2020初奈良(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・どうしても行きたかった展覧会、今日までだったんです。

 

 

《奈良国立博物館》

630-8213奈良市登大路町50番地/050-5542-8600

https://www.narahaku.go.jp/index.html

●特別陳列「おん祭と春日信仰の美術」

★特別陳列「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」

https://www.narahaku.go.jp/exhibition/2019toku/glass/glass_index.html

実用的な写真技術は、19世紀前半にヨーロッパで発明されてからほどなくしてわが国にもたらされ、やがて日本人の写真師が誕生します。明治4年(1871)には蜷川式胤の発案により横山松三郎が旧江戸城を撮影し、翌年のいわゆる壬申検査(日本ではじめての本格的な文化財調査)でも数多くの宝物や建物が写真におさめられました。以来、文化財は主要な被写体であり続けます。写真により記録に残すということは、経年や修理などによる変化を避けられない文化財にとってつねに重要な課題だったのです。また写真は、いまでは常識となっている文化財という概念を社会に定着させ得る契機ともなりました。昭和10年(1935)には文部省の国宝保存事業の一環として、京都の美術印刷会社便利堂が法隆寺金堂壁画12面を撮影し、巨大壁画の精緻な記録作成に成功しました。昭和24年(1949)の火災により壁画は惜しくも損傷を免れませんでしたが、このときの写真は往時のかがやきを伝える存在として貴重です。平成27年(2015)にはこれらの写真の歴史的・学術的価値があらためて評価され、国の重要文化財に指定されました。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/364964

この展覧会では、法隆寺金堂壁画写真ガラス原板を中心に、近代以降に多くの人びとが文化財の写真撮影に精力を傾けた軌跡を振り返ります。

 

《参考》「法隆寺金堂壁画写真原板とは?」便利堂より

http://www.kyotobenrido.com/html/page13.html

https://www.benrido.co.jp/archives/1822

https://www.benrido.co.jp/archives/1828

※「原寸大コロタイプ印刷による法隆寺金堂壁画選」/岩波書店2011

 

 

《法隆寺壁画》著:春山武松/朝日新聞社★1947

【春山武松】(1885~1962)

朝日新聞社客員、美術研究家。明治18年7月15日姫路市に生れた。明治43年第一高等学校卒業、東京帝国大学文学部哲学科に学び、美術を専攻したが途中兵役のため遅れ大正3年卒業した。7年迄大学院に在籍したが、同年東京朝日新聞社客員として入社、8年大阪朝日新聞社社員に転じ学芸部美術担当となり、其後は関西に定住して、大正15年12月、美術研究の為印度、爪哇へ特派された。この間「宗達と光琳」「光悦と乾山」の著書があり、大正7年から昭和19年まで朝日新聞に美術批評を掲載している。昭和15年7月朝日新聞社を停年退職し、その後は客員となっていた。戦後の著書は、「法隆寺の壁画」(1947)、「蛍光灯下の法隆寺」(1948)「日本上代絵画史」(1949)、「平安朝絵画史」(1951)「日本中世絵画史」(1953)等がある。1962年8月22日老衰のため芦屋市で逝去した。享年77才。

 

・・・以前この貴重な本を購入、出版された2年後(1949)に火災が起こったわけです。今となっては実物は存在しませんが、消失前に限りなく近い状態で見たいと思っていたのです。

 

 

《NEWS》2016.1.26朝日新聞より

法隆寺壁画焼損、あの日刻んで26日は文化財防火デー

文化財防火デーの26日、全国各地で防火・避難の訓練が実施される。文化財防火デー制定のきっかけになったのが、壁画の模写作業が行われていた★1949年1月26日に起きた法隆寺(奈良県斑鳩〈いかるが〉町)金堂の火災だった。焼損した世界的な傑作の仏教壁画(7世紀、国重要文化財)について初の科学的な総合調査が始まったのを機に、67年前のあの日、何があったのかを振り返った。壁画は、釈迦や薬師などの群像を示す大壁4面(高さ約3メートル、幅約2・6メートル)と、各種菩薩(ぼさつ)像を描いた小壁8面(同、幅約1・5メートル)からなる。1940年に当代一流の画家による模写が始まったが、49年1月26日、堂内からの出火で焼損し、ほとんどの色彩が失われた。土壁ごと取り外され、合成樹脂や鉄枠で補強され、境内の収蔵庫で保管されている。法隆寺は文化庁と朝日新聞社の協力のもと、学識者でつくる「保存活用委員会」を2015年12月に設立。3年かけて劣化の有無や最適な保存環境を最新の科学で探り、焼損から70年となる2019年をめどに中間報告をまとめる。その成果を踏まえ、一般公開の可能性も検討される。1949年1月26日早朝の法隆寺金堂の火災について、朝日新聞大阪本社は同日、「けさ法隆寺 金堂全焼」の号外を発行した。物資不足の当時、朝日新聞は数ページ、朝刊のみの発行。火災翌日、27日の大阪本社版は表裏2ページだったが、1面の約半分が火災の記事に当てられ、「法隆寺金堂炎上」「国宝壁画大半失う 解体中の内陣を全焼」の見出しが並んだ。裏面には「忘れられた国宝」と題し、各地の文化財保護体制の不十分さを指摘する記事を掲載した。当初から、報道の焦点は火災の原因だった。26日号外では「漏電説が有力」と報じ、27日の紙面では壁画模写の現場で使われていた絵の具の接着剤を溶かすためのヒーターや、座布団に電熱線を仕込んだ電気座布団の過熱の可能性を指摘した。その後、現場責任者や電気座布団を作った業者が起訴されたが、結局原因は特定できず、失火については全員が無罪になった。もう一つ注目されたのが焼損した金堂壁画の行く末だ。29日の紙面では「12面とも抜き取り 大宝蔵殿に保管」と、壁画を取り外して保管するという文部省(当時)の方針を報じる一方、それに法隆寺の佐伯定胤住職が★「生体解剖に等しい」と強く反対していることも伝えている。2月6日付の「声」欄では、壁画の取り外し保存を巡って「当事者の善処に任せるのが妥当」「信仰とともに保存されてきた壁画を他へ移せば単なる美術品になる」と賛否の投書を紹介した。

 

・・・「生体解剖に等しい」、その通りです。しかし、現実はそうせざるを得ない。むむむ

 

 

《参考》特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」於:東京国立博物館

会期:2020年3月13日(金)~5月10日(日)

https://horyujikondo2020.jp/

本展は1949年に焼損した金堂壁画★模本や再現と、23年ぶりに東京で公開される国宝・百済観音を主に展観するもの。

 

《NEWS》2019.11.26朝日新聞より

「法隆寺、金堂壁画を調査」

飛鳥時代の美を今に伝えるとともに、火災による被害の大きさも伝えてくれる奈良・法隆寺金堂の焼損壁画(7世紀、国重要文化財)。この焼損壁画を保存するための初めての科学的な総合調査が、文化庁と朝日新聞社の協力で進んでいる。法隆寺金堂壁画保存活用委員会(委員長=有賀祥隆・東京芸術大学客員教授)の調査で収蔵庫の耐震性が確認され、今後は★一般公開の可能性や具体的な保存対策などが検討される見通しだ。約2年間にわたる調査を通じて、壁画を保管する収蔵庫の建築的価値など新たな発見も得られている。

1949(昭和24)年に起きた火災で焼損した奈良県斑鳩町の法隆寺金堂壁画(7世紀、国重要文化財)にわずかに残っていた色彩が、1億5千万画素の高精細デジタル写真で確認された。奈良市の奈良国立博物館と奈良文化財研究所が10月初め、1号壁の釈迦浄土図(高さ約3・1メートル、幅約2・6メートル)の20カ所について、初めてデジタル撮影を実施した。鮮やかな緑や朱などが一部に残っていることが確認でき、約1300年前の飛鳥時代に描かれた極彩色に迫る新資料として期待される。壁画は作者不明で、現存する日本最古の仏教絵画。金堂内の大小12の壁に釈迦如来や薬師如来、観音菩薩などが描かれ、中国の敦煌莫高窟の壁画などと並ぶ世界的な傑作とされる。金堂の解体修理中の49年1月に無人の堂内から出火し、全面が焼け焦げてほとんど色彩を失った。その後は境内の収蔵庫に周りの柱などとともに安置されてきた。デジタル撮影は、2015年に法隆寺が文化庁と朝日新聞社の協力のもとに発足させた「法隆寺金堂壁画保存活用委員会」(委員長=有賀祥隆・東京芸術大客員教授)が計画。壁画の本格的な撮影はモノクロ時代の★1935年以来で、中央の釈迦如来像の帯に残る赤色や左側の羅漢像の衣にある緑青、左上部の飛天像の足裏に残る朱線などの色彩を記録できた。

 

 

★ノートルダム大聖堂の火災/2019年4月15日~16日(現地時刻・CEST)

★首里城の火災/2019年10月31日午前2時40分ごろ~鎮火まで約11時間

 

《文化財防火デー》文化庁より

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/hogofukyu/boka_day.html

毎年1月26日は、「文化財防火デー」です。文化財防火デーの制定は、昭和24年1月26日に、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上し、壁画が焼損したことに基づいています。この事件は国民に強い衝撃を与え、火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まり、翌昭和25年に文化財保護の統括的法律として文化財保護法が制定されました。その後、昭和29年11月3日に法隆寺金堂の修理事業が竣工し、文化財保護行政も確立するとともに、文化財保護思想の一層の強化徹底を図るために普及啓発事業が行われるようになりました。その一環として、法隆寺金堂の焼損した日であること、1月と2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから、昭和30年に、当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が1月26日を「文化財防火デー」と定め、文化財を火災、震災その他の災害から守るとともに、全国的に文化財防火運動を展開し、国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図っています。昭和30年の第1回文化財防火デー以来、毎年1月26日を中心に、文化庁、消防庁、都道府県・市区町村教育委員会、消防署、文化財所有者、地域住民等が連携・協力して、全国で文化財防火運動を展開しています。平成31年1月の第65回文化財防火デーでは、法隆寺(奈良県斑鳩町)や護国寺(東京都文京区)で大規模な防火訓練が行われたのをはじめ、全国各地の文化財所在地で防火訓練等が実施されました。

 

・・・そんなこんなで、2020は「法隆寺」から始めようかな(初心)と思っています。