・・・ブログNature17「ヨモギ」を掲載しましたが、やはり「當麻寺」のことを書いておかなくては、
《NEWS》2020.2.7産経新聞より
当麻寺西塔、再び姿、1世紀ぶり本格修理ほぼ完了/奈良
古代に建てられた三重塔が東西一対で唯一残る当麻寺(葛城市)で、約1世紀ぶりに行われていた国宝・西塔(高さ約25メートル)の本格修理がほぼ完了した。素屋根はすでに解体され、塔が再び姿を現している。東西両塔のうち、国宝・東塔は奈良時代、西塔は平安時代の建築とされる。平成28年から西塔の本格修理に入り、屋根瓦の葺き替えや塔を支える基壇の改修を進め、創建当初に近い姿を取り戻した。また、塔の1階部分にあたる初重の内部に残る彩色について、調査と剥落止めを施した。西塔の大規模な修理は明治44年~大正3年にかけて行われて以来、約1世紀ぶり。修理の過程で、塔を貫く心柱最上部で三重の入れ子式となった現存最古級の★舎利容器が見つかった。容器の制作時期から、西塔は飛鳥時代に創建され、その後再建された可能性が高まっている。当麻寺護念院の葛本雅崇住職は「100年、200年と安心してつないでいける環境がこれで整った」と話した。県文化財保存課は29日午前10時~午後4時、★保存修理工事現場を公開する。事前申し込み不要。
★「国宝 当麻寺西塔 保存修理工事現場公開」中止のお知らせ
http://www.pref.nara.jp/item/223895.htm#itemid223895
令和2年2月29日(土)に開催を予定しておりました「国宝 当麻寺西塔 保存修理工事現場公開」について、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から、中止することとしましたのでお知らせいたします。 なお、本事業について後日の開催予定はございません。
・・・せっかくの機会でしたが、残念。
★特別陳列「国宝當麻寺西塔発見の舎利容器」
平成31年4月6日(土)~5月6日(月)
※6月1日より、歴史博物館を開館いたします。
於:歴史博物館(奈良県葛城市忍海250番地1)/0745-64-1414
http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/13,33340,31,130,html
葛城市の北部に所在する當麻寺(真言・浄土宗)の、国宝西塔の保存修理工事(平成28年度着工)に伴い、塔の真柱の頂に納入されていた舎利容器が発見されました。當麻寺・奈良県教育委員会・奈良国立博物館による調査の結果、入れ子になっていた金製・銀製・銅製の舎利容器の時期は、飛鳥時代後期(白鳳時代)のものと発表されました。これをうけて、葛城市から所蔵者である當麻寺や奈良国立博物館に、市内での公開をしていただけるよう要望を行ったところ快く了解され、また、奈良県教育委員会などの関係各位からもご協力いただき、この舎利容器を公開させていただくこととなりました。當麻寺西塔の建立以来、大切に守り伝えられてきたこの舎利容器を、間近で鑑賞していただくことのできる絶好の機会です。この機会に一人でも多くの方にご観覧いただきたいと思います。
《NEWS》2018.11.15産経新聞より
当麻寺から舎利容器、西塔は飛鳥時代の創建か?
三重の入れ子式となった現存最古級の舎利容器が、奈良県葛城市の当麻寺(たいまでら)西塔(さいとう)(国宝)で見つかった。容器は飛鳥時代後期(7世紀後半)の制作とみられることから、平安時代前期の建築とされていた西塔は約200年さかのぼる飛鳥時代に創建され、その後再建された可能性が高まった。寺伝によると、当麻寺は飛鳥時代に聖徳太子の弟、麻呂子(まろこ)親王が河内に建てた前身寺院が二上山近くの現在地に移されたとされる。古代の三重塔が東西一対で残る唯一の寺院として知られ、東塔(国宝)は奈良時代、西塔は平安時代にそれぞれ建てられたとされてきた。
<奈良国立博物館>当麻寺西塔発見の舎利容器を公開
http://www.taimadera.or.jp/event/ev/155/
修復工事中の奈良県葛城市の当麻寺西塔から、2017年7月、金・銀・銅製の三重の舎利容器が発見された。製作時期は飛鳥時代後期の白鳳期(7世紀後半~8世紀初頭)とみられる。国内で同様の三重容器が見つかったのは法隆寺(奈良県斑鳩町)の五重塔や崇福寺(大津市)の塔跡など数少ない。その国宝級の文化財がいま奈良国立博物館で、完全な複製品と並んで公開されている(3月14日まで)。舎利容器が見つかったのは西塔の心柱の最上部で、水煙のちょうど中心部分。銅筒(高さ14.2cm、直径12.2cm)の中に納められていた。一番外側の金銅製の容器は高さ9.06cm、径10.05cmで、やや上下につぶしたような球形。鋳造後にろくろで形を整え、金メッキが施されていた。その内側の銀製容器は高さが3.1cmで、蓋には算盤玉のような形のつまみが付く。一番内側の金製容器は高さがわずか1.2cm。中に釈迦の遺骨片に見立てた舎利一粒(材質はガラス?)が紙に包んで納められていた。『大般涅槃経』によると、釈迦の遺体は金・銀・銅・鉄という四重の棺に安置されたという。これに基づいて古代インド以来、金・銀・銅などによる入れ子式の舎利容器がしばしば作製され、日本でも法隆寺などから見つかっている。崇福寺跡発見の舎利容器(近江神宮所蔵)は国宝に指定されている。いずれも白鳳期の作で、奈良時代以降は確認されていない。西塔から見つかったものも白鳳期と推定されている。当麻寺が現在地に建立されたのは681年とも691年ともいわれる。舎利容器は当初、屋根の葺き替え工事などの完了後、再び心柱上部に戻す予定だった。だが、三重容器が極めて良好な状態で残っており、古代仏教美術史上稀有な文化財と確認できたことから、現物は奈良国立博物館に寄託し、西塔には複製品を納めることになった。複製品は正確なデジタル計測に基づき、富山県高岡市在住の金属造形作家・大江浩二氏が2セット作製した。金銅製容器の中からは皇朝十二銭や寛永通宝、水晶六角五輪塔、大正3年奉納袋なども見つかったが、これらは後世の追納品のため複製の舎利容器とともに西塔に戻す。
・・・報道では金銀銅3種の容器と書かれていますが、一番小さなものは???
・・・「二上山ふるさと公園」山頂からの當麻寺遠望、いい感じです。