4年前を振り返る | 化学物質過敏症を治そう!

化学物質過敏症を治そう!

完全に治らなくてもいいんです。もう少し楽に暮らしたいから、頑張ります。
頑張ったからなの?化学物質過敏症が軽くなってきましたよ。

ちょうど4年前に職場の床が張り替えになりました。

毎日新しいニオイがしていましたが、

当初は気持ち悪くありませんでした。


ただ、ニオイに敏感になったなあとは思いました。

タバコを吸った人が近づくと、焦げくさくて気持ち悪くて、

なんだかんだ理由を付けて、その人を避けました。

そして、自分の鼻が変になったのかなあと思った出来事があります。

ファミレスで昼食をとった同僚が、猛獣のニオイと玉ねぎとスパイスの

強烈な香りをさせながら戻ってきました。

ハンバーグを食べたそうです。その日は同じ部屋にいられませんでした。


子供のころから、人が気にしないニオイまでわかる状態だったのが

アダになったかもしれません。

子供の時、食べ物から化粧品のニオイがするとか、

魚が抗生物質臭いとか、他にもいろいろ口にして、怒られました。

「神経質」とか「そんなニオイはしない。お前がおかしい」と言われて

いましたから、ニオイがわかってもそのことを指摘してはいけないんだと

ずっと思って生活してきました。

だから、ハンバーグの件でも、ちょっといつもより敏感かなあ程度にしか

思っていませんでした。

とにかくいろいろなニオイに超敏感になりつつありました。


そして、自分がおかしいと思い始めたのは、

剥げた塗装部分を油性の塗料で塗っていた人に

理由もなく憎しみの気持ちが湧いてきた時です。

せっかくきれいにしてくれているのに、

なんでなのか理由がさっぱりわかりませんでした。


そして、職場で消臭スプレーをシュッと一吹きした同僚が

とても憎らしく思えて、悪態をつきました。

なんて意地悪な人になってしまったのかと落ち込みました。


そのころから、ゆっくり蝕まれていましたね。


その当時の体調をQEESI問診票に当てはめてみますと、

健康な人に分類されました。そっかぁ。そうなんだぁ。


できれば、この段階で気付いて対策を講じたかったなあ。


シックハウス症候群にかかったり、化学物質過敏症の予備軍になってしまうと、最後のひと押しで一気に転落する可能性があります。そこから回復するのはかなりの努力が必要になりますよね。

一年半前は、化学物質過敏症の最悪期だったので、QEESIの「化学物質不耐性」「症状」「日常生活の支障」ともにほぼ満点でした。

そんな私がここまで回復できるなんて想像できませんでした。

社会復帰するまでには至っておりませんが、

生活はしやすくなりました。


健康な友人たちは、化学物質過敏症のことに興味がある割には

私の話す内容が理解できないようで、けげんそうな顔をします。

「今はいいけど、なんかおかしいなと思い始めたら、私のことを思い出してね。」

と伝えて話を終えるようにしています。


いったん手に入れた便利な生活を捨てる勇気は

健康な人にはありませんからね。

自分の身は自分で守らないと。