《PROJECT80》5
「愛犬ユイ」「三沢の犬」そして「バサラ(伐折羅)」へ
《新薬師寺》
630-8301奈良市高畑1352番地/0742-22-3736
https://www.shinyakushiji.or.jp/
光明皇后が夫・聖武天皇の病気回復を願って747年(天平19年)に創建。当初100人の僧が住み、七堂伽藍と東西2基の塔が立ち並ぶ大寺院でしたが、平安時代の落雷や台風で主なお堂を消失。唯一残った建物が現在のお堂です。2008年★奈良教育大学構内から当時の遺構が見つかり、東大寺・大仏殿を凌駕する「新薬師寺堂」が発見され、現存の仏像を含めた37体もの仏像が置かれていたという。国宝に指定される天平時代の本堂は、天井を張らず化粧屋根裏を見せた簡素な造りで、内部に本尊薬師如来坐像と十二神将立像を安置しています。
★十二神将は、薬師如来の世界とそれを信仰する人々を守る大将で、一体につき7000人の眷属を率いているといわれています。十二の方角を守っていることから、干支の守護神としても信仰されています。仏像の多くは木彫ですが、これらは塑像(そぞう)で、奈良時代の名品(1931年補作の1体を除く)です。本尊と一体化するように安置してあるため、同時に造像したかに思えますが、十二神将像は近くにあった★岩淵寺(廃寺)から移されたものだというのが定説。
★伐折羅(ばさら)大将像は十二支の★戌(いぬ)を象徴する武神。歌舞伎の隈(くま)取りにも影響を与えたといわれる怒髪(どはつ)天をつく表情は人気が高く、多くの人を魅了します。伐折羅(ばさら)以外にも、伐沙羅(ばさら)・跋折羅(ばさら)・跛折羅(ばさら)・伐闍羅(ばさら)の表記や、縛日羅(ばさら)・和耆羅(ばさら)の呼び方もあるそうな。同じ呼び方でも漢字の当て方が違うようです。奇をてらい華美をつくす振る舞いや派手な姿をする伊達者も「婆娑羅(ばさら)・婆沙羅(ばさら)・婆佐羅(ばさら)」などと表現していたようです。十二神将は、個別では大将と表現しているようですが、夜叉や神明という表現もあるようです。
★新薬師寺鐘楼は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。鐘楼は鎌倉時代後期の1279年(弘安2年)に再建されたと言われています。新薬師寺は奈良時代の747年(天平19年)に創建され、七堂伽藍(金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂・仏塔)と東西2基の塔が建立され、1千人の僧が住したと言われています。新薬師寺鐘楼には天平時代に鋳造され、元興寺(がんごうじ)の鐘楼が焼失したことから★元興寺から移されたと言われる梵鐘を吊っています。鐘楼は寺院で時刻や非常を告げる施設として設けられ、梵鐘の響きは功徳になるとされました。鐘楼は古くは金堂の背後に経蔵と対し、一般に太鼓を置いた鼓楼に対して伽藍の両翼を建立されました。
鐘楼は桁行三間・梁間二間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)で、漆喰塗り(しっくいぬり)の袴腰(はかまごし)付です。梵鐘には銘文が刻まれていないため、製造時期の特定は困難ですが、その形状や撞座(つきざ)の位置などから、奈良時代中期に作られたと考えられています。特に、興福寺の国宝梵鐘との類似が指摘されており、興福寺の梵鐘が727年に作られたことから、新薬師寺の梵鐘も同じ職人によって造られた可能性が高いとされています。これは、日本で最も古い梵鐘のうちのひとつと考えられます。
