茨木アート(4) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・本年度の特集作家、

 

【保田篤】

http://www.caso-gallery.jp/exhibition/2007/070320yasuda.html

196京都府生まれ1991京都市立芸術大学卒業1993京都市立芸術大学修士課程修了。

 

 

【大前春菜】

https://www.kyoto-saga.ac.jp/news/47876

1992京都府生まれ2017京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻造形複合修了

2010「京都市立銅駝美術工芸高等学校 美工展」教育長賞2015「第43回京都嵯峨芸術大学制作展」教育後援会奨励賞。

 

 

【上田良(やや)】

http://www.yayaueda.com/

1989大阪生まれ2014京都精華大学大学院芸術研究科博士前期課程修了。

「めくるめくらむ」(awai art center、長野、2017)「Small Scenery」(YEBISU ART LABO、愛知、2016)「Anecdote of the Jar」(space_inframince、大阪、2016)、「AN OBJECT,」(つくるビル104A、京都、2014)、「SAME IMPALA」(バルコ ソブレ セロ、京都、2013)など。受賞歴に「VOCA展2017
現代美術の展望—新しい平面の作家たち」奨励賞(2017)、「キヤノン写真新世紀」佳作(2015)。

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/14843

 

 

・・・せっかくなので「図書館」にも行ってみました。

 

 

《富士正晴記念館》

567-0028茨木市畑田町1番51号(中央図書館併設)/072-627-7937

http://www.lib.ibaraki.osaka.jp/?page_id=179

安威に住んでいた詩人・小説家の富士正晴氏が、生前に収集されていた文学資料や、自作の絵画など約8万点を収蔵、展示しています。また、実際に使われていた書斎が復元され、ありし日をしのばせています。

富士正晴は茨木市内の竹林に住して、竹林の隠者と称された作家で、同人誌『VIKING』を創刊して、多くの後輩作家を育てた。没後、1988年(昭和63)冨士家より茨木市に寄贈された資料を展示する目的で、茨木市立中央図書館に併設して開館した。

 

 

病院へは一切行かず、「健康けっこう長寿いや」で通し、亡くなる直前まで普通の生活、最後は急性心不全による突然死(1987.7.15、73 歳9カ月) 死後、多くの人々が追悼文を新聞や雑誌に書いた。

司馬遼太郎の「その精神は世にまれな器量人」と題した追悼文には、冨士に対する敬愛の念があふれ、その最後に印象深いものがある。司馬は富士を“真如の人”と称し、「世の中から下車した」一休、良寛と比した。「富士は三高を二度落第して退校してからは、世の中から下車した。嘘空からきた魂のままこの世を生き、詩と文章を少し書き、そしてどこかへ帰って行った。遺族は故人の気分をよく知っていて、葬儀はないという」―富士の死の 20 日後、1987.8.4 の大阪新聞朝刊。