・・・田んぼの「卵塊」が気になって、
《スクミリンゴガイ(Pomacea canaliculata)》
リンゴガイ科(リンゴガイ、アップルスネイル)の1種の淡水棲大型巻貝である。俗にジャンボタニシと呼ばれるが、タニシとは異なる。淡水巻貝としてはきわめて大型である。オスは殻高25mm、メスは30mmが性成熟した個体で、成体は殻高50 - 80mmに達する。★卵は多数が固まった卵塊を形成し、陸上の乾燥に耐え得る固い殻を有し、鮮やかなピンク色で目立ちやすい。日本へは食用として、1981年に台湾から長崎県と和歌山県に初めて持ち込まれた。1983年には養殖場が35都道府県の500か所にものぼったが、需要が上がらず採算が取れないため、廃棄された。有害動物に指定された1984年以降、廃棄されたり養殖場から逸出したものが野生化し、分布を広げている。この経過は、アフリカマイマイの場合と共通している。外来種であり、要注意外来生物(外来生物法)、日本の侵略的外来種ワースト100、世界の侵略的外来種ワースト100リスト選定種の1種ともなっている。
・・・鮮やかなピンクですが、けっして美しいとは思えませんねえ。
《ホラガイ(法螺貝、Charonia tritonis、Triton's trumpet)》
フジツガイ科(旧分類 中腹足目 フジツガイ科)に属する巻貝の一種。日本に産する最大級の巻貝。サンゴを食害するオニヒトデを食べることから『オニヒトデの天敵』と言われることもあるが、オニヒトデの大量発生を抑える程の効果は無いとされる。内臓の部分を除く身の部分は刺身などの★食用とされる他、貝殻の部分は★楽器として使用される。貝殻の殻頂を4-5センチ削り、口金を石膏で固定して加工した吹奏楽器が、日本、東南アジア、オセアニアで見られ、日本では、使用例は平安時代から確認でき、12世紀末成立の『梁塵秘抄』の一首に、「山伏の腰につけたる法螺貝のちやうと落ちていと割れ砕けてものを思ふころかな」と記され、同じく12世紀成立の『今昔物語集』においても、本朝の巻「芋がゆ」の中で、人呼びの丘と呼ばれる小高い塚の上で法螺貝が使用されていた記述がある。戦国時代には合戦における戦陣の合図や戦意高揚のために、陣貝と呼ばれる法螺貝が用いられた。現存する中世の法螺貝笛として、「北条白貝(大小2つ、日本名貝の一つ)」があり、現在、福岡市美術館所蔵で、由来は16世紀末の小田原征伐の際、降伏した北条氏直が黒田如水の仲介に感謝し、贈ったものの一つとされる。
★修験道においては、立螺作法(りゅうらさほう)と呼ばれる実践が修行される。立螺作法には、当山派・本山派などの修験道各派によって流儀を異にし、吹奏の音色は微妙に違う。大まかには乙音(低音側)、甲音(高音側)、さらには調べ、半音、当り、揺り、止め(極高音)などを様々に組み合わせて、獅子吼に擬して仏の説法とし、悪魔降伏の威力を発揮するとされ、更には山中を駈ける修験者同士の意思疎通を図る法具として用いられる。昭和初期に発表された醍醐寺三宝院当山派本間龍演師の『立螺秘巻』は、その後の修験者、とりわけ吹螺師を修行する者の必須テキストとして評価伝承されている。東大寺二月堂の「お水取り」では、堂内から鬼を追い祓うため、法螺貝が吹き鳴らされる。J-POPでは歌手の★忌野清志郎が生前よくライブ等で愛用していた。楽器分類法上は、唇の振動で音を出すため★金管楽器に分類される。
護摩壇が設置された結界内へ移動、護摩壇の邪気を祓う為に「法弓」の儀と「法剣」の儀が行われます。法弓の儀は東西南北と護摩壇、鬼門の方角に向けて矢を放ちます。邪気を祓い、場を清める。放たれた矢は持ち帰る事が出来る。法剣の儀は剣先で『六芒星)』の模様を描き、護摩壇を清めます。その後、願文(がんもん・神仏に祈願を伝える文書)が読み上げられ、2本の松明に祭壇から火を移すと、左右から護摩壇に差し込んで点火します。煙がモクモクと出てくると乳木(護摩木の一種)が投げ入れられ散杖(先が分かれた木の杖)を使って清めます。
《護摩(梵: homa, ホーマ)》
インド系宗教において行われる火を用いる儀式。「供物」「供物をささげること」「犠牲」「いけにえ」を意味するサンスクリットのホーマ(homa)を音訳して書き写した語である。仏教には釈尊入滅から約500年後に発生した大乗仏教の、中期から後期(密教)の過程でヒンドゥー教(バラモン教)から取り入れられた、と考えられている。そのため、護摩は密教(大乗仏教の一派)にのみ存在する修法である。したがって、基本的には日本の天台宗・真言宗や、チベット仏教など、密教系の宗派でのみ行われる。なお、専ら護摩を修するための堂を「護摩堂」と称する。修験道で野外において修される伝統的な護摩法要を、柴燈・採燈(灯)護摩という。日本の伝統的な二大修験道流派である真言系当山派では、山中で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたために「柴燈」と称する一方、同じく伝統流派である天台系本山派では、真言系当山派の柴燈から採火して護摩を修するようになったため「採燈」と称する。近年では、伝統的な本山派・当山派の流派には属さない寺社、また、分派、独立した宗団や密教系新宗教などでも、独自の方法と解釈により「斉燈護摩」(真如苑真澄寺)や「大柴燈護摩供」(阿含宗)、「お火焚き」「火祭り」などの別称を用いて実施されている。護摩は本来は仏教の密教の修法であるので、密教や修験道で行われるが、神道の神社の一部でも護摩が実施される。もともと神仏習合だった権現社や宮が、明治維新の神仏分離(神仏判然令)によって寺院を別の法人として改組した事例も少なくないが、現在でも神社において神職や山伏による護摩祭が続いていることがある。
火を神格化した火神は、主神とされた例は多くないが、太陽神や火山の神と同一視された例は多い。またローマのウェスタや日本の竈神(荒神・三宝荒神と習合された)のような家庭の守り神、あるいは鍛冶神などと見られた例も多い。沖縄ではヒヌカン(火の神)といって、家の守護神として人々には身近な神である。
・・・最後の最後まで「蓮取り行事」に参加させていただき、「かえる友の会」としても念願かないました。皆さんお疲れさまでした。