・・・様々な場面で出会ったカエルたちは、それぞれのブログ内で掲載していますが、まとまってカエル情報をお届けすることが滞っていました。連続して京都「大山崎」を訪問したこともあり、再掲含めてカエル情報を掲載しておきたいと思います。
《くつろか開放日》
http://oyamazaki.info/archives/8655
聴竹居「紅葉をめでる会2018」が2018年12月1日(土)に開催されます。お隣にある「和草ハーブサロン くつろか」さんにて、大山崎のお店等が集まる。「くつろか開放日」も開催です。
2018年12月1日(土) 10:00〜15:00
場所:和草ハーブサロン「くつろか」
・コーヒー 大山崎CoffeeRorstersさん・お花 tocoha flowerさん・お菓子 フミノテさん・お茶 にほんちゃギャラリーおかむらさん・肉まん 岡村包子研究所さん・パン pave natureさん
《和風ハーブサロン「くつろか」》
618-0071京都府乙訓郡大山崎町大山崎谷田40-2/0120-99-5634
2009年に京都大山崎で鍼灸院・東洋医学治療院「くつろか」として開院しました。様々な方にご利用頂いておりましたが2017年10月より治療の形態を変える事となりました。ご利用頂きありがとうございました。2018年3月21日より和草ハーブサロン「くつろか」として日本の植物である和草ハーブで《香り、植物の力、循環》ケアを行います。和草ハーブボールとよもぎ蒸しを中心に和草にふれるワークショップや子育て中のお母さんの身体ケア、産後ケア、更年期などの婦人科のトラブルをケアする場、身体を循環していく場としてオープンしました。
★自分にかえる。
天王山の麓の大山崎駅から踏切をわたり、坂をのぼっていくと急に植物の力に包まれます。その先にくつろかはあります。くつろか(寛か)とはゆったりとした様、心配ごとなどを忘れて伸び伸びする、心身をゆったり休める、気兼ねなくのんびりとふるまうという言葉。くつろかでは日本の土で育った植物で和草ハーブボールを作り身体のケアやセルフケアの講座(ワークショップ)、よもぎ蒸しを通じリラックスする時間、自分の境界を広げ自分を見つめる時間や場を大切にしています。《今》を大切に、ゆったりと呼吸している時間、何もまとわない時間を過ごしてみませんか?
・・・コンセプト「自分にかえる」だから、カエルなのでしょう。もちろん、カエルで有名な「大山崎」にあるですから。
《天王山の蛙》
http://oyamazaki.info/archives/1427
むかし、京に住む蛙が、大阪を見物したいと望んでいました。この春に思い立って、難波など名所を見物しようと言い、西の明神から、西国街道を山崎へ出て天王山に登りました。また、大阪にも京都を見物したいと思い立った蛙があって、これも西国街道を瀬川、芥川、高槻、山崎と出かけ、天王山へ登り山の頂で両方が出会いました。互いに仲間同士であるからして、その志しをいいます。「これほど大変な苦労をして来ても、まだ道半ばじゃ、ここから京、大阪に行けば、足も腰ももつまい。名に負う天王山の頂上、京も大阪と相互互いに相談して、立ち上がり、足を爪先立てて、向こうをきっと見渡した。京の蛙が言うには、「音に聞こえた難波の名所も見れば、京に変わりがない。どうしよもない目をして行くよりも、今からすぐに京に帰ろう」という。大阪の蛙も目をぱちぱちさせて、あざ笑うように言う。「花の都と音には聞くけど、大阪も少しも違いはせぬ。それならば私も帰るべし」と互いに会釈して、またのさのさと這って帰りました。これが、面白い例えでございますが、つまり蛙は向こうを見渡したつもりではありますが、目の玉が背中についてあるので、見たものは下の古さをみただけでございます。どれほど見つめていても、目の場所が違っているからには気がつきません。うろたへた蛙の話をよく聞いてくださいませ。(★鳩翁道話より抜粋)
間の抜けた蛙の話ですが、つい自分の目はいったいどこについてるのか?ちゃんと物事を見ているのか?と自問したくなる話でもあります。石門心学者(石田梅岩を開祖とする実践哲学)・柴田鳩翁は道話の神様といわれ、鳩翁道話の正編は1835年(天保6)、続編36年、続々編38年刊。ベストセラーになりました。蛙の像は大山崎ふるさとセンター内★「大山崎町歴史資料館」へ行く2階階段手前にあります。
京の蛙と大阪の蛙是これで面白い話がござります。むかし京にすむ蛙かひるが、兼て大阪を見物せんと望で居りましたが、此春おもひ立て、難波名所見物と出かけ、のさ\/と這ひまはり、西の岡向うの明神から、西街道を山崎へ出、天王山てんわうざんへ登りかゝりました。又大阪にも都見物せんと思立つた蛙が有つて、是も西街道瀬川・あくた川・高槻・山崎と出かけ、天王山へ登りかゝり、山の巓いたゞきで兩方が出合ひました。ナニガ互に仲間同志なれば、めん\/の志をはなし、扨兩方がいふ樣は、 「此やうに苦しい目をして漸やう\/とまだ中程じや。是から互に京・大阪へゆきなば、足も腰もたまるまい。爰が名に負ふ天王山の巓、京も大阪も一面に見わたす所じや。ナント互に足つまだて、脊のびして見物したら、足のいたさを助からう。」 と、相互あひたがひに相談きはめて、兩方がたちあがり、足つま立てて向うをきつと見わたして、京の蛙が申しまするは、 「音に聞えた難波名所も、見れば京にかはりはない。術ない目をして行ゆかうより、是からすぐに歸らう。」 といふ。大阪の蛙も目をぱち\/して、嘲笑あざわらうていふやう、 「花の都と音には聞けど、大阪に少しも違ちがはぬ。さらば我等も歸るべし。」 と、双方互に色代しきだい(*会釈) して、又のさ\/と這うて歸りました。 これが是、面白いたとへでござりますれど、つひは御合點がまゐりにくからう。蛙はむかうを見わたした心なれど、目の玉が背中についてあるゆゑ、ヤツパリもとの古さとを見たのじや。何んぼほどにらんで居ても、目の附所の違うてあるには氣が附かぬ。うろたへた蛙の話し、よう聞いて下さりませ。
【柴田鳩翁】(1783~1839)
近畿を中心とする12州10万の百姓が、文政・天保の封建社会より新興明治にむかう一大変動の響きをかすかに聞きとりながら、むさぼるように迎えた精神の糧のもっとも代表的なものが、実にこの書「鳩翁道話」であった。ここに収められている柴田鳩翁の道話は心学道話史上の粋であるとともに、永遠に新たなるささやきを各時代各境遇の人びとに与えるであろう。
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/si008.html
https://www.singakumeiseisha.com/hitobito.siseki/hitobito.siseki.htm
《参考》「心学修正舎」
《天王山》
京都府乙訓郡大山崎町の山。 西側の山腹を、摂津国(現在の大阪府)と山城国(現在の京都府)の国境がよぎる。京都盆地の西辺となる西山山系の南端に位置し、東の男山とのあいだで地峡を形成する。この地峡には、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる、かつて水上交通路であった川筋をふくめて、近畿最大の大動脈である京阪間のほぼすべての交通路が含まれる。このような地峡を扼する地であることから、南北朝や応仁の戦乱でも戦略上の要地として争奪の舞台となり山城も築かれた。なかでも、天正10年(1582年)6月に織田信長を討った明智光秀とその仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉が戦った山崎の戦いでは、この山を制した方が天下を取ることになるとして「天下分け目の天王山」という言葉で表現され、現在でもスポーツや政治などの重大な試合や局面の比喩にその名を残す。なお、この戦いを制した秀吉は、同年末に当地に山崎城(宝積寺城、宝寺城とも)を改修して、翌年に大坂城に移るまで本拠とした。
くだって幕末、禁門の変では、長州藩が当地を押さえた上で京都御所へ進撃するが、結果的に敗走し、参陣していた真木保臣ら十七烈士は当地で自刃した。
また、4年後の鳥羽・伏見の戦いでは、旧幕府軍が男山の麓の橋本と淀川の対岸にある大山崎に分かれて布陣して新政府軍を迎え撃ったが、大山崎に布陣していた津藩が新政府軍に寝返って橋本の旧幕府軍を砲撃したことで旧幕府軍は総崩れとなり、戦いの趨勢が決している。
・・・それでは、蛙の像がある大山崎ふるさとセンター★「大山崎町歴史資料館」へ。