ドーンセンター | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《大阪府立男女共同参画・青少年センター「ドーンセンター」》

540-0008大阪市中央区大手前1-3-49/06-6910-8500

http://www.dawncenter.jp/top/index.jsp

設計★安井建築設計事務所/施工:大林・南海・西武共同企業体

https://www.yasui-archi.co.jp/works/detail/wk-awards/o1994044/index.html

※「共同参画」2012年7月号より

http://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2012/201207/201207_11.html

1994年(平成6)「大阪府立女性総合センター」の名称でオープンしました。その後、府行財政改革による施設管理部門への指定管理者制度導入、青少年健全育成機能の付加に伴う現名称への変更を経て開館19年目を迎え、年間30数万人の方々に利用されています。愛称のドーンとは、物事の始まり、夜明けを意味する英語のDAWNと、★「ドーンといってみよう」という大阪の女性たちの心意気を兼ねた言葉です。その名のとおり、事業では「情報」「相談」「啓発」各部門が連携して、先駆的なプログラム開発に取り組んできました。当事者や専門家へのヒアリング調査に基づく「男女共同参画施策に関わる職員のための研修プログラム」がその1つ。折々の社会動向と行政施策の方向に応じて内容を刷新し、人事異動で初めて男女共同参画担当になった自治体、女性関連施設職員のみなさんから「基礎から応用まで、体系的でわかりやすい」と評価いただいています。女性の視点による文化表現事業も特色ある取組みの1つです。オリジナルを主とした演劇公演「女性芸術劇場」や映像フェスティバルを開催し、女性の文化・表現活動を支援するとともに、女性に対する固定的な社会意識の変革を目指しています。これらの事業を担っているのは、一般財団法人大阪府男女共同参画推進財団です。ドーンセンターと同様、財団のあり方も行財政改革によって大きく変わってきました。現在、指定管理業務(施設管理)は、当財団を代表にNPOなど4者で構成する事業共同体で、提案公募方式となったソフト事業は財団単独で、それぞれ受託しています。施設管理と事業が分離した仕組みながら、財団としては「ハードとソフトの一体運用による施設機能の向上」を掲げ、パイロット事業を軸に多様な事業を展開しています。

 

・・・安井建築設計事務所には、先日の「イケフェス」で訪問させていただいたばかりです。

 

 

《NEWS》2019.11.25朝日新聞より

女性作家の作品、巡って出会って

男女共同参画を進める「ドーンセンター」(大阪市中央区)が、女性作家による館のアートを巡るスタンプラリーを27日、開催する。今月開館25周年を迎えるのを記念した。ドーンセンターは1994年11月に開設。労働や子育てなどについて相談を受け付けたり講座などを開いたりしている。女性画家や写真家の画集や写真集などを集めたコーナーも設けており、女性の表現活動も応援してきた。スタンプラリーでは、館内外の絵画やモニュメントなど6作品を巡り、館内で配布している台紙にスタンプを押す。女性写真家の草分け★山沢栄子さん(1899~1995)の陶板作品など、通常自由に見学できない場所にあるものも見ることができる。6作品巡った人には先着で「プレゼント」も用意している。

 

・・・これまでも作品は観てきましたが、「プレゼント」につられて再訪問です。

 

《参考》大坂城豊臣石垣公開プロジェクト

https://www.toyotomi-ishigaki.com/index.html

★大阪城北辺に保存された豊臣時代の石垣

大坂城跡では1000件を超える発掘調査が行われています。そのなかで、徳川期大坂城でも城内への出入口となった京橋口、大手口、玉造口周辺で豊臣時代にさかのぼる防御施設が見つかっています。京橋口周辺で遺構が初めて発見されたのは、昭和59年に行われた追手門学院小学校の校舎建て替えに伴う調査です。その後、平成1・2年に実施された★ドーンセンターの調査などで延長150mに及ぶ東西方向の石垣であることが明らかとなりました。発見された石垣は、築かれた年代が出土した木簡から慶長3(1598)年以降と考えられること、裏込めが少なくあまり高い石垣は築かれていないのではないかと考えられること、大坂夏の陣以前に破壊されていること、少なくとも2度の造り替えが行われていること、場所によって積み方や石材が異なっていることなどの特徴が見られます。もっとも残りのよい部分はドーンセンターの敷地で見つかった花崗岩の自然石を中心とした石垣で、現在、ドーンセンターの敷地北端に移築復元されています。実際に石垣が発見された位置は、復元されている位置より約20m南側の地下約3mで見つかっています(図2)。ていねいに復元されており、豊臣期大坂城の石垣を自由に見学できる唯一の場所として貴重な見学スポットとなっています。また、ドーンセンターの東隣にある追手門学院小学校では、校舎の建て替え工事に先立つ発掘調査でドーンセンターで発見された石垣と連続する石垣が発見されています。発見された石垣を比較しますと追手門学院で発見された石垣の石材は、花崗岩に加えて安山岩の割り石が目立っています。総延長150mの石垣の中には石材や積み方が明らかに変化する場所があり、その変化も京橋口の豊臣期石垣の特徴となっているといえます。

 

 

【多田三波】(1924~2014)

http://www.tada-ken.co.jp/

★「SOAR」高く上がる、舞い上がる、エンジンを止めて同高度を飛ぶ、滑空する、高まる、高揚する、そびえる、暴騰する。

 

・・・多田三波さんの「スペース・アイ」が好きで、大ファンになりました。1972年に須磨区の離宮公園に建てられ、その後、大倉山の中央体育館付近に移設、1981年に東遊園地に移築されました。そして2015年、傷だらけの初代が撤去され、二代目が設置されています。

 

 

【福田美蘭】(1963~)

1963年東京生まれ。デザイナーの福田繁雄(1932~2009)を父にもつ画家。祖父は童画家の林義雄。1985年東京芸術大学美術学部絵画科卒業、1987年同大学院美術研究科修了。さまざまなメディアや複製技術の氾濫する現代における美術に対して洞察の目を向ける作品を制作。1989年安井賞、1991年インド・トリエンナーレで金賞、1992年現代日本美術展で群馬県立近代美術館賞、1994年VOCA賞、1996年フィリップモリス・アートアワード1996優秀賞など数多くの賞を受賞。1999年現代グラフィックア−トセンタ−で個展開催。

 

【夏原晃子】(1938~)

https://das.or.jp/?page_id=1015

立体造形作家。1938大阪市に生まれる。1962京都市立美術大学(京都市立芸術大学)図案科専攻科修了。1978以来アクリル樹脂による立体造形の設計による作品を発表(uselessuse)(Acrilycillusion)。1992大阪国際トリエンナーレ彫刻で朝日放送賞受賞。★1994大阪府立ドーンセンターに空間造形を吊り下げ設置1995大阪府とフランスの芸術家交換で南仏ALBI市に招待滞在、個展。1995デンマークBLNDE市国際芸術家制作事業に招待、個展/グループ展で最高賞受賞、以後スペイン、イタリア、デンマーク等の企画個展グループ展。2003大阪府岸和田市立(波切ホール)大壁面に作品設置、他。2001以来「大阪まちなみ賞」審査員。

 

 

【中村容子】

大阪市出身。大阪府立八尾高等女学校(現山本高校)卒業。欧風刺繍の基礎を西浜恭氏に学ぶ。1980中村容子欧風絵画刺繍協会設立。大阪、東京中心に、各地で欧風刺繍絵画展を開催。亡くなられたようです。

 

【山沢栄子】(1899~1995)

★山沢栄子「私の現代」展/於:東京都写真美術館

2019年11月12日(火)~2020年1月26日(日)

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3445.html

1899年大阪に生まれ、1920年代のアメリカで写真を学び、1930年代から半世紀以上にわたり、日本における女性写真家の草分けとして活躍しました。当初はポートレートの撮影を主な仕事としていましたが、晩年の1980年代には抽象絵画のような写真作品を制作する作家として知られていました。とりわけカラー写真による色鮮やかな作品群は、当時の日本では他に例を見ないものでした。〈私の現代 / What I Am Doing〉と題して発表されたこのシリーズには、きわめてコンセプチュアルな表現も含まれています。生誕120年を記念した本展では、1970–80年代に手がけたカラーとモノクロによる抽象写真シリーズ〈What I Am Doing〉を中心に、 抽象表現の原点を示す1960年代の写真集、 戦前の活動を伝えるポートレートや関連資料などを展示し、写真による造形の実験を重ねることで、独自の芸術表現に到達した作家の歩みを辿ります。
また、本展ではTOPコレクションから、アルフレッド・スティーグリッツやポール・ストランド、 アンセル・アダムス、エドワード・ウェストン、イモジェン・カニンガム、ラルフ・スタイナーほか、 ファッション・広告写真のセシル・ビートン、ジョン・ローリングス、ポール・アウターブリッジ・ジュニアらの作品も加えて紹介し、1920年代以降のアメリカ近代写真の状況と山沢への影響を探ります。

※西宮市大谷記念美術館

http://otanimuseum.jp/exhibition_190525.html

 

 

《情報ライブラリー》

https://www.dawncenter.jp/libsrch/

ドーンセンター情報ライブラリーは、女性関係情報の専門情報センターです。女性問題の解決、男女共同参画社会の実現をめざすさまざまな活動を情報でバックアップするために、図書・行政資料・雑誌・グループ資料・視聴覚資料・各種データなどを広範囲にわたって収集しています。どなたでもご利用いただけます。

 

・・・三岸節子さんの作品「花」は、情報ライブラリー内に展示されているため画像を撮影することができませんでしたので、他の作品を紹介します。

 

【三岸節子】(1905~1999)

父親が尾張物工場を営む裕福な家庭に生まれましたが、第一次大戦後の不況の煽りを受けて実家が破産してしまいます。この時から興味のあった絵画で名誉の挽回を図りたいと強い意志を持ちます。16歳で上京し、洋画家の岡田三郎助に師事し、女子美術学校に編入し、首席で卒業。19歳で洋画家の三岸好太郎と結婚し同年出産。春陽会に初出品し画壇のデビューも果たしました。1925年に「婦人洋画会」を結成し、画壇での女性の向上に努めていましたが、夫・好太郎が1934年に死去。夫の死後も画家として生きる道を選び、1946年、現在も活動している「女流画家協会」を創立し、1954年、49歳の時、息子と共にフランスへ渡り、ヨーロッパ中を巡って風景画の傑作を作りました。1989年、84歳で帰国し、神奈川県大磯に自宅とアトリエを構え、体の衰えと戦いながら制作し続けました。1990年、朝日賞受賞。1994年、女流画家として初めての文化功労者となります。1998年、生家跡地に尾西市三岸節子記念美術館が開館。1999年、94歳、急性循環不全のため死亡。