《前田慶治邸》
639-2225奈良県御所市中本町1161/0745-65-1522
もとは大和絣を扱っておられましたが、昭和2年から紙類の卸と小売りを始められました。江戸末期の建築です。
※「御所のむかしむかし」 御所おはなしの会により「御所のむかしむかし」を平成13年11月に第一巻、平成21年5月に第二巻を発刊しました。発刊以来、御所 市内の子供中心に、多くの方に御所のむかし話を語り伝え、おはなしを通して楽しさや夢をあたえています。
《参考》
http://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001523.html
●「背割下水」(石積みの下水溝)
御所まちは、江戸時代初期に形成された陣屋町です。その後も奈良中南部の中心地として繁栄を誇ってきました。御所まちは、一つの川をはさんで西岸には商業都市の西御所、東岸は寺内町の東御所と、二つの町が形成され、江戸時代の検地絵図がいまでも使えるほど、町のかたちはよく残っています。家々の間を流れる★水路(背割り下水)まで、ほぼ当時の姿をとどめています。伝統的な建物がたくさん並ぶ風情ある街をぜひご覧ください。近世の町並みをベースに、明治・大正・昭和、そして平成という時間と生活の積み重ねがそこにあります。みなさんのお越しをお待ちしております。
●「大神宮」
御所まちでは、他にもさまざまな伝統行事が行われています。6月16日には、「大神宮さん」のお祭があります。大神宮さんは、西御所のなかにある伊勢の神を祀る小さな社で江戸末期にあった“おかげまいり”のあと創建されたものだと伝えられています。当日は露店も出て、浴衣姿の子どもたちが楽しげに集い、この日にあわせて、御所まちでは柿の葉寿司(当地では鯖寿司と呼ばれる)が一斉に作られます。
●「御所柿」(ごしょがき)
http://www.pref.nara.jp/item/90849.htm
御所柿は室町から江戸初期頃に、御所まち近辺で突然変異により出現したすべての甘柿の原種とされる柿の品種です。他の柿より小ぶりで、先がわずかに尖っており、しばしばヘタが五弁、果実も五角形のものが多く出るのが特徴です。果肉は柔らかく、糖度も高く上品な味ですが、生産量が少なく、市場にほとんど出てこないので、幻の柿ともいわれています。現在、市民有志や柿生産農家等で御所柿振興の取り組みが行われています。「五所柿」や「やまとがき」、「ひらがき」などとも呼ばれています。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は正岡子規の有名な句ですが、ここに登場している柿が「御所柿」だと言われています。
・・・御所再訪の引き金となった「蔵シックコンサート」、まもなく始まります。
《玉吉(タマキチ)洋品店》
639-2223奈良県御所市本町1322/0745-62-2144
わざわざ蔵を片付けて、コンサート会場にしてくださったとか。照明さんもご苦労さんでした。
・・・ピアノの菅原真美さんは「船宿寺」の奥様だとか、お寺の方にも行ってみたいですね。
《西川邸》旧芳本甚二商店
639-2213奈良県御所市神宮町1278/0745-62-2028
《参考》御所市の歴代市長
初代:岸本清(1958年~1974年)/2代:今井増一(1974年~1978年)/3代:和田保信(1978年~1978年)/4代★芳本甚二(1978年~1996年)/5代:前川正(1996年~2008年)/6代:東川裕(2008年~ )
※第4代御所市長・芳本甚二氏が2014年7月5日にお亡くなりになりました。享年94歳でした。ご家族のご希望でマスコミ等には公表せず、近しい人のみでの告別式が行われました。氏は昭和53年10月に御所市長に就任以来、平成8年5月に退任するまで、17年間7ヶ月の長きにわたり市長を務められ「和のある街づくり」を政治の基本として、豊富な経験と卓越した見識をもって御所市の発展に大きく貢献されました。義務教育施設や社会教育施設の整備、同和対策事業の推進、社会資本の充実、福祉対策等々、その功績は多方面にわたり、今の御所市の基盤を創られたと言っても過言ではありません。いわゆる親分肌で誰に対しても面倒見が良く、温厚でありながら信念を貫く姿勢は多くの方々に尊敬されていました。