《チュチュアンナ》
540-0003大阪市中央区森ノ宮中央1-10-2/06-7176-1546
https://www.tutuanna.co.jp/company/outline
1973婦人靴下卸業『有文商店』を大阪市天王寺区にて創業。
1979会社組織に改組.『株式会社チュチュアンナ』を設立。
1985ホームウエア事業を開始。
1988大阪市阿倍野区天王寺町北に本社ビル竣工。
1990グループの貿易商社として、『上田商工株式会社』を設立。
1994小売業を開始。国内直営1号店ジャスコ高槻店をオープン。
2015国内外あわせて400店舗に到達。
2015創業42年目を迎え、グループ本社を大阪市中央区森ノ宮へ移転。
2016国内外あわせて500店舗に到達。
ものづくりにおいて、当社が創業時から念頭においてきたのは、ミッションに掲げている「良・安・感・楽」です。★靴下を原点とする当社のものづくりで、今も受け継いでいるこだわりがあります。柔らかい「風合い」と程よく「コシ」のある、相反する表情を両立させた「靴下」。これこそお客様が求める理想の靴下づくりです。この精神は当社のDNAとなり、全てのものづくりのベースになっています。こだわりを貫くものづくりに日々汗を流しています。また、トレンド変化が早いファッション業界において、当社はMDを強みとするものづくりをおこなっています。そのなかで、デザイン性・季節感・機能性・品質の良さを兼ね備え、しかもリーズナブルであることにこだわり、お客様ニーズを満たしてきました。チュチュアンナのものづくりは、これからもお客様の理想に応えていきます。
★安井建築設計事務所
https://www.yasui-archi.co.jp/works/detail/631327/index.html
「カワイイ」を創造するモノづくりの場/敷地に程近い大阪城公園から森ノ宮周辺にかけての豊かな緑に対し、その一員として建物の外構やテラスに植栽を施し、緑のネットワークをつくる。チュチュアンナが主として女性向けの靴下・インナーのSPA企業であることを示す本社ビルとして、外観はシンプルで飽きのこないガラスと白を基調としている。ガラスからは社員の働くようすとマインドを、南壁面の丸い開口がひし形に編まれた模様からは同社が扱う繊維製品のイメージを発信する。建物の構成は業務や目的によって階で明確に区分。下階・上階のワーキングスペースの中間4、5階に「集う」ためのフリースペースや社員が「くつろぐ・学ぶ」厚生施設等を配置。人のつながり、社員の交流が見えるガラスや階段を適所に設置している。
★鴻池組
https://www.konoike.co.jp/works/detail/002493.html
靴下・インナー等SPA企業であるチュチュアンナグループの本社ビル。繊維製品の光輝く網目をイメージした外壁は、菱形のGRCパネルに丸型の象嵌ガラスを花柄に1216個打込み、内部窓枠はアルミ鋳物で製作しました。品質性能を十分に確保するため、象嵌ガラスの止水性能について、設計風圧力の1.5倍で風圧・水密試験などを行いました。
《鵲森宮》(通称:森之宮神社)
540-0003大阪市中央区森之宮中央1丁目14-4/06-6941-9294
http://morinomiya.net/index.html
もと大坂城のあたりに鎮座していた生國魂神社の東側に森が広がっていた。同社の別名が難波大社であることから難波森(なにわのもり)とも呼ばれたが、598年に新羅より持ち帰ったカササギをこの森で飼育したことから鵲森(かささぎのもり)と呼ばれるようになった。同じ頃、聖徳太子が用明天皇を祀る鵲森宮を当地に造営し、この神社の通称である森之宮が地名の由来となっている。江戸時代には東成郡森村を形成。集落は鵲森宮の東側、鵲橋 - 猫間橋間の猫間川左岸にあり、猫間川右岸が耕作地となっていた。明治時代に東成郡中本村(のち中本町)大字森となる。その後、大阪市第一次市域拡張後に東区森之宮東之町・森之宮西之町となったのが現在の中央区森ノ宮中央、大阪市第二次市域拡張後に東成区森町・森町南となったのが現在の城東区森之宮・東成区中道1丁目におおむね該当する。
※亀井水碑
http://haya.bitter.jp/makimura/result.php?name=makimura_higashi_080
元はJR森ノ宮駅付近にあって古代は温泉が湧き上がっていたとされます。聖徳太子が命名した長寿の霊水で、四天王像と共に四天王寺に移されたと伝わります。実際に四天王寺には亀井堂があります。
・・・コロナ禍につき自粛、久しぶりの外出で電車に乗り森之宮まで来ましたが、大きな収穫がありホントに良かった良かった。