アベノ(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《登録有形文化財》

1996年の文化財保護法改正により、従来の文化財「指定」制度に加えて、文化財「登録」制度が創設されました。第二次大戦以降の日本においては、急激な都市化の進展などにより、近世末期や近代以降の多種多様な建造物が、その建築史的・文化的意義や価値を十分認識されないまま破壊される事例が相次ぎました。このような反省に立ち、昭和40年代頃から、近世の民家建築、近代の洋風建築などが国の重要文化財や、地方公共団体の文化財に指定される例が漸増していった。しかし、急激に消滅しつつある近代の建造物の保護にあたっては、国レベルで重要なものを厳選する重要文化財指定制度のみでは不十分であり、より緩やかな規制のもとで、幅広く保護の網をかけることの必要性が議論されました。こうして、重要文化財指定制度を補うものとして創設されたのが、文化財登録制度であり、登録された物件を「登録有形文化財」と称します。

 

・・・新世界には2つあります。

 

 

《ギャラリー再会》登録年月日:20070515

556-0002大阪市浪速区恵美須東1-4-16/06-6641-3093

https://www.radium.co.jp/index.php?pid=saikai

「再会」は関西をベースにほぼ半世紀、独創的な建築をつくり続けておられる ★石井修氏が昭和28年に設計された建物です。今後も、ギャラリー再会の保存と文化的な活用に力を注ぎたいと思っております。 現在、ギャラリー再会では最終土曜日のPM2時からジャズライブを開催しております。是非一度〔登録有形文化財〕ギャラリー再会のレトロ空間で、ジャズライブをお楽しみください。抑揚のきいた外観は、どんとした存在感があります。窓には2本の細いねじり柱・2階の窓にも半円アーチを支えるように洋風の太いねじり柱がアクセントとなっています。 外観の印象に劣らず中に入ると、最初に目に飛び込んでくるのは中央の飾り柱。柱上部のアーチを支え優雅な雰囲気です。この空間の最大の見せ場は、カーブを描いて2階へ昇る階段。階段の曲線美とS字型の手すりや、全体のフォルムのこだわりには感動しました。2階に昇ると部屋の中央にはレンガを用いた大きな暖炉があります。 天井の木部は当時の表情を残しています。 奥にはグランドピアノが置かれ、コンサートが定期的に開かれています。 内装を彩る装飾にも、2代目社長のこだわりが端々に感じられます。 その代表が高い天井から美しく輝くシャンデリア。細部のインテリアも「ギャラリー再会」の彩りに可憐に花を添え、過去の華やかな時代を彷彿とさせてくれました。ふと目にした時計と鏡は、喫茶「再会」の開店祝いに片岡千恵蔵さんから寄贈されたもの。

【石井修】

大正11年に生まれる。奈良県出身。昭和15年大林組に勤務し、昭和31年美建設計事務所を設立。「再会」は、石井氏が建築家として独立する直前の作品です。「再会」の仕事の後、石井氏は京都・太秦の片岡千恵蔵さんの自邸の増築も担当されました。 1987年 『目神山の一連の住宅』で日本建築学会作品賞1987年 『目神山の家8』で吉田五十八賞を受賞2002年 『目神山1回帰草庵』でJIA25年賞大賞受賞※日本建築学界賞とは毎年、優れた建築2~3件が選ばれ、設計者に与えられる賞です。残念ながら、平成19年9月自宅にてお亡くなりになりました。

 

・・・そして、もう一つはもちろん「通天閣」です。

 

《通天閣》登録年月日:20070515

556-0002大阪市浪速区恵美須東1-18-6/06-6641-9555

https://www.tsutenkaku.co.jp/index.html

現在の二代目通天閣が再建されたのは昭和31年。初代が姿を消してから13年後のことでした。通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようとの地元の声をきっかけに、 昭和29年に新世界町連合会役員らにより創立事務所を設置。 そして翌年の昭和30年、地元の人々からの出資によって、通天閣観光株式会社がスタート。まさに、通天閣を愛する人達が作った、通天閣のための会社ってわけです。

★名称の由来:「通天閣」という名は、新世界を開発し通天閣を建設した大阪土地建物(株)社長であり、当時の大阪商工会議所会頭を務めていた土居通夫の「通」をとり、「天に通じる高い建物」という意味を込めて付けられたということが定説になっていました。しかし「通天閣」の命名者については、初代通天閣を経営していた大阪土地建物(株)が1912年(大正2年)に発行した「大阪新名所新世界写真帖」など当時の記録にも一切触れられておらず、空白のままになっていました。1956年(昭和31年)に再建された通天閣を経営する通天閣観光(株)では「大阪土地建物が社内で協議して決めたのだろう」と解釈していたのですが。1985年(昭和60年)12月、「通天閣30年史」の計画を知った大阪市住吉区の藤沢成太氏が「名付けたのは私の祖父・藤沢南岳です」との手紙を寄せたことから、命名の由来が明らかに。 藤沢南岳は明治維新前夜「朝敵」と目された高松藩の藩論を佐幕から勤王に転換させるなど、政治の舞台で活躍した高名な儒学者。また、南岳は大阪船場で父・東ガイが開いていた私塾★「泊園書院」を引き継いだ教育者でもあり、漢籍への精通は当代随一といわれ、あちこちから命名の依頼を受けていました。いわば当時の名付けのプロで、紅葉で有名な小豆島の「寒霞溪」なども南岳が名付けたとされており、教育を通じて実業界とも付き合いがあったと見られています。通天閣の命名について南岳自身が日記などに書き残したものは見当たりませんが、家族の間で語り継がれており、藤沢成太氏のいとこにあたる作家藤沢桓夫氏も「間違いない」と証言しています。こうしたことから、通天閣観光(株)も「大阪土地建物が命名を頼んでも不思議ではない」と判断し、これで初代通天閣が完成してからのナゾが75年ぶりに解け、空白が埋まることになったのです。1986年3月25日付朝日新聞記事より

 

 

・・・映画の時間まで「だるま」で一杯、

《だるま》

https://www.kushikatu-daruma.com/

1929年(昭和4)串かつ「たこひし」誕生/初代・百乃ヨシエ。二代目から屋号が串かつ「ダルマ」に変わる。三代目のからダルマ→「だるま」に。2001年 11月 先代より「串かつだるま」を継承し総本店リニューアルオープン。2002年11月ジャンジャン店オープン。2003年 1月株式会社一門会設立。

新世界総本店:大阪市浪速区恵美須東2-3-9/06-6645-7056

通天閣店:大阪市浪速区恵美須東1-6-8/06-6643-1373

ソース、衣、油の三位一体で串かつ「だるま」の味が生まれます。

 

・・・そろそろ、映画館へ。

 

 

《新世界国際劇場》

556-0002大阪市浪速区恵美須東2-1-32/06-6641-5931

通天閣の近くに位置する新世界国際劇場は、1930年に建てられた「南陽演舞場」を前身とし、1950年に映画館としてリニューアルオープンしました。上映内容は今ではほとんどなくなりつつある洋画★三本立てで、主にアクション映画が中心となっています。ちなみに地下にある国際地下劇場は★成人映画館となっています。外観は南陽演舞場時代のまま残された貴重な近代建築ということもあり、他の劇場にはない趣を感じさせてくれます。なお、設計は大阪を中心に活躍した1888年生まれの建築家★増田清によるものだそうです。

★「かならず再会する」「10月1日より休館!!復活への戦いが始まる!!」 「復活への戦い」

2015年10月1日より一時休館、最悪の完全閉鎖になるのではとファンを心配させましたが、

11月8日にリニューアルオープンしました。

 

【増田清】(1888~1977)

福島県伊達郡桑折町出身。主に大阪を拠点に活動した。現在知名度は低く「知られざる名建築家」「戦前活躍しながら忘れられていた名建築家」などと紹介されている。娘婿が阿川弘之、孫が阿川尚之・阿川佐和子。

1913年(大正2)東京帝国大学建築学科卒業。帝大では佐野利器に学んだ。同期に藤井厚二、1学年上に渡辺仁・山下寿郎・長谷部鋭吉・竹腰健造・西村好時がいる。安藤組(のちの安藤建設、現安藤ハザマ)大阪支店入社。

増田は日本の初期鉄筋コンクリート構造(RC構造)建築普及に貢献した建築家である。大阪を中心に京都・奈良・兵庫で、更に東京や広島・呉で仕事し、設計したすべての建築物がRC構造であった。大きな特徴として、芸術・造形美よりも構造美・機能美、特に耐震を重視し極めて頑丈な建物を設計していることが挙げられる。これは帝大建築学科で佐野利器に師事し多大な影響を受けたためと言われている。1923年(大正12年)関東大震災が起こり建物の耐震と近代化への関心度が高まった時期に独立し、そこから昭和初期にかけて多くの作品を手がけた。大大阪時代に小学校を16校設計しており、「増田清なしには大阪の鉄筋コンクリート建築は語れない」とまで言われている。代表的作品で国の登録有形文化財である★「三木楽器本店」(1924)は、2013年に関西大学によって耐震診断が行われ耐震補強の必要が無いと評価されている。また頑丈なRC構造であったことから、大阪大空襲や東京大空襲、広島市への原子爆弾投下で倒壊を免れたものがいくつもあることは特筆に値する。特に★「広島市レストハウス」(1929)は爆心地から170mの近距離にありながら全壊を免れている。ただし耐震に偏っておらず、RCで大きなアーチ空間を取り入れようとしたりアール・デコ様式を取り入れたりとデザインにも配慮している。「東京女子医科大学病院一号館」(現存せず)は日本初の十字放射型病院建築として設計している。★大阪市精華尋常小学校(1929)★新世界国際劇場(1930)

 

《NEWS》2019.9.2日本経済新聞より

映画看板、躍る絵筆「大阪で1人」手描き絵師の技

日本の映画興行は大阪★ミナミで始まった。今はシネコンばかりが目立つが、かつては数多くの劇場があった。それらを彩っていたのが、銀幕のスターを活写した手描き看板。看板製作を手掛ける「八條工房」(大阪市西成区)★八条祥治さん(62)は「大阪で1人だけになった」という映画看板絵師だ。8月のある日の工房。紙を貼った大きな板に、八条さんが向き合っていた。描くのは人気シリーズ「トランスフォーマー」のスピンオフ映画「バンブルビー」の登場キャラクター。手元のお手本を数秒間眺めた後、木炭で描いた下絵の上に絵筆を下ろす。迷いはない。「スゥーッ」という筆の音まで聞こえてきた。鮮やかなイエローが特徴のキャラだが、暗い色の絵の具も重ねる。時々、一歩後ろに下がり全体を確認する。「ベタッとした絵だと迫力がない。色を重ね、筆ならではのタッチで立体感を出すことを心がけている」。言葉通り、看板から飛び出してきそうな躍動感が、一筆ごとに生まれる。レトロ感漂う看板の文字にもこだわりがある。例えば「ジュラシック・ワールド/炎の王国」のタイトルは、赤色で燃えているような字体で描いた。映画を見ていなくても、内容をイメージするのだという。工房は1980年、映画看板製作会社で働いていた八条さんの父、孝昌さん(故人)が独立し設立した。絵を描くのが好きだった八条さんも脱サラし入社。下地となる板作りなど下働きをしながら、絵の技術を盗んだ。修業の道のりは長く、「看板の字を描かせてもらったのも工房に入って何年か後だった」と振り返る。初めて1人で絵を描いたのは今から10年ほど前だ。工房では梅田や道頓堀、和歌山など10館近くの映画看板を手掛けていたが、現在は★「新世界国際劇場」(大阪市浪速区)のみとなった。そのため店舗看板やポスター原画など、映画以外の仕事も手掛けている。同館はシネコンで公開が終わった洋画を中心に3本立てで週替わり上映する。作品の入れ替えに合わせ、毎週火曜の夕方に妻の久美子さん(60)らとともに看板を掛け替える。作業後のお決まりは看板の写真撮影。上映が終わった看板には上から紙を貼り、新たな絵を描くことになる。八条さんは「惜しいなと思うこともある」と苦笑する。それでも、自信作中の自信作はとっておく。最近だと米国の俳優、ブルース・ウィリスさんを描いたものが会心の出来だった。眺めると、どことなくゴッホの有名な自画像風だ。「筆の細かさと大胆さを大切にした」と誇らしげな八条さん。「もっとうまくなりたい。納得がいくまで筆は止めない」と目を輝かせる。時折、弟子入り志願者も現れるが「仕事が少ないので難しい」と断ることにしている。だが八条さんは「映画看板がどうにか復活する方法があればいいが……」と本音も漏らす。今後、大阪の映画看板はどんな筋書きをたどるのだろうか。

 

《八條工房》

557-0042大阪市西成区岸里東1-27-3/06-6651-2056

http://hachijyo-kobo.com/index.html

【八条祥治】(1956~)

1956年大阪市生まれ

1980年03月 八條工房設立 父である八条孝昌に師事

1999年05月 関西テレビ あなたにありがとう「映画看板に賭けた男」

1999年07月 フジテレビ めざましテレビ

2001年12月 NHKテレビ 生活ほっとモーニング

2004年10月 NHKテレビ かんさいニュース一番

2004年12月 週間朝日「日本の映画文化を守る親子大奮闘」

2007年11月 近鉄上本町店にて映画絵実演

2008年01月 チャップリン映画祭 なんば千日前国際劇場において上映期間中映画絵展示

2008年05月 月刊「大阪人」映画黄金期を訪ねて。として工房紹介される。

2008年08月 NHKテレビ ためしてガッテン出演

2009年08月 読売新聞 手描き映画看板絵師が教室を開講

2009年09月 朝日放送 おはようコールABC

2009年09月 FM大阪 おとなの文化村

2009年10月 関西テレビ スーパーニュース アンカー

2011年05月 読売テレビ マチャミ&なるみの いただきナハーレ

2011年10月 関西テレビ ノリオリ!駅から始まる小さな冒険

2012年11月 朝日放送 ココイロ

2013年02月 関西テレビ よ~いドン!

2013年02月 読売テレビ 情報ライブ ミヤネ屋

 

・・・すごいぞ、新世界国際。

 

 

《映画「パピヨン」》

http://www.transformer.co.jp/m/Papillon/

作家アンリ・シャリエールの壮絶な実体験を基にした、終身刑囚“パピヨン”の13年間に及ぶ、命をかけた脱獄劇。この世界的なベストセラー自伝小説は『猿の惑星』などの名匠フランクリン・J・シャフナー監督とハリウッドの異端児と呼ばれた脚本家ダルトン・トランボのタッグにより、1973年に映画化・公開された。自由を求め何度も脱獄を試みる“パピヨン”スティーブ・マックイーンの鬼気迫る熱演と、ダスティン・ホフマン演じる偽札作りの天才・ドガとの熱い友情は、多くの人々の共感と感動を呼び大ヒットを記録。ジェリー・ゴールドスミスのテーマ曲「パピヨンのテーマ」は、アカデミー作曲賞にもノミネートされた。そして★45年の時を経て、『パピヨン』が戻って来る!マックイーンのあとを継ぎ、主人公パピヨンを演じるのは『パシフィック・リム』で主演を務め、『キング・アーサー』でも肉体アクションを披露した人気スター、チャーリー・ハナム。ホフマンが演じたドガ役には人気ドラマシリーズ「MR.ROBOT/ミスター・ロボット」でエミー賞を受賞、伝説のバンド“クイーン”を描いた『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディ・マーキュリーを演じ、本年度アカデミー賞®主演男優賞を受賞したラミ・マレック。

 

 

・・・45年の時を経て、「パピヨン」を新世界で鑑賞、映画も映画館も串カツも最高でした。