NEW-SEUM(12) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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NEW-SEUM(12)
★尼崎城  https://amagasaki-castle.jp/
660-0862尼崎市北城内27/06-6480-5646
大坂夏の陣後、江戸幕府は大坂を直轄地として西国支配の拠点とするため、元和3年(1617)、譜代大名戸田氏鉄に尼崎城を築城させ、大坂の西の守りとしました。尼崎城は、翌元和4年(1618)から現在の北城内 ・ 南城内の約300メートル四方に、甲子園球場の約3.5 倍にも相当する、3重の堀、4層の天守を持つ広大な城として数年の歳月をかけて築造されました。幕府は一国一城令により各地の城郭を破却する政策を推し進める一方で、尼崎には 5万石の大名の居城としては大きすぎる城をあえて造らせたことなどから、幕府がいかに尼崎を重要視していたかがうかがえます。しかし、江戸時代が終わり明治時代になると、尼崎城はその役割を終え、明治6年(1873)に廃城が決まった後、城の建物は取り壊され、堀も次第に埋められていったために、全くその面影を残していません。平成27年(2015)11月、旧家電量販店の創業者である★安保詮氏から、創業の地である尼崎において尼崎城を建築し、市に寄附するご意向が示され、平成30年(2018)11月30日竣工、平成31年(2019)3月29日一般公開となりました。
明治維新とともに取り壊された尼崎城。急速な都市化が進む中で城下町は姿を変えてしまいました。しかし城があった記憶は失われることはなく、再建を望む声が何度も浮上しては資金不足や景気の影響などで断念することが続いていました。家電量販店旧ミドリ電化(現・エディオン)の創業者・安保詮氏が「創業の地に恩返しがしたい」と、約12億円の私財を投じて尼崎城天守を建設し、尼崎市に寄贈。市民や尼崎を愛する仲間も共鳴し、「一口城主」や「一枚瓦」などで寄せられた寄付額は約2億円にものぼります。尼崎城1階の入口付近には多くの方々の想いがつまった「一口城主芳名板」を設置しています。
★阪神電鉄旧尼崎発電所 http://www.amaken.jp/67/6712/
660-0826兵庫県尼崎市北城内115 
明治38年4月12日、大阪〜神戸間を結ぶ日本初の本格的都市間電気鉄道、阪神電気鉄道本線が開通し、尼崎駅が開業していますが、その前年の明治37年8月5日、尼崎車庫が完成。その阪神電気鉄道本線に電気を流すため、イギリス人技士の設計築かれたのが尼崎発電所で、明治38年4月7日に送電を開始しています。レンガはイギリスから、レンガを支えるアングル鋼はアメリカから輸入されたもの。開業当初、尼崎発電所と御影発電所(みかげはつでんしょ=現・神戸市東灘区)に400kWの直流発電機を2基設置し(1基は予備)、明治41年からは余剰電力を沿線中間の3町16村に供給しています。明治28年★蹴上に琵琶湖疎水を使った水力発電所を築き、日本初の電車として京都電気鉄道が開業していますが、それからわずか10年で、本格的都市間電気鉄道として阪神電気鉄道本線が開通しています。発電施設は、蒸気機関車と同様に、石炭ボイラーで作った蒸気のエネルギーを運動エネルギーに変え、発電するというレシプロ式。ボイラーは、アメリカのバブコック・アンド・ウィルコックス社(Babcock & Wilcox Company)製、発電機はゼネラルエレクトリック社(General Electric Company)などすべてアメリカ製。大正8年4月お日に休止するまで、現役で発電を続けていました。その後、鉄道関係の資材倉庫に転用されています。昭和60年(1985)に東側増築部分が取り壊されました。尼崎市内に残る2番目に古い煉瓦造建築であり地域のランドマークでもある旧発電所は、2011年(平成23)に尼崎市まちかどチャーミング賞を受賞しています。しかし2024年(令和6)12月から解体工事が始まり、煉瓦造建物は無残に解体されていきました。尼崎市立歴史博物館では、阪神電鉄の協力を得て煉瓦のブロック・単体数個と梁として使用されていたイギリス製の鉄骨を1本収集しましたが、歴史博物館にできたことはこれだけであり、近代の文化財建造物を★残すことの難しさを改めて認識することになりました。2025年(令和7)2月に解体工事が終わり、工事用仮囲いが外されると1階南側外壁が残されており、1985年の増築部分解体時に残された外壁と連続した煉瓦の壁になっていました。一部分だけになってしまったことは残念ですが、恒久的にこの地に阪神電鉄開業時の歴史遺産が存在し続けることになったことは、阪神電鉄と尼崎市の歴史を知り、未来を考える上で大変有意義なことです。