・・・神戸線 灘駅から線路の南側を500mほど西に歩くと、★神鋼病院(中央区脇浜町1丁目4-47)がある。病院入口に建っている黒御影石の碑は、2005(平成17)年に神戸製鋼の創立100周年を迎えたことを記念して建立された。
《神戸製鋼所》
https://www.kobelco.co.jp/about_kobelco/outline/history/
1905年に合名会社★鈴木商店が、神戸・脇浜の小林製鋼所を買収し、神戸製鋼所と改称したことを発祥としています。その後、1911年に鈴木商店から分離、神戸市脇浜町に「株式会社神戸製鋼所」として設立しました。KOBELCOグループは鋳鍛鋼事業にはじまり、鉄鋼アルミ、溶接、素形材、機械、エンジニアリング、建設機械、電力など幅広い事業分野で培った知見や技術力をもとに、今後もお客様や社会が抱える課題の解決に貢献していきます。
《旧西国街道》
https://www.city.kobe.lg.jp/c63604/kuyakusho/nadaku/shokai/miryoku/hyakusen/frame_09.html
古代、大陸文化の窓口であった九州・太宰府と京都・奈良を結ぶ幹線道路として、山陽道が開かれました。近世には「西国街道」と呼ばれるようになり、参勤交代の大名行列や荷物を運ぶ飛脚、行商人などが盛んに行き来したといいます。また、江戸中期以降、酒造りや水運業が発達するなか、西国街道のバイパス的な庶民の道として、芦屋から灘方面の海岸近くの村々を貫いていたのが「西国浜街道」です。
《春日野道商店街》
https://kasuganomichi.com/history
町名にもなっている通り名に注目したい。北から東雲通、八雲通、日暮通と、和歌にも見える日本的なやさしい名だ。「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」(素戔鳴尊)「みつか夜のまだ臥し慣れぬ芦の屋のつまもあらはに明る東雲」(藤原隆家)「布引の滝見て今日の日は暮れぬ一夜宿かせ峰の笹岳」(澄覚法親王)次に語らずにはいられないのが旧西国街道。西国街道といえば、奈良時代の大宝律令により始まった、京の都と九州の大宰府を結ぶ幹線道路。西国街道と呼ばれるようになったのは江戸時代からで、興味深いのは、★この地で「本街道」と「浜街道」に枝分かれして、生田筋で再び合流していたこと。内陸部の「本街道」は大名行列などに、海岸沿いの「浜街道」は庶民の生活道路として利用された。大正時代には、ここ春日野道商店街と本街道の交差点に阪神電車の春日野道駅があったとされ、そこから南へ、神戸市電で浜街道へと乗ることもできた。さて、春日野道の春日とは…かつて籠池通あたりに奈良の春日大社から勧請を受けた春日明神が祀られ、その周辺を春日野と呼んでいたらしい。そして、春日野道のルーツは、神戸に外国人居留地が設置されたことにさかのぼる。春日野周辺に新たな外人墓地ができたのに伴い、明治36年、西国街道までの道路が開通したのである。明治の終わりから大正にかけて、神戸の東の拠点として発展し、戦前までは西の都心・新開地と並ぶ繁華街として賑わい、また、小野中道商店街とともに神戸の三大商店街と言われた。戦後も★鉄鋼、製鉄やゴムなど多く工場が集まる中、市場拡大とともに、行員たちが楽しむ立ち飲み屋など独特の下町文化が根付いたのだ。平成も四半世紀を超え、日本津々浦々、古き良き商店街がなくなりつつあるなかで、対面販売ならではの醍醐味がまだまだ楽しめる春日野道。今日も歴史を刻んでいる。
《大阪ガス葺合供給所》
阪神・春日野道駅の近くにある供給所です。現在は、 LNG (液化天然ガス) を気化したガスを貯蔵するため、球形のガスタンクになっています。
https://www.kbinfo.co.jp/plan/plan05/
https://www.city.kobe.lg.jp/information/public/online/hyakkei/works/works03.html
「葺合」という名前は、神戸で最も古くから存在する地名のひとつです。1889(明治22)年、神戸区・荒田村・葺合村が合併して「神戸市」が誕生しました。1931(昭和6)年には、区制の始まりとともに、葺合区が誕生。そして現在の中央区は、1980(昭和55)年に葺合区と生田区が合併して誕生しました。
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14120&query=&class=&d=all&page=5
・・・そして、「HATゆめ公園」まで来ました。
《HATゆめ公園》
651-0073神戸市中央区脇浜海岸通3丁目
http://liac.jp/asobiba/hat/yumekouenn.html
「HATゆめ公園」というのは市民公募で決まった愛称で、都市公園としては新生田川沿いに連なる★「生田川公園」の一部です。ゆめ公園の広さは7,500㎡ 生田川公園の全体面積は3.9ha。ゆめ公園内には、ボール遊びなどが出来るとても広いグランドや遊具が数点置いてあり、市民の憩いの公園になっています。この公園は、「HAT脇の浜/公園つくろうプロジェクト」という神戸市の事業でつくられたという経緯があります。震災時などの避難場所としても利用される公園のため、トイレがしっかりと整備されています。川沿いには湾状の人工干潟があります。潮が満ちてくると川から水が入ってくる仕組みになっています。生物保護のため、普段は門に鍵がかかっています。人工干潟の周りの園路沿いには、近くの小学生が作ったタイル絵がズラリと並びます。どれもなかなかの力作ぞろいです。近くの工業高校生が作った木の葉型のスツールもあります。新生田川沿いということで、上流にある布引の滝のことを詠んだ歌碑があります(源雅実「たちかへり 生田の森の 幾度も 見るとも飽かし 布引の滝」)。これは市が設置している布引三十六歌碑の36番目のもので、川沿いに歌碑をたどって布引まで行く事ができます。
●『小野浜町煉瓦下水道と神戸臨港鉄道架道橋』
https://nippon1000parks.blogspot.com/2013/01/2471000hat.html
この煉瓦造りの下水道は、明治40年(1907年)に竣工した神戸臨港鉄道の神戸港駅構内に造られたもので、この上を神戸港に出入りする貨物列車や旅客列車が通っていました。都市計画道路生田川右岸線の整備に伴い、文化財として移設保存しました。神戸港駅は埋立地にあり、下水道の築造にあたっては、当時の砂浜にコンクリートで基礎を作り、その上に花崗岩の切石を並べ、煉瓦を積み上げています。躯体の形はL字形で、その端部には長方形に加工した花崗岩の切石を交互に積み上げています。また、部分的に斜め方向に煉瓦を積み上げている部分があり、下水道にかかる列車の荷重を分散させるための工夫が見られます。下水道の四隅に立てられた石と煉瓦造りの柱状のモニュメントは、この公園の北側を東西に走っていた神戸臨港鉄道の南本町架道橋橋台の一部で、神戸新都心地区区画整理事業に伴い発掘調査をし、移設保存したものです。神戸臨港鉄道は、近代神戸港築造とその発展の原動力となり、物資や旅客輸送の役割を担って来ましたが、平成15年に廃線となりました。神戸臨港鉄道の建設にあたっては、海岸線を埋め立て、臨港地帯を形成することを予定し、高架とし、あらゆるところに石と煉瓦で組上げた架道橋(鉄道と道の交差点に造られた橋)を造りあげています。このHAT神戸も、その前身は葺合港湾という明治40年から明治43年にかけて、海岸を埋め立て築造された港湾施設で、これに通じる架道橋を4基築造していました。なお、架道橋橋台は、現地で埋め戻して保存されています。近代神戸港と港湾都市神戸の発展を物語る、貴重な2つの遺産を後世に伝えるため、モニュメントとしてこの公園に設置しました。
●旧川崎製鉄所の機械部(フライホイール)
かつてここにあった川崎製鉄(株)葺合工場で1929年から60年以上にわたり活躍していた、鋼を圧延する機械の部品「フライホイール(はずみ車)」 それは機械の回転力を維持する巨大な装置でした。「HAT神戸」が力強く持続的に発展していくことを願って、往時の記憶とともに寄贈され、ここに設置されました。(写真説明)人物の背後にある半円形のケースの中にフライホイールが取り付けられており、手前の2台の機械(圧延機)を動かしていました。あなたもこのモニュメントで、その大きさを実感してみてください。
《神戸市中央区役所》
651-8570神戸市中央区雲井通5-1-1/078-232-4411
http://blog.livedoor.jp/public_design/archives/7418998.html
神戸市を構成する9つの区の一つであり、神戸市の都心的な役割をはたす中央区。その行政機関である神戸市中央区役所は三宮駅から東に進む事5分程度の国道2号線沿いにある。お隣は神戸市勤労会館(★三宮図書館)が建っていてブリッジによってつながっている。オフィス・繁華街の中にある中央区役所は限られた敷地面積を活用し各課がフロアごとに積み重ねられる様に配置されている。中央区の人口は現在13万人程の区であるが、北野町山本通、旧居留地、中華街の南京町、メリケンパーク、神戸ハーバーランド、ポートアイランド、神戸空港(マリンエア)、HAT神戸等神戸と言えば思い浮かぶ地名や施設が集中する区でもある。
★区制40周年(2020年12月1日)
https://www.city.kobe.lg.jp/d49614/kuyakusho/chuoku/shoukai/kucho/kucho_blog.html
40年前の1980年12月1日に、旧葺合区と旧生田区が合併し、★中央区が誕生しました。翌年にポートアイランドが街びらきをしています。大々的なことはできませんが、本日から、節目節目でイベントを行い、より多くの区民の皆様に中央区に愛着を持っていただけるようにしていきたいと思っています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
・・・ようやく、「三宮」駅前です。
《三宮中央通り地下通路》
・・・あまり利用されていないのか?人通りも少なく、ゆっくり地下ギャラリーを楽しむことができました。さて、そろそろ地上に出ましょう。