通っていた友人が亡くなっていた事を知った。
どれほど、無念だったろうか。大学に入り、学びたいこともやりたいことも
たくさんあることに気が付く、20代。
これから何かを目指して一歩踏み出すというその時。

今では、死者の数は1万8千人に上るという。

そして、景色も一変した。
日本赤十字社の写真を見たとき、
まるで爆弾を落とされた後のように、瓦礫が散乱しているのみだった。

そこからさらに原発問題の発覚。
日本中、いや世界中で情報が錯そうし、
何が真実なのか見当もつかなくなった。

そんな情報にも左右され、自分の無力感、
また地震があって大切な人を失うかもという不安、
自分は震源地におらず安全な場所にいるにも関わらず、気持ちが落ち込んでしまった。
あれほど、無力感を感じたことはない。

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あれから数週間、
驚くことがたくさんあった。

まずは、友人から知らない人まで、
みんな日本の心配をしてくれたことだ。
そして、その中でもよく言われたのが、
日本は最も進んだcivilised countryの国だということ。

こんな大災害の後にも関わらず、
皆がお互い助け合い、お店に強盗に入る人もいない。
他の国では、ありえないことだと。

そして、世界各国で日本のためにと、
チャリティーイベントが企画されて始めたこと。
FBで多くのイベントが目につく。
皆が何かしたいと行動しているのだ。

日本国内でもそう。
特に大学生やNGOが一斉に行動をし始めた。
外国人のためにあらゆる外国語にて情報をまとめたサイトを作った外大、
物資の輸送、疎開活動を進めるNGO、
日本人全体がここまで行動力があるとは正直思っていなかった。

この行動力、そして今回生じた社会インフラに対する疑問を一過性のものにすべきでない。
今、見直せるものをすべて見直し、議論をするべきだ。
そうでなければ、亡くなった方々が浮かばれない。

私自身も、夏に何か企画をしようと考えている。
今回亡くなった方々をなかったことには絶対にしたくない。
想いを受け継いで生きていきたい。

そう強く思う今日この頃です。