成長停滞期 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「ルリボシカミキリの青」以来、福岡伸一さんの大ファンになりました。

 

 

★「自分」を探究するのが生物学の基本/話:福岡伸一/朝日新聞EduAより

https://www.asahi.com/edua/article/12956079

理科、とくに生物学を学ぶというのは、本当におもしろいことなんです。人がなぜ脈々と、時代を超えて理科を研究してきたのかといえば、私たちを取り巻く世界、すなわち自然の成り立ちを知りたいからです。自然というと夏休みに行く海や山を思い浮かべるかもしれないですね。それらはもちろん大自然ですが、そんな遠出をしなくたって、じつは★だれの近くにも自然は存在します。私たちに★最も身近な自然は、私たちの身体です。自分がいつ生まれていつ死ぬかは、だれにもコントロールできませんよね。いつどんな病気になるかもわかりません。考えてみれば私たちの身体や生命は、自分ではまったく予期せぬかたちで、勝手に動きうごめくものとしてそこにあります。そんなすぐそばにある自然のうごめきの、しくみや理由をよりよく理解するために、私たち人間は、勉強や研究を重ねています。生物学というのは、人が生きているとはどういうことかという「生命観」を明らかにするもの。★自分自身のことをもっと知るために、この学問はあるのだといえます。

 

・・・同様のことがアートにも言えるのではないかと思います。自分自身のことをもっと知るために、日々描き作っているのかもしれません、さて久しぶりに、「綿」の栽培について報告します。

 

 

・・・5/5に種まきをして、なかなか成長してくれないので正直ちょっとイラッとしていました。

 

 

《栽培のポイント》/日本綿業振興会より

http://www.cotton.or.jp/growpoint.html

(3)成長の特長:発芽後、10cmくらいの丈で、1ヶ月~1ヶ月半ほど★ほとんど成長しない。この期間は根が張る時期であり、太い根が地下深く伸び、それに細い根が生える。この時期に水をやりすぎたり、長梅雨にあうと、根ぐされをおこす。5月に播いた綿の木は、7月に入って気温が高くなり、日光の量が多くなると、急速に枝を伸ばし成長する。7~8月に花を咲かせ、9~10月にコットン・ボールをつける。

(4)水やり:10cmくらいの丈までの時期(5~6月頃。この間に根が成長する)あまり水をやりすぎてはいけない。土の表面が乾いたら、水を与えるようにするとよい。その後は、ほかの草木と同じように水やりを行う。

(5)摘芯(てきしん):綿の木はほっておくと150cm程まで伸びる。(アメリカの綿畑では摘芯を行わないので、100~130cmくらいの丈のものが多い。)日本で従来栽培していた綿は、もともとあまり大きくならず、しかも30~50cm程度におさえるよう何度も摘芯を行い、横に枝を張らせるようにしていた。これにより1本につくコットン・ボールは平均20個程度になる。鉢植えの場合は、枝を4~5本残して、1度だけ摘芯するとよい。

 

・・・「ほとんど成長しない」ということにビックリ、さらに調べますと、

 

 

・・・本日、ここまで成長しました。この成長停滞期は★「ストリゴラクトン」という植物ホルモンを土壌中に分泌して★共生菌を育てている期間で、勢い良く育つための準備段階だそうです。

 

《ストリゴラクトン》日本農芸化学会より

https://katosei.jsbba.or.jp/view_html.php?aid=347

ストリゴラクトンは比較的最近発見された植物ホルモンで、アフリカで農作物に深刻な被害をもたらし魔女の雑草と呼ばれる根寄生雑草ストライガの種子発芽促進物質として知られていたが、近年、枝分かれ抑制など多様な活性をもつ植物ホルモンであることが知られるようになった。そのため、ストリゴラクトンの受容・シグナル伝達機構の解明は、根寄生雑草防除の点でも、植物の生長制御の点でも重要な課題である。ストリゴラクトンの受容は、ストリゴラクトンの加水分解活性を併せ持つD14タンパク質により行われることが明らかになってきている。

 

・・・専門的な研究が進んでいるようです。難しくてよくわかりませんが、自然って本当にスゴイなあと思います。人間にもいい意味での「成長停滞期」があるかも?しれませんね。

 

 

《おまけ》古代の綿花・試験栽培・2015年

https://kaifuusoo-575.sakura.ne.jp/kougoisi-menka-1.html

西日本の各地に散在している★神籠石遺跡を古代の綿花農園跡であると位置付け、それを立証するためにこのページを開設しています。ひいては無農薬綿花栽培のお役に立てれば光栄です。

 

・・・おもしろい情報を発見しました。神籠石遺跡とは?Wikiより

 

神籠石(こうごいし)または神籠石式山城(こうごいししきやまじろ)は、九州地方から瀬戸内地方にある、石垣で区画した列石遺跡の総称。一般には『日本書紀』や『続日本紀』に記載がなく遺構でのみ存在が確認される山城をさす。神籠石が学会に発表されたのは、1898年(明治31)に小林庄次郎が筑後・高良山神籠石を「霊地として神聖に保たれた地を区別したもの」として紹介したのが最初である。1900年(明治33年)に九州所在の神籠石を踏査した八木奬三郎が「城郭を除いては、他にこの類の大工事なかるべし」として城郭であることを主張したのに対し、喜田貞吉が神社を取り囲む聖域であると反論したことで、神籠石の性格について霊域説と城郭説との論争が展開された。1963年(昭和38)の佐賀県武雄市おつぼ山神籠石の発掘調査で、列石の背後にある版築によって築かれた土塁と、列石の前面に3m間隔で並ぶ堀立柱の痕跡が発見され、山城であることが確定的となった。

 

※「御所ヶ谷神籠石」/行橋市教育委員会文化課より

http://www.city.yukuhashi.fukuoka.jp/doc/2015060100018/

【神籠石(こうごいし)】とは何か:「神籠石」とは久留米の高良山(こうらさん)の列石が古くからそう呼ばれていたことにならってつけられた遺跡名です。かつては神聖な場所を区画するための施設だという説もありましたが、発掘調査によって列石を基礎とした城壁(土塁)で山を囲んだ古代の山城であることがわかりました。「御所ヶ谷城」と呼ぶほうがわかりやすいのですが、明治時代以来の「神籠石」という名前が今も使い続けられています。最近では、このタイプの古代の城を「神籠石系山城」と呼ぶこともあります。

●いつ何のためにつくられたか:神籠石系山城は築造の記録が残されていませんが、発掘調査の結果7世紀後半頃に築かれたと考えられています。このころわが国は百済(くだら)救済のために朝鮮出兵し、唐(とう)と新羅(しらぎ)と戦火を交えましたが663年、白村江(はくそんこう)の戦いで敗退しました。その後、唐、新羅群の侵略に備え防人(さきもり)烽(とぶひ)(のろし)を配置するとともに大野城、基肄(きい)城、金田城など山城を築き国防体制を強化しました。神籠石山城もこの戦いの前後に国土防衛のため築かれたと考えれます。

●御所ヶ谷神籠石の特徴:御所ヶ谷神籠石は、標高246.9mのホトギ山から西に伸びる尾根の主に北斜面に広がる遺跡です。城の外周は約3kmで地形の険しいホトギ山頂周辺を除いて2km以上にわたって版築(はんちく)工法で築かれた高さ3~5mの土塁をめぐらせています。土塁が谷を渡る部分は排水口を備えた石塁が築かれます。7つある城門のなかでも花崗岩(かこうがん)の切石を巧みに積み上げ通水口を設けた中門の石塁は壮観です。城内には建物の礎石や貯水池の跡と思われる遺構、未完成の土塁などもあります。各地の神籠石系山城のなかでも御所ヶ谷神籠石は大規模な石塁や土塁に象徴されるように城としての完成度が高く、当時の中央政権が京都(みやこ)平野を北部九州の防衛の要として重視したことを示しています。

 

・・・遺跡好きの私としては、とても興味津々です。