・・・先にブログ「NATURE」でバッタ・チョウ・ハチを紹介してしまいましたが、久しぶりの「平城京」です。
《平城宮跡歴史公園》
630-8012奈良市二条大路南三丁目5番1号/管理センター0742-36-8780
平城宮跡歴史公園は、奈良市内に広がる特別史跡平城宮跡を計画地とした国営公園です。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つでもあり、我が国を代表する歴史・文化資産である平城宮跡の一層の保存・活用を図る目的で、平成20年度に事業化されました。現在、同年度に策定した公園基本計画をもとに事業を進めています。特別史跡平城宮跡の国有地を中心に、史跡平城京朱雀大路跡とその東側を加え、国営公園の区域にするとともにその周辺において、奈良県が中心となり国営公園と連携した整備を行う区域を合わせ一体的な公園整備を行っています。(国営公園区域約122ha、その他区域約10ha 合計で約132ha)。★国営公園としての全体開園はこれからですが、2018年3月24日、朱雀大路を中心に観光拠点ゾーンとして整備していた「朱雀門ひろば」が一部開園。今後も、発掘調査の実施や景観、アクセス、現況利用からみた場所の特性に応じ、各ゾーンに見合った施設の整備、ソフトの展開を図っていきます。
https://www.kkr.mlit.go.jp/asuka/heijo/about/about.html
政府は2008(平成20)年10月の閣議決定で、平城宮跡を既存の「国営飛鳥歴史公園」と一体的に整備を進める国営公園として、★「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域」と命名しました。そのため、これが本公園の正式名称となっています。しかしながら、皆様に馴染みやすい公園とするため、通常は「国営平城宮跡歴史公園」の呼称を用いることとしております。ホームページでもこの名称で統一しました。
◇平成10年(1998)★朱雀門★東院庭園の復原が完成する
平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録される
◇平成13年(2001)第一次大極殿の復原工事に着手する
◇平成20年(2008)10月平城宮跡を国営公園として整備することが閣議決定される
12月、平城宮跡歴史公園の整備・管理にかかる基本計画を策定する
◇平成21年(2009)国営公園事業の一環として第一次大極殿院広場を整備する
◇平成22年(2010)★第一次大極殿の復原が完成する 平成遷都1300年祭が行われる
◇平成27年(2015)国営公園事業の一環として★第一次大極殿院復原事業情報館が 開館する
◇平成30年(2018)平城宮跡管理センターを開設、「朱雀門ひろば」が開園する
《朱雀門ひろば》
https://www.suzakumon-heijokyo.com/
【朱雀門】設計:文化財建造物保存技術協会・(構造関係)建築研究協会
施工:竹中工務店
https://www.takenaka.co.jp/solution/purpose/traditional/service19/index.html
そもそも朱雀門とは、奈良時代の平城宮の正門。平城京の入口である羅城門から、メインストリートである幅約80mの朱雀大路を北へ4km進んだところに、そびえ建っていました。門の前では、外国使節の送迎・大勢が集まっての歌垣・天皇による新年のお祝いなどが催されていたようです。高さ20mを超す壮大なスケールに色鮮やかな「朱雀門」の雄姿は、まさに内外への権威の誇示であったと考えられます。朱雀門の構造形式に関する資料は残されていません。復原の基本となる設計案は柱の間隔や周囲の溝の遺構など、発掘調査で分かった結果だけを唯一の手掛りとして、現存する他の奈良時代の寺社建築の構造を参考に、専門家によって推理・検討されました。そうして作られた幾つかの試案から模型を制作し、更に検討を加える-という作業の繰り返しから、ようやく最終設計にたどり着きました。工事は、奈良時代建築を出来るだけ忠実に再現するため、主要な木材には国内産のヒノキを用い、仕上をヤリガンナで削り、丹土(につち)という天然塗料で仕上げる-というように、使用する材料や加工・組立の技術は、可能な限り徹底して当時と同じ本物にこだわりました。発掘調査の出土品から、大きさや文様が分かった瓦も、当時のままに新たに制作されたものが使われました。
《NEWS》2016.3.4産経新聞より
平城京「朱雀大路」は道幅74メートル/広場規模も判明
平城宮跡(奈良市)の朱雀門南西から、奈良時代の平城京を貫いたメーンストリート「朱雀大路」の西側溝跡などが出土し、奈良文化財研究所が3日、発表した。これまでに対称位置で東側溝が確認されており、朱雀門近くの道幅が約74メートルであることがほぼ確定。大路を取り込む門前の広場は東西約260メートル、南北約140メートルとみられることも分かった。続日本紀には朱雀門前で、儀式が行われたり、若い男女が歌い合う「歌垣」を開いたりして、天皇も見学したなどとする記録があり、同研究所は「門前の利用方法も知る重要な成果」としている。調査地は、碁盤の目状に道路を設ける条坊制を採用した平城京の「右京三条一坊一坪」と南側の「二坪」に当たる。西側溝は南北の調査区2カ所で計約40メートルにわたり出土。朱雀大路の幅は、過去に確認された東側溝と今回の西側溝の間の約74メートルと推定され、これまでに別の調査地で確認された幅とも一致。朱雀門から京の正面玄関、羅城門までの南北約3・6キロに延びた道路の広大な規模が裏付けられた。また、広場については今回北側の調査区で建物跡が見つからなかったことや、大路を挟んだ東側の区画が広場だったことから規模が推定された。現地見学会は5日午前11時~午後3時にあり、午111時半と午後1時に説明が予定されている。
《NEWS》2018.3.28ウェブ電通報より
1300年を超えて「朱雀門ひろば」が復元/平城宮跡歴史公園がオープン
“奈良時代を今に感じる”空間として、国と奈良県が整備を進めている「平城宮跡歴史公園」が3月24日、奈良市の平城宮跡にオープンした。今回完成したのは、全体計画約130ヘクタールのうち「朱雀門ひろば」など約35ヘクタール。映像や展示を通して平城宮を体感できる★「平城宮いざない館」、飲食・交流スペースの「天平うまし館」などの他、レンタサイクルやシャワー施設、観光施設、土産店が新たに設置。2010年の平成遷都1300年祭で展示された船長30メートルの★「復原遣唐使船」も移設された。約1300年前、現在の奈良市につくられた平城京は、律令国家が完成するとともに、天平文化が栄えた都。朱雀門と東院庭園の復元が完成した1998年に、平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録され、2010年の第一次大極殿の復元完成時には平成遷都1300年祭が行われた。今後も、大極殿を取り囲む「築地回廊」「南門」などで復元工事は進み、19年には★「南門」の復元工事が公開される予定となっている。
《NEWS》2020.9.10トラベルウォッチより
平城京 大極殿院「南門」工事現場のバーチャル見学サイトが9月14日公開
国土交通省 近畿地方整備局 国営飛鳥歴史公園事務所は9月10日、2022年の完成をめざして整備を進める第一次大極殿院「南門」の復原工事現場をバーチャル体験できる3Dウォークスルー画像を作成9月14日14時から公開することを発表した。第一次大極殿院は平城京北方に位置する、大極殿を含む区画で天皇の即位などが重要な儀式が行なわれた区画。この大極殿を取り囲む「築地回廊」「南大門」「東西楼」や「内庭広場」を復原する事業が進められている。2019年度からは古代の工法などを伝えるべく、第一次大極殿院の入口となる南門の復原工事の現場公開が行なわれているが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から一時中止している。今回公開されるのは、その南門復原工事の現場の内部をインターネットを通じて見学できるもので、現場内を歩くように移動や360度見渡しながら見学できるもの。各フロアの自動ツアー再生のほか、1階作業床、床上、2階作業床、初重屋根上、二重壁、3階作業床、二重屋根上、二重軒下、大屋根俯瞰といった各フロアを自由に観賞することもできる。




