蓮取り行事(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・「カエル」ブログが久しく更新されていませんでしたが、お久しぶりです。現在「風の王国」で「役行者」を探偵アートスクープしているところですが、「蓮取り行事」だけはやはり、「カエル」ブログに掲載するべきでしょう。

 

 

《高田木材協同組合》

639-2201 奈良県御所市大字柳原1番1/0745-63-1101

https://www.takada-mokkyou.com/

国宝「薬師寺」東塔は、大規模な平成の解体修理を行なっています。東塔の中心を貫く心柱(しんばしら)は、シロアリなどが原因で空洞化していたため、その部分を補う樹齢300年の檜丸太を納材いたしました。2014.4.7

 

・・・ここに単車を置かせていただきましたがなんと「御所市」、お世話になります。

 

 

《奥田の「蓮取り行事」》

https://www.city.yamatotakada.nara.jp/city/gyoji/okuda/okuda-lotus-gathering-event.html

7月7日、七夕の日、市内奥田で、1300年を超える歴史をもつ「蓮取り行事」がおこなわれます。室町時代から連綿とおこなわれてきた吉野山★金峯山寺(きんぷせんじ)における「蓮華会(れんげえ)」の一連の行事であるとともに、役行者の母・刀良売にまつわる★「ひとつ目蛙」の伝承に深い関わりをもつ行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されています。この日、捨篠池(すてしのいけ)では、蓮取り舟に乗って、古式にのっとりおごそかに蓮切りがおこなわれます。その後、善教寺に集まった修験者たちが、勇ましい法螺貝(ほらがい)の音とともに、福田寺・行者堂から、役行者の母・刀良売(とらめ)の墓に蓮花を献じて供養し、続いて、捨篠池に隣接する弁天神社で、護摩法要が営まれます。こののち、修験者の一行は、吉野山金峯山寺・蔵王堂までの祠(ほこら)に、道中、蓮花を献じながら、蔵王堂での「蓮華会」「蛙とび行事」に参加したのち、これらの蓮花は修験者によって、大峰山頂上までの祠に供えられます。吉野山の蓮華会に欠くことのできない奥田の蓮は、今日まで地元の皆さんの努力によって大切に守られてきました。また、役行者没後1300年忌の平成12年には、蓮池公園に民話伝承碑が建立されるなど、捨篠池周辺の整備が進められています。

https://www.city.yamatotakada.nara.jp/city/gyoji/okuda/nenpyo.html

http://www1.kcn.ne.jp/~sazanka/bunkasin/hasu.htm

 

 

《捨篠神社》

635-0052奈良県大和高田市奥田470

大和高田市南部の古い旧家が建ち並ぶ奥田集落に鎮座。★阿治須岐高日子根神の荒魂を祀るとされています。ご神体は★「捨篠池」、この池には伝承が残り古代の重要な歴史の舞台となった可能性があります。阿治須岐高日子根神は★鴨族の祖神、和魂が「高鴨神社」に荒魂が当社に鎮まるとされています。

《阿治須岐高日子根神》

大国主神と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、★高鴨神社(奈良県御所市)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)などに祀られている。別名は賀茂社の神の意味である。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神である。『古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語であり、「シキ」は磯城で石畳のことであるとしている。他に、「シキ」は大和国の磯城(しき)のことであるとする説もある。アメノワカヒコとそっくりであったとの記述から、元々アメノワカヒコと同一の神で、穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする説もある。

※荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。これに対し、和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。

 

池の伝承は、その鴨族の子孫である★役行者についてのもの。「役行者の母である刀良売(トラメ)が当社に参拝。蛙が蓮の葉に乗って浮いていたので池の傍らの篠を取って投げたところ、蛙の目に当たってしまった。蛙は★片目となるが今もこの池に住んでいる。そしてこの池を捨篠池と呼ぶことにした」とあり、続いて「役小角は(今は亡き)父に会いに行くと言って捨篠池に向かった。母が不思議に思い付いていくと、役小角は池に向かって拝していた。すると池から人影が現れる。それは白髪の老翁がチガヤに乗って水面に現れたもの。その老翁は★阿治須岐高日子根であった(以下略)」。

《参考》奈良県神社庁「かみのみあと」

634-0063 橿原市久米町934/0744-22-4731

http://www.naraken-jinjacho.jp/index.html

奈良県神社庁が発行している「かみのみあと」の頒布をしております。本書は、元春日大社権宮司 岡本彰夫氏が委員長を務めた奈良県神社庁 大和神話・古蹟顕彰委員会が資料の収集、研究したものを編集したものです。大和は神話や伝承、また由緒ある神社、仏閣が多くあります。それらを奈良県内の地域ごとにまとめた内容になっております。興味のある方は是非お問合せ下さい。

《参考》大和高田の伝説「捨篠池の一つ目蛙」

http://www1.kcn.ne.jp/~sazanka/bunkasin/densetsu.htm

 

 

《一つ目、隻眼(せきがん)、独眼(どくがん)》

柳田國男は、もともと神に捧げるべき生け贄の人間が逃亡しないように片目(と片脚)を傷つけていたのが神格と同一視されるようになったのが原因であると考えた(『一つ目小僧その他』)。谷川健一は、隻眼の伝承がある地域と古代の★鍛冶場の分布が重なることに着目した。たたら場で働く人々は片目で炎を見続けるため、老年になると片方が見えなくなる。またふいごを片方の脚だけで踏み続けるから片脚が萎える。古代は人間でも神々と同一視されていたため、★鍛冶の神(天目一箇神など)がこのような姿をしているということになった。そしてこれらの神々は零落して妖怪になった(『青銅の神の足跡』)。赤松啓介の見解もこれに近い。

 

《天目一箇神》

『古語拾遺』によれば、天目一箇神は★天津彦根命の子である。岩戸隠れの際に刀斧・鉄鐸を造った。大物主神を祀るときに作金者(かなだくみ、鍛冶)として料物を造った。また、崇神天皇のときに天目一箇神の子孫とイシコリドメの子孫が神鏡を再鋳造したとある。『日本書紀』の国譲りの段の第二の一書で、高皇産霊尊により天目一箇神が出雲の神々を祀るための作金者に指名されたとの記述がある。『古語拾遺』では、筑紫国・伊勢国の忌部氏の祖としており、フトダマ(布刀玉命)との関連も見られる。鍛冶の神であり、『古事記』の岩戸隠れの段で鍛冶をしていると見られる天津麻羅と同神とも考えられる。神名の「目一箇」(まひとつ)は「一つ目」(片目)の意味であり、鍛冶が鉄の色でその温度をみるのに片目をつぶっていたことから、または片目を失明する鍛冶の職業病があったことからとされている。これは、天津麻羅の「マラ」が、片目を意味する「目占(めうら)」に由来することと共通している。 天目一箇神は『播磨国風土記』の託賀郡(多可郡)の条に天目一命の名で登場する。土地の女神・道主日女命(みちぬしひめのみこと)が父のわからない子を産んだが、子に盟酒(うけいざけ)をつぐ相手を諸神から選ばせたところ、天目一命についだことから天目一命が子の父であるとわかったというもので、この神話は農耕民と製銅者集団の融合を表していると考えられている。天目一箇神を祀る天目一神社(兵庫県西脇市大木町(旧多可郡日野村大木)現在のものは再興)では製鉄の神として信仰されていた。

 

《天津彦根命》

天津彦根(アマツヒコネ)は多度大社の祭神で風の神(台風の神)であり、雨乞いの神としても知られています。また、その本来の姿は★一つ目の龍神であるとも言われています。アマツヒコネは多くの氏族の祖神としても祀られており、その出生は神話の中でアマテラスとスサノオが誓約(うけひ)を行った際にアマテラスから受け取った玉をスサノオが噛み砕いた後に噴き出した息から生まれたとされ、そのスサノオの息から一緒に生まれた五柱の神の中では三番目の神だと記されています。一説によるとアマツヒコネを祖神としている氏族は関東から近畿までの広い範囲におよんでいるという事から、各地の氏族が信奉している土着の神が集合体となって形成された神こそがアマツヒコネではないかとも言われています。多度大社の伝承の中には太古の昔、多度大社の背後にある多度山には一つ目の竜が住んでいたという話も残っており、その伝承から「アマツヒコネ=一つ目の龍神」という話ができたと考えられています。のちにその一つ目の竜を祀ったのが多度大社の始まりだと言われており、創建は雄略天皇の時代(西暦456~479年)であったと伝えられています。

《高鴨神社》

639-2343奈良県御所市鴨神1110/0745-66-0609

http://www.takakamo.or.jp/

当神社は全国鴨(加茂)社の総本宮で、弥生中期より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。主祭神の阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)、 その御名を迦毛之大御神(かものおおみかみ:「大御神」と名のつく神様は天照大御神、伊邪那岐大御神と三神しかおられません。)と申され、死した神をも甦らせることができる、 御神力の強き神様であられます。それゆえ病気平癒、初宮、大祓い等、甦りに関する信仰が深く、また人の歩む道を目覚めさせてくださる神様として全国より篤く御崇敬を受けております。「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しています。当神社の神域は鉱脈の上にあることも重なり、多くの「気」が出ていることでも有名です。 夏場に参詣されますと、涼しく感じられるのはその為です。「気」は身体にたいへん良く、ぜひ神域を巡られて神様の「気」をお受けになられ、心身共によみがえられることをお祈り申し上げます。

※「始まりの地、葛城と鴨族」高鴨神社宮司/鈴鹿義胤

http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/special-interview/kowa20/

 

 

・・・調べれば調べるほどに、奥が深いなあ。