月のアート展(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「月のアート展」始まりました。庭園や公園で気持ちよく過ごせるのは、行き届いた手入れをしてくださる職人さんやボランティアの方々あってのことです。見かけたら、感謝のご挨拶を心がけています。

 

 

《植彌加藤造園》

606-8425京都市左京区鹿ケ谷西寺ノ前町45番地/075-771-3052

https://ueyakato.jp/

嘉永元年/1848:初代加藤吉兵衛が南禅寺の御用達庭師を務める

嘉永~明治中期:2~3代目吉兵衛の名で、代々家業の造園業を継承

明治中期~大正:加藤彌三郎(4代目) 南禅寺界隈で活躍

昭和初期~:加藤次郎(5代目) 南禅寺界隈で活躍

昭和21年/1946:終戦により家業を再開

昭和41年/1966:加藤次郎(5代目)加藤彌寿雄(6代目) 南禅寺小方丈庭園を作庭

昭和42年/1967:加藤次郎(5代目)加藤彌寿雄(6代目)南禅寺六道庭を作庭

昭和58年/1983:加藤彌寿雄(6代目) 南禅寺華厳庭を作庭

昭和62年/1987:株式会社へ法人化 (資本金2010万円)

平成初期~:加藤大貴(7代目) 各所庭園を指導

平成10年/1998:加藤友規(8代目) 技術と経営の両論を提唱

平成25年/2013:本社移転

 

 

●公園内には1915年に大字南稲八妻に完成した煤谷川から永谷池への随道の「通水記念碑」とレンガの入口が、2箇所、移設・保存されています。

《通水碑移転記念碑》

この通水碑は大正6年(1917)京都の穀倉地帯として発展してきました当地に「第一隧道(永谷池用水路)「第二隧道(中の池用水路)の工事の完成を記念して建立されたものです、「第一隧道」と「第二隧道」は相楽郡稲田村字南稲八妻及び植田祝園村字菅井の二つの耕地管理組合(現在の南稲八妻区、植田区、菅井区)により建設され、大正5年(1916)5月に工事が完成し関西文化学術都市が建設されるまでは媒谷川から水を引く灌漑用水路として重要な役割を果たしてきました。この通水碑は精華町大字稲八妻小字馬坂から西方向約400米の地点にありましたが、関西文化学術都市の精華西木津地区における土地区画整理事業の造成工事により、この地に移転されました。先人が苦労してつくられた隧道の面影をいつまでも偲ぶことができるように隧道の入口部、出口部の一部を復元しております。平成六年九月吉日

《参考》「せいか検定」

https://www.town.seika.kyoto.jp/kakuka/kikaku/2/2/1483.html

 

 

《けいはんな記念公園》

https://keihanna-park.net/

★水景園(けいはんな記念公園内)

https://ueyakato.jp/gardens/suikeien/

平安建都1200年の記念事業として建設された関西文化学術研究都市記念公園(けいはんな記念公園)の中に作られた回遊式庭園で、水景園と名付けられています。伝統的な日本庭園様式だけではなく、山間にモミジを配した紅葉谷や、段差のある池の間を棚田のような小さな池でつないだ水景棚、高さ6~7mの巨石500個を150mにわたって据えつけた巨石の回廊など、里山や棚田の風景をモチーフにしながら、スケールの大きな庭園が作られています。中でも圧巻は、池の上10mの高さを100m以上にわたって延びる観月橋で、地上からは見上げるしかない巨石の回廊を逆に見下ろしながら、周りの風景を一望できます。他にも、小さな棚田や竹林内の東屋など、四季折々の日本の原風景のイメージを楽しめるだけでなく、公園の★イメージシンボルである「月」にちなんだ「観月の夕べ」の催しなど、伝統的な風習をも満喫できる日本庭園となっています。

 

 

・・・写真的には、夕暮れ時が一番美しい。というより、夜景の撮影が素人には難しいからです。

 

 

・・・まずは、ギャラリー「月の庭」へ。