氣になる玉手箱展(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《参考》大阪府立中央図書館/国際児童文学館企画展示「魅せます!紙芝居展」

2019年11月15日(金)~12月28日(土)

https://www.library.pref.osaka.jp/site/jibunkan/misemasu.html

https://www.library.pref.osaka.jp/site/jibunkan/misemasu2.html

★戦時下国策宣伝紙芝居への展開

1937(昭和12)年7月に日中戦争が始まり、国民精神総動員運動が推進されていきました。印刷紙芝居は、政府や軍部の後押しによって、戦意高揚・軍人援護・貯蓄奨励・銃後生活指導などの戦争国策を強力に宣伝するメディアとして、子どもだけでなく大人をも対象とするようになり、戦時下を通して飛躍的な発展を遂げていきました。国策宣伝紙芝居の制作には、コロンビアレコードやキングレコードなど大手レコード会社や朝日新聞社など、既存のマスコミ関連企業も参入しましたが、もっとも大がかりに推進していったのは、1938(昭和13)年7月に設立された★日本教育紙芝居協会でした。以前から、児童校外教育研究所や日本教育紙芝居連盟といった組織を立ち上げ、個人的に教育紙芝居の普及に尽力していた松永健哉が中心となって創設したものです。また、街頭紙芝居業者たちが集結して設立した大日本画劇株式会社も、国策宣伝の印刷紙芝居を数多く送り出しましたし、戦局が進むにつれて、かつてキリスト教伝道紙芝居や幼稚園紙芝居を制作していた人たちも、国策宣伝紙芝居を手がけるようになっていったのでした。日本教育紙芝居協会は、機関誌『教育紙芝居』(後に『紙芝居』と改題)や各種のパンフレットを発行し、紙芝居は「いつでも、どこでも、だれにでも」できるものとして、その普及を強力に推進していきました。制作した紙芝居作品を頒布するだけではなく、その初期においては作品の貸出も行っていました。創立直後から、官庁や公的機関の援助による国策宣伝紙芝居の制作によって経営基盤を固め、やがて1940(昭和15)年、朝日新聞社の出資で設立された日本教育画劇株式会社にその経営を委ねたことで、戦時下における最大の紙芝居発行所へと成長していったのです。

 

 

《参考》「学制百年史編集委員会」/文部科学省(社会教育団体の統合)

https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317717.htm

★大日本青少年団の結成

社会教育に関する団体は中央・地方を通じてその数きわめて多く、しかも無統制に発達したため、しばしば重複しているばかりでなく、団体相互の調和を欠いて不要の摩擦を生じ、かえって社会教育の進展をはばむような場合もないではなかった。したがって、それら類似の諸団体を統合・整理して、社会教育活動の強化を図る方針はすでに昭和14年のころから用意されつつあった。その先端を切ったのが大日本青少年団の結成であった。日華事変の進展に伴う内外情勢の推移とともに、青少年団の統合はすでに早くから各方面で問題とされていたが、いわゆる新体制運動が全国的に展開することとなって、ようやくその機運が成熟した。文部省では15年9月以降、大日本青年団・大日本連合女子青年団・大日本少年団連盟ならびに帝国少年団協会の幹部たちと協議の結果、新たに大日木青少年団を結成して大同団結をすることに決定をみ、16年1月16日、日本青年館において結成式が挙行された。その組織・機能については、同年3月14日文部省訓令によって示された。すなわち統合の趣旨は高度国防国家体制の要請に即応して、学校教育と不離一体のもとに強力な訓練体制を確立しようというのであり、その組織としては文部大臣統轄のもとに、地方長官を道府県青年団の団長とし、青年学校長および小学校長をそれぞれ単位団の団長とした。一般団員は二十歳までとし、指導者の場合は25歳までを認めた。このようにして新発足した大日本青少年団は青少年に対する統一的な戦時的訓練と活動を次々に展開した。神祇(き)奉仕・貯蓄奨励運動・軍人援護活動・教養的諸活動・健民運動・国防訓練・勤労奉仕・興亜運動などはその主なものであるが、特に青少年指導者に関しては、その一般錬成・大陸現地訓練・海洋訓練・指導者錬成・女子戦時生活指導者訓練などが行なわれ、また国防能カならびに国防特技検定制度の普及・指導が行なわれた。さらに国民総動員体制の強化につれて、青少年団の活動はますます重大性を帯びることとなり、都市女子青年の農村勤労奉仕、北海道食糧増産のための勤労奉仕隊派遣、満洲建設女子勤労奉仕隊など、時局の切実な要請に応じる顕著な活動が多面的に展開された。なお、17年6月、大政翼賛会の強化に際し、大日本青少年団もその傘下に置かれ、いっそう時局的活動の推進を要求されることとなった。

 

 

NEWS2018.5.7読売新聞より

『国策紙芝居からみる日本の戦争』/編著:神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター「戦時下日本の大衆メディア」研究班(代表・安田常雄)/勉誠出版

紙芝居は、昭和初期の日本で生まれた。戦後、GHQは紙芝居というメディアを初めて知り、児童への影響力に驚き、厳格な検閲を行った。今日ではその教育効果が再評価され、途上国や欧米でも手作りの「kamishibai」の新作が上演されている。紙芝居といえば、大人が街角で子供を集めて駄菓子を売る「街頭紙芝居」が思い浮かぶが、宗教家や教育家が作る「教育紙芝居」や、政府・軍・翼賛団体の指示で作られた「国策紙芝居」もあった。1937年から45年までの国策紙芝居は、敗戦後、大半が焼却された。本書は、神奈川大学が研究資料として所蔵する国策紙芝居の作品241点についての研究報告書である。前半の解題篇では、国策紙芝居の作品をカラー図像、あらすじ、解題によって紹介する。後半は論考篇とデータ篇である。国策紙芝居は、絵がらも内容も個性的だ。横山隆一の漫画の主人公「フクチャン」がお小遣いで戦時国債を買う日常系の作品もあれば、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ撃沈の航空作戦を描く劇画戦記もある。今は死語になって久しい「健康優良児」金太郎の話や、一ツ目小僧をつかまえに行った見世物師が彼らの国で「二ツ目小僧」として見世物になる寓話など、戦時色を感じない昔話もある。出征兵士の死と残された家族の表情を描く「チョコレートと兵隊」や「時計は生きてゐる」、真夜中の防空壕を全編白黒で描く異色作「午前二時」=画=などは、そのまま平和教育にも使えそうだ。どの作品も、子ども相手だからといって、全く手を抜いていない。後半の論文も興味深い。例えば、国策紙芝居には天皇の姿が全く描かれない、という指摘は鋭い。これは戦後の特撮映画で怪獣が皇居をスルーする源流かもしれない。紙芝居は、あなどれない。本書は、日本人の深層を考えるヒントの宝庫でもある。

 

 

★「戦争の時代ですよ!若者たちと見る国策紙芝居の世界」/著:鈴木常勝/大修館書店2009

https://www.taishukan.co.jp/book/b198171.html

戦時中に国威発揚のメディアとして力を発揮した国策紙芝居。人々は「軍事活劇」に胸を高鳴らせ、「軍国美談」に涙した。本書は現存する国策紙芝居のなかから代表的な作品を紹介し、若者たちの論議を通して、戦争プロパガンダについて考える。図版多数。

 

《おまけ》「哀しき紙芝居」著: 笑福亭鶴瓶/シンコーミュージック・エンタテイメント1982

僕の心のなかには、2人の人間が同居している。ひとりはもちろん、噺家・笑福亭鶴瓶、そしてもうひとりが、駿河学という男である。僕の胸の奥では、いつもこの2人が手を取りあったり、つかみあいの喧嘩をしていたりで、とにかく常にお互いを意識しあっている。そして困ったことに、どういう形であれ、この2人が納得してくれないことには、僕は、一歩も前へ進むことができないのである。この本は、笑福亭鶴瓶、ならびに駿河学の合作といってよい。本来なら、著者名も、2人の連名にさせていただきたい程なのである。1982年に出版された鶴瓶さんの自伝的 エッセイです。30歳になられたばかりの頃に書かれた。人気噺家に なるまでの自伝。今でも高座で語られるエピソードや妻との純な交際の経緯、芸人論。

 

 

・・・「紙芝居」と言えば、公園(空地)そして自転車、拍子木ですよね。

 

 

・・・2019年6月には、すでに「紙芝居」をBOX展示しています。その作品を、今回のピースアクションで復活(活用)させたいと思います。