風の王国(40)瀬戸内12 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・バスで「西宝伝」まではかなり時間はかかりますが、このバスターミナルに是非来てみたかったのです。

 

《西大寺バスセンター》

704-8112 岡山市東区西大寺上1-1-50/086-943-3833

https://www.ryobi-holdings.jp/bus/

両備バスのバスターミナルで両備ホールディングス★創業の地でもある。1962年9月8日までは両備バス系列の西大寺鉄道西大寺市駅だったが、廃止に伴い敷地を転用した。ターミナルの建物南側に、西大寺鉄道★キハ7が静態保存されている。また旧西大寺鉄道の本社建物もバス営業所として現存しており両備ホールディングス登記上の本店の機能も有している。2009年3月13日から5月24日まで西大寺鉄道開業及び両備グループ創業100周年を記念して「おめでとう!100歳 ありがとう!100年西大寺鐵道展」が開催された。

https://keben.100th.jp/index.html

今後はギャラリーをキハ7号の車内に併設をし、両備ホールディングス・両備バスカンパニー西大寺営業所の営業所事務所を改装し、西大寺鐵道記念館にする計画が出ている。

 

 

★「范曽美術館」

両備バス西大寺バスセンター2階

https://yumeji-art-museum.com/hanso/

范曽美術館は、范曽氏と初代・両備文化振興財団理事長故★松田基(もとい)との深い親交のもとに作品を蒐集し、その親交の証として、美術館と范曽氏の貴重な作品や資料を末代まで大切に保管をしていくとの意思を受け継ぎ、現在に至っています。夢二郷土美術館の初代館長でコレクターでもある松田は「夢二の手弱女(たおやめ)ぶり、范曽の益荒男(ますらお)ぶり」と評しております。近年、中国人画家の作品は高い評価と注目を集めています。中でも范曽氏は豊かな歴史的素養に基づいた人物画と、格調高い書に加え、詩や文章にも通じた“三絶の人”と称えられています。また、後楽園の名称の由来となった「先憂後楽」の言葉を遺した北宋の名臣・范仲淹の直系の子孫でもあります。范曽美術館は、中国本国にも存在しないため「幻の美術館」と話題を集めている★世界唯一の美術館です。范曽美術館は、毎年2月第三土曜日の西大寺観音院会陽の行事にあわせて、3日間特別開館をいたします。

 

 

【范曽(はんそう)】(1938~)

中国江蘇省南通市出身。1955年南開大学歴史系入学。1957年中央美術学院美術史系に転入学、中国画系に転入。1962年卒業後、中国歴史博物館に就職。1978年中央工芸美術学院教職に転職、1984年天津南開大学東方芸術系主任に転任。南開大学文学院終身教授、南開大学文学院、歴史学院博士指導教師、北京大学教授、北京大学中国文化書院指導教師、北京大学中国画法研究院院長、中国芸術研究院博士指導教官、中国人民大学国学院指導教官、研究員、中国海洋大学人文社会科学研究院院長、中国書画収蔵専門委員会主席等を歴任。ユネスコより“多元文化特別顧問”称号を授与。中国当代の詩、書画、歴史、哲学を一身に重ね持つ文化大家であり、多数の国と地域で展示、収蔵される。

下書き無しで一気に描き上げる圧倒的で豪放な筆致、深い文学的要素に富み、詩・書・画に優れた三絶の画家として現代中国画の鬼才と称され、史学の知識に基づいた躍動的な人物画が特に人気があり、東洋の至宝と世界的に高い評価を受けている。岡山後楽園の由来となった「先天下之憂而憂、後天下之仁者楽而楽(天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)」を記した「岳陽楼記」の著者・范仲淹(はんちゅうえん)の子孫。1938年江蘇省南通市生まれる。北京市中央美術学院に中国画を学ぶ。1979年栄宝斎代表団とともに来日、東京・大阪で作品展を開催。1984年4月、松田基が蒐集した作品を公開する岡山市西大寺に「范曽美術館」が開館(両備文化振興財団)、南開大学東方芸術系主任教授に就任する。1986年「10人の画家訪米団」に参加、ワシントン、ニューヨークなどで作品展開催。1987年にはドイツで作品展を開催、その後も東京・大阪・京都・岡山など日本各地で個展を開催している。ユネスコ“多元文化特別顧問”。

 

・・・年に3日間だけの開館とは、よほど幸運でなければ観れないなあ。

 

 

《宝伝》

岡山市唯一の海水浴場があり 関西圏では結構有名な“日本のエーゲ海”牛窓の隣に位置する港町。このあたりの瀬戸の海は島も多く、古代から九州~難波の津間の交通の要所だった。宝伝の集落には“宝神社”なる神社が存在し、宝伝の名前に大きくかかわっているらしい。そして、その北数キロの地点に由緒正しき神社“安仁(あに)神社”が存在する。安仁神社の主祭神は五瀬命(いつせのみこと・神武天皇の長兄)他に、稲氷命(いなひのみこと・同次兄)御毛沼命(みけぬのみこと・同三兄)も祀ってある。安仁神社安仁(あに)=兄、神武天皇の兄に由来するだけでなく沖縄(海人族)につながる。沖縄には“あに”とつく地名や苗字が多く存在する。宝神社宝神社は 主祭神は木花開耶姫(このはなのさくやひめ)の子・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)山幸彦である。この神社の由来には“龍”が大きくかかわっている。そして、大蛇に由来する祠が存在する。昔、ここを開発する時に丸太ほどの太さの蛇がおり、ゆっくりとどこかに消えていったらしい。その蛇がいた宝伝の浜を見下ろす山上辺りには小さな祠があるらしい。そして、目の前の犬島には“犬石”という巨岩があり「イワクラ」として祀られている。

 

 

・・・結局、最初から最後まで乗客は私ひとりという贅沢なバスの旅でした。

 

 

《犬島》

https://www.okayamania.com/chimei/bizen/inujima.htm

犬島は岡山市に属する島としては唯一の有人島です。岡山市東区の沖合いに浮かぶ犬島などの島々を指す犬島諸島という名称は、犬ノ島にある奇岩・『犬石』に由来します。まるで犬がうずくまっているようにも見える形の石で、地元の人々からは犬石様と呼ばれて親しまれています。(注:現在は私有地の為、犬石様のお祭りの際のみ閲覧可。)犬島は古くから花崗岩の産地としても知られ、地元の岡山城、後楽園や大阪城の改修時には、この犬島の石が利用されました。

犬島にはもう一つの由来が伝わっています。岡山に伝わる桃太郎伝説の後日談として、鬼退治に同行した犬に、褒美として島が与えられたという伝説があります。その島こそが犬島だとする説です。

http://www.city.okayama.jp/higashiku/soumu/soumu_00099.html

岡山県南東部の宝伝から約3km、定期船で約7分ほどの瀬戸内海国立公園内にある周囲約4km(徒歩で約1時間)の小島です。「犬島みかげ」と呼ばれる花崗岩の産出で知られ、大阪城や江戸城、岡山城の石垣、明治の大阪港築港でも礎石の切り出し場となりました。美術館として生まれ変わった精錬所跡や「家プロジェクト」などアートスポットとしても人気です。

http://www.city.okayama.jp/museum/inujima-scene/index.html

また、★芸大生による石の彫刻が点在する海水浴場やキャンプ場もあり、個人でも泊まれる「犬島自然の家」では天体観測やシーカヤック、海釣り等自然体験活動もできます。

http://www.city.okayama.jp/museum/inujima-stone/index.htm

平成10年、犬島海水浴場に未来に向けて夢の石彫作品が完成しました。芸大の学生たちによる、若者の感性で個性豊かな作品が海水浴場に納まりました。海の青さと蒼く高い空にマッチし溶け込んで、訪れた人々に何か語りかけようとしています。犬島は石の産地としておよそ400年も前から掘り出され、岡山城、大阪城の石垣や大阪築港の際の石として広く使われてきました。今まで島では石彫の芸術的な作品はなかったのでうきうきしています。これを機会に、芸術が身近な物として受け継がれていくことでしょう。犬島のシンボルになるだろうとキラキラと輝く石彫作品に思いを込めて、アートの島として芸術性豊かな作品がこれからも犬島の石で作られたらどんなに素晴らしいかと夢見ています。(犬島再発見の会代表・在本桂子)

●犬島海水浴場・キャンプ場

岡山市東区犬島221-2/086-947-1550

http://www.city.okayama.jp/toshi/kouenryokuchi/kouenryokuchi_00046.html

●犬島自然の家

岡山市東区犬島119-1/086-947-9001

http://www.city.okayama.jp/kyouiku/shougaigakushuu/shougaigakushuu_00026.html

小学校を改築して造られた犬島自然の家は、個人でも団体でも利用できるリーズナブルな宿泊施設として人気です。天体観測室があり、季節ごとの星空が楽しめます。(宿泊者は無料)宿泊、入浴、天体観測、シーカヤック、海釣り。

 

・・・いざ「犬島」へ。