《PROJECT80》22 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《PROJECT80》22
★「松尾大社庭園」
616-0024京都市西京区嵐山宮町3/075-871-5016
https://www.matsunoo.or.jp/
松尾大社の松風苑三庭は、重森三玲(明治29年〜昭和50年)が長年にわたる庭園研究の奥義を結集し、この地上に残す最高の芸術作品として、全身全霊を傾注して造られた庭園です。総工費1億円、三庭に用いられた四国・吉野川産★青石(緑泥片岩)は200余個、丸1年の工期を経て、昭和50年に完成した昭和時代を代表する現代庭園です。★遺作になった松尾大社庭園はまさしく★場の潜在力を最大限に引き出した作品であり、重森三玲の最高傑作。荒々しくも静寂。それは不思議に古代と現代、優しさと厳しさなど、相反するものの一致を見せている。
https://www.matsunoo.or.jp/guide03/
1930年代初頭、重森三玲は主に庭園及びいけばなの研究者として活動していたが、各地の庭の調査を重ねる度に建物の図面や資料が存在しても、★庭園の資料が皆無であることを感じていた。そこへ室戸台風(1934年)が西日本に上陸し近畿の名園も多大な被害を被った。各社寺には庭に関する資料が残されていないので、修復には困難が予想され、このままでは将来も庭園の研究が発展しないことを痛感した三玲は全国の庭園の実測調査をおこなう決意を固める。そして、1935年頃より1939年にわたって第一次実測調査をおこない、その成果を体系的にまとめた『日本庭園史図鑑全26冊』を出版する。当時、日本各地の時代や様式も異なる庭園を自ら訪れて実測し、自身で写真撮影も担当した。調査研究を進めていった結果、重森三玲は一つの確信にいたる。
★「江戸中期を境にして庭の芸術性が落ちている。そして、自身が生きる昭和期には将来に誇れるような庭がつくられていない…」。これが彼の創作者としての血を再び刺激することになる。そして、このような思いで東福寺の調査(環境計画)を手がけていた時、東福寺の造園計画が持ちあがり、永代供養(つまりボランティア)で庭づくりを引き受けることになる。国内で多くの庭を実測調査した実績と画家をめざしていた自身の自由な発想でこの仕事に取り組んだ。庭の設計にあたっては、禅宗寺院における★廃物利用の精神が市松の庭と北斗七星の庭を創り出す原因になったり、方丈前庭のために探し求めていた巨石が苦労の末に見つかるなど運も味方した。考えてみれば現場の環境、歴史的背景、材料など、★「場」の力が大きければ大きいほど名作を残せた不思議なひとでもある。
・・・「場」の力!「浄厳院国際芸術祭」において「鐘楼」を展示場所として取り組んだ経験を、今後さらに深め広げていきたいと思う。