薬箱・救急箱 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「マスク」品切れは仕方ないけれど、デマに踊らされて「ティッシュ」や「トイレットペーパー」まで無くなるなんて、恥ずかしい限りです。

 

《NEWS》2020.2.28日経バイオテクより

新型コロナ治療薬、レムデシビルの治験は「4月に結果が得られる」

新型コロナウイルス(2019-nCoV/SARS-CoV-2)による感染症(COVID-19)を対象とした治療薬の開発が本格化してきた。米国立衛生研究所(NIH)は2020年2月25日、COVID-19を対象に、抗ウイルス薬である「レムデシビル」の医師主導治験を始めたと発表した。同治験は、NIH傘下の米国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)が主導し、米Nebraska大学と協力して実施する。また、同治験などを補完する目的で、開発元の米Gilead Sciences社が企業治験(第3相臨床試験)を開始。日本もこれらの治験に加わる方針だ。現在、COVID-19に効果があると正式に認められた治療薬は無い。治験の結果次第では、レムデシビルがCOVID-19に対する治療薬として、世界で初めて承認される見込みとなった。

 

 

★レムデシビル(米ギリアド)

ギリアドは2月26日、COVID-19を対象にレムデシビルの臨床第3相(P3)試験を始めると発表しました。試験は、重症患者400人を対象としたものと、中等症患者600人を対象としたものの2本で、アジアを中心に診断例が多い世界各国の医療機関が参加。いずれも、レムデシビルを5日間または10日間、静脈内投与し、発熱と酸素飽和度を指標として有効性を評価します。

レムデシビルはすでに、中国(中日友好医院主導)と米国(国立アレルギー・感染症研究所=NIAID主導)で臨床試験が始まっており、ギリアドによる企業治験はこれらの試験データを補完するものになるとみられています。中国での試験は4月に結果が得られる見通し。日本でも承認申請に向けた医師主導治験が3月にスタートする予定です。

レムデシビルはもともと、エボラ出血熱の治療薬として開発されていた核酸アナログ。これまでの研究では、コロナウイルスが引き起こすMERS(中東呼吸器症候群)やSARS(重症急性呼吸器症候群)への効果が示唆されており、ギリアドは2月3日に発表した声明で「今回の新型コロナウイルス以外のコロナウイルスで得られているデータは希望を与える内容だ」としています。

★カレトラ(米アッヴィ)

カレトラは、ウイルスの増殖を抑えるプロテアーゼ阻害薬ロピナビルと、その効果を増強するリトナビルの配合剤。日本では2000年にHIV感染症に対する治療薬として承認されています。

これまでのin vitroや動物モデルを使った研究では、MERSへの有効性が示されており、COVID-19に対してもバーチャルスクリーニングで有効である可能性が示されています。

米国の臨床試験登録サイト「CrinicalTrials.gov」によると、中国ではCOVID-19を対象としたカレトラの臨床試験が複数、実施中。日本感染症学会の指針によると、国内では2月21日までに国立国際医療研究センターで7人の患者に投与されています。

★アビガン(富士フイルム富山化学)

アビガンは2014年に日本で承認された抗インフルエンザウイルス薬。新型インフルエンザが発生した場合にしか使用できないため、市場には流通していませんが、国は新型インフルエンザに備えて200万人分を備蓄しています。

アビガンは、インフルエンザウイルスの遺伝子複製酵素であるRNAポリメラーゼを阻害することでウイルスの増殖を抑制します。COVID-19を引き起こす新型コロナウイルスもインフルエンザウイルスと同じRNAウイルスであることから、効果を示す可能性があると期待されています。ただし、動物実験で催奇形性が確認されているため、妊婦や妊娠している可能性がある人には使うことができず、妊娠する可能性がある場合は男女ともに避妊を確実に行う必要があります。

中国の臨床試験登録サイト「Chinese Clinical Trial Registry(ChiCTR)」によると、中国では2月28日時点でCOVID-19に対するアビガンの臨床試験が4本進行中です。

 

 

・・・ジタバタせずに「新薬」を待つしかないわけですが、「薬」と言えば

 

 

《配置販売業》

医薬品の販売業の業態のひとつである。★富山の置き薬(富山の売薬)がその典型である。日本独自の医薬品販売の形態で、医薬品医療機器等法第25条第2号、第30条~第33条に規定されている。 販売員(配置員)が消費者の家庭や企業を訪問し、医薬品の入った★箱(配置箱、預箱)を配置し、次回の訪問時に使用した分の代金を精算し、集金する仕組み(「先用後利」という。)である。配置員が配置した薬は、一般に「置き薬」(おきぐすり)と呼ばれる。

富山薬売りの歴史は、一説には、富山藩2代藩主前田正甫が元禄3年(1690年)に江戸城内で腹痛に苦しんでいた三春藩主秋田輝季に薬を与えたところ、それがよく効いたということで、諸藩より薬の行商を許可されたことが最初といわれている。売薬行商の象徴ともいうべきものに「おまけの風船」があった。それ以前の売薬土産の代表的なものが★富山絵である。売薬版画の始まりは江戸時代後期に遡るようで、ひなびた味わいの親しみやすさに満ちており、楽しみが少ない当時の人々が飽きずにこれをながめた様子が想像できる。この売薬版画は、江戸時代後期の頃から薬売りが得意先へのおまけとして配った多色摺りの浮世絵風の版画で、他にはない特色を持っている。そしてそれは、日本のおまけ商法の元祖ともいわれており、それらの版画は富山の版元によって富山で刷られていた。このことは、地方版画としては長崎絵などと並ぶものとして注目されている。また、最初の進物といわれているのが、売薬版画であり、当時は錦絵と呼ばれていた。そして江戸時代後期から明治時代後期にかけては進物の主流を占めていたのであった。その始まりについては未詳の部分も多いが、最初は江戸や上方の浮世絵を配ったものと思われる。浮世絵が進物に取入れられた理由として、軽くてかさ張らないため、持ち運びに便利であった点が挙げられる。その後、天保(1830~1844)年間前後から、歌川広重などの江戸の浮世絵作品が富山でも刷り始められたと考えられている。続いて嘉永(1848~1854)年間になると、地元の絵師である松浦守美が登場し、数多くの版画作品を描いていった。その後、明治以降、富山売薬は産業として成長し、それとともに地元富山において多くの絵師や版元が活躍した。代表的な絵師としては、松浦守義、尾竹越堂や、その弟の尾竹竹坡と尾竹国観が挙げられる。売薬版画は明治30年代半ば以降、木版から石版へと印刷技術の転換が進むにつれて次第に衰え始めた。理由としては、新聞や雑誌などが普及し、情報伝達手段としての役割を果たせなくなったことが挙げられる。また、色刷りの印刷物が珍しくなくなったことや、さらに写真の普及によって版画の魅力が失われたことも考えられる。

《参考》「住吉かるた」より

https://www.city.osaka.lg.jp/sumiyoshi/page/0000001401.html

「越中富山の万金丹」といわれた頃、富山から★薬箱の柳行李を一反風呂敷に包み背負って各家庭に配ってある薬を交換に廻って来る。富山だけではなく、近くでは大和方面からも来ていたようである。現在のように薬局が近くになかったため、各家庭では重要視されていた。

 

 

《救急箱》

応急処置のために使用される薬品や医療器具を収納した箱のことである。その置かれている場所・使う人によってその内容物・適用される外傷や疾患の種類や程度に差があるが、いずれにせよ急を要する外傷や疾患への初期対処を目的としたものである。持ち運びの弁がよく、また内容物を保管し、目的別に取り出しやすいよう、内部は仕切りなどによって小分けされている。

一般的な環境下で任意的に所持する場合の他、外部との接触が困難な状況下や危険が生じる可能性が高い状況下において、しばしば国家による所持を義務づける法令や、行政による公共施設等に対する指導が為されることがある。日本の場合、航空機という閉鎖的環境下では、医療品一式が入っている救急箱の所持が法令により義務づけられており、事件、事故によって負傷者が出たときに早急な処置を行えるように、パトカーのトランクや白バイには救急箱が用意されている。ドイツ、オーストリアでは、国内にある車すべてに対し、救急箱の所持を義務づけている。またインドの法令では、請負労働を行う際に請負人は救急箱を利用できる状態で所持しなければならないと規定している。

 

 

・・・玉手箱プロジェクトに「薬箱」を登場させたいと思います。