旧石器時代 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・しばらくぶりです。これと言ったニュースはないのですが、

 

《NEWS》2018.9.18産経新聞より

世界遺産登録へ「一定の理解は得られた」大阪の百舌鳥・古市古墳群、イコモス調査終了

国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会の諮問機関イコモスが、来年の世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群(大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市)の現地調査を終えたことを受け、文化庁は18日、大阪市内で記者会見を開き、「一定の理解は得られた」と登録に向けた手応えを示した。会見した文化庁の渡辺栄二世界文化遺産室長は、イコモスの調査員が古墳の保全管理や情報発信のあり方、地域住民の関わり方に関心を示したと指摘。「丁寧に説明を聞いていただいた。よい評価が得られるよう、引き続きベストを尽くしたい」と述べた。

現地調査は、フィリピン人の調査員が11~17日に実施。イコモスは今回の調査内容などを踏まえ、★来年5月ごろに評価結果を勧告。同6~7月に、世界遺産委員会が登録の可否を決める。

 

・・・「新元号」ならびに「G20」でドタバタの時期と重なります。

 

《2019年G20大阪サミット開催に向けた取組み》

2019年2月26日/大阪市

http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000432150.html

日本初開催となる2019年G20サミット首脳会議が、大阪で開催されることとなりました。サミットでは、主要国首脳が一堂に会し、世界経済をはじめ、国際社会の共通課題について幅広い議論がなされます。大阪・関西は現在、2025年万博誘致をすすめており、G20サミットの開催は、人類共通の課題解決を通じて世界への貢献をめざす万博の理念にも通じるものであり、大きな意義があります。さらに、ライフサイエンス分野やものづくり産業の集積、世界遺産をはじめとする豊富な文化遺産など、大阪・関西の強み、魅力を世界に向けて発信する絶好の機会となります。大阪・関西にとって大きな意義をもつG20サミットを成功させるためには、各国首脳をはじめとする皆様に、関西のホスピタリティを発揮し最高のおもてなしでお迎えする必要があります。こうしたことから、関西全体の総力を結集し、幅広い協力を得るため、大阪府、大阪市、関西広域連合、経済界の参画を得て、「2019年G20大阪サミット関西推進協力協議会」を設立し、万全の態勢でG20サミットに向けた準備を進めています。

https://g20.org/jp/

2019年6月28日(金)29日(土)

会場:大阪府大阪市、大阪国際見本市会場(インテックス大阪)(予定)

2017年、大阪府を訪れた外国人旅行者数は1,100万人を超えました。大阪は西日本における経済、文化、交通の要であり、日本第2の経済圏である近畿の中心都市として世界から注目されています。古代では、「難波津」と呼ばれる港が大陸との交易・外交の玄関口として栄え、「難波宮」と呼ばれた都が置かれる(7世紀)など国内政治の拠点として、多くの人々が集まり現在の都市としての礎が築かれました。その後、政治の中心が京都や鎌倉、江戸(東京)に移りゆく中でも、常に日本の重要都市として発展を遂げていきます。その大きな理由は恵まれた海、河川、水路の活用による物流経済でした。豊臣秀吉はいち早くこの恵まれた地形に注目し、大阪城を築き、大阪を巨大都市として発展させました。江戸時代には数多くの商人たちが集い大阪は「天下の台所」と呼ばれるようになりました。その中心部となった中之島では、今も水都ならではの美しい景観を、また「船着き場」を地名の由来とする船場では、大正・昭和初期のモダンな建築を楽しむことができます。大阪は商人の町として繁栄し続け、近畿地域のGDPは日本全体の約15%を占めており、日本経済の発展を支えています。また、大阪南部には5世紀頃に築造されたといわれる古墳群が残存しており、日本政府は★「仁徳天皇陵古墳」を含む「百舌鳥・古市古墳群」のユネスコ世界文化遺産登録をめざしています。

 

 

《NEWS》2018.11.28産経デジタルより

「太陽の塔」世界遺産に 大阪・松井知事が改めて表明

2025年国際博覧会(万博)の大阪開催が決まったことを受けて、大阪府の松井一郎知事は28日の定例会見で、1970(昭和45)年万博のシンボルである「太陽の塔」(大阪府吹田市)について、25年万博に合わせて世界遺産登録をめざす考えを改めて示した。文化庁によると、世界遺産の登録までには、まず推薦候補の暫定リストに記載される必要がある。リストにはすでに★「百舌鳥・古市古墳群(大阪)」など7件が記載され、平成19年以降は応募を受け付けていない。仮にリスト入りしてもユネスコに申請できるのは日本として1年に1件のみで、実現のハードルは相当に高いとみられる。会見で松井知事は「70年万博から55年後の万博の年に、太陽の塔が世界遺産になれば、ストーリーがあって夢がある。挑戦する価値は十分ある」と語った。松井知事は今年2月にも同じ方針を表明していた。万博記念公園にある太陽の塔は、芸術家の故岡本太郎氏がデザインした。耐震工事を終え、今年3月から内部が48年ぶりに一般公開されており、これまでに約16万人が来場する人気となっている。府は27年にとりまとめた同公園の将来ビジョンで、太陽の塔の世界遺産登録と、★その前段階として国の登録有形文化財の指定をめざす方針を明記していた。同文化財の指定には、建築から50年以上経過することが必要。松井知事は、太陽の塔が建築から50年を迎える32年から、活動を本格化する意向を明らかにしていた。建築から約50年で世界遺産に登録されたケースとしては、フランスなど7カ国合同で推薦した「ル・コルビュジエの建築作品」の一つ、東京・上野公園の国立西洋美術館がある。

 

・・・「経済効果」を考えて次から次へ、なにがなんでも「前進」ですかね。

 

 

《NEWS》2019.1.11時事ドットコムより

大阪駅で古墳群PR=世界遺産登録めざし-堺市など

堺市などは、7月の世界文化遺産登録をめざす「百舌鳥・古市古墳群」を多くの人に知ってもらおうと、JR大阪駅でステージイベントを開いた。会場は多くの家族連れなどでにぎわった。イベントではクイズ大会などを実施。大会に参加した約300人が「日本の古墳と大学の数はどちらが多いか」などの難問に挑み、全問正解者には大阪府の広報キャラクター「もずやん」がプリントされたバウムクーヘンが贈られた。会場には、同古墳群の世界遺産登録を応援する堺市のキャラクター「ハニワ課長」も登場。手を振って写真撮影に応じるなど、精力的にPRした。百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部の担当者は「1600年守られた資産を、人類の宝として守っていくため世界遺産登録をめざす」と意気込んだ。

 

《ロボ旅・堺》2019.3.5JTB

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000318.000031978.html

世界遺産登録をめざす大阪府堺市でモバイル型ロボット「RoBoHoN(ロボホン)」を活用した観光案内事業「ロボ旅・堺」の実証実験で協業

https://robohon.com/

株式会社JTB(本社:東京都品川区、代表取締役社長:髙橋広行)、シャープ株式会社(本社:大阪府堺市、代表取締役会長兼社長:戴正呉)、株式会社ゲン(本社:大阪府大阪市、代表取締役:達山源市)は、シャープ製のモバイル型ロボット「RoBoHoN(以下、ロボホン)」を活用した観光案内事業「ロボ旅・堺」で協業します。本事業は、JTBと堺市、および公益社団法人堺観光コンベンション協会が、観光客の周遊促進や滞在時間拡大、多言語サービスの提供などの課題解決に資する観光サービス創出を目的に実施するもので、3月15日(金)より、堺市内にて実証実験を開始します。シャープは、本事業で利用する「ロボホン」のシステムを開発、ゲンは本事業全体の企画・プロデュースをすることで、堺市への誘客につながる新たな魅力の創出をサポートしてまいります。堺市は、古墳時代から続く長い歴史をもち、茶の湯を大成した千利休や歌人の与謝野晶子などの文化人を輩出した地でもあり、刃物や線香、和菓子といった伝統産業など、数多くの観光資源を有しています。また現在、日本最大の仁徳天皇陵古墳を含む「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の世界文化遺産登録をめざしており、観光による交流人口拡大の好機を迎えています。「ロボ旅・堺」は、観光客に「ロボホン」を貸し出し、旅のガイドとして堺市内の観光を楽しんでいただく体験型サービスです。利用者が公共交通機関などを利用して市内を散策すると、「ロボホン」が位置情報(GPS)に反応し、仁徳天皇陵古墳や千利休屋敷跡などの名所で観光案内をしてくれるほか、刃物、線香、和菓子など伝統産業の工房や店舗情報、歴史や文化に関する豆知識なども教えてくれます。また、南宗寺など一部の観光名所では、「ロボホン」がストーリーテラー(語り部)として歴史などをより詳しく案内してくれます。移動中も時折「ロボホン」が利用者の名前を呼んで話しかけてきたり、写真撮影をしてくれたりするので、利用者は「ロボホン」とのコミュニケーションを楽しみながら、堺の歴史や文化をより深く知ることができます。3社は、2025年に開催される大阪・関西万博なども見据え、増加する国内外からのお客様に対応するため、今後もコミュニケーションロボットを活用したユニークな観光コンテンツの提供と新たな価値創出に引き続き取り組んでまいります。

 

・・・わが町「羽曳野市」としては、

 

《羽曳野市「世界文化遺産推進室」》

https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shichou/sekaibunka/index.html

★「ギャラリーはびきの」

https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shiminjinken/shimin_kyodo/gallery/

 

 

《第7回百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進シンポジウム》

平成31年3月16日(土)りそなグループ大阪本社ビル地下講堂(大阪市中央区備後町2-2-1)

http://www.mozu-furuichi.jp/jp/news/2019/01/25/7kai_sympo/?fbclid=IwAR3el-6q1o0kwDcaR9_vgFQF9_JqC6R6O-lBNKJ3F_WnHbCmRJ2i-3SDYnw

主催:百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議

http://www.mozu-furuichi.jp/

共催:百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を応援する府民会議

後援:一般社団法人日本イコモス国内委員会、株式会社りそな銀行ほか

基調講演:石森秀三氏(北海道博物館館長)

「世界文化遺産を活かした地域づくり/-「感幸」「歓交」ノススメ-」

パネルディスカッション1「百舌鳥・古市古墳群の魅力を伝える」

パネルディスカッション2「百舌鳥・古市古墳群を未来に伝えるための地域づくり」

 

・・・「気勢を上げる」ことも大切ですが、何か具体的な取り組みとか新しい資料や発見があればいいのですが、無理ですね。ならば、少し方向を変えて考えてみたいと思います。

 

《翠鳥園遺跡公園》

所在地:羽曳野市翠鳥園2丁目10-101

交通:古市駅下車 西へ徒歩約15分

https://www.city.habikino.lg.jp/shisei/shisetsuannai/shakaikyoikushisetsu/6195.html

およそ★2万年前の石器作りの跡が発見された翠鳥園遺跡は、遺跡公園として公開されています。石器を作るために打ち割った石を表した大きな卵形のモニュメントを通り抜けると、目の前には旧石器時代の石器作りの跡を望めます。石器を作った場所(アトリエ)は、発掘でみつかった状態を模型や実物大の写真を使って再現してあります。奇跡的に残っていた旧石器人のアトリエをどうぞ訪れてみてください。

 

 

《NEWS》2018.4.21朝日新聞デジタルより

旧石器人、南方系の顔つきでした/石垣島の人骨から復元

沖縄県石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡(石垣市)で見つかった旧石器時代人骨(約2万7千年前)の生前の顔がデジタル復元され、南方系の人々の顔つきに近いことがわかった。県立埋蔵文化財センターが20日、発表した。「復元された国内最古の顔」といい、日本人の祖先がどんな姿で、どこからやってきたか、を解き明かす手がかりとなる。同センターや国立科学博物館、複数の専門家でつくる研究グループは、頭骨が残る4体をX線CT撮影し、そのデジタルデータをもとに頭部を復元。このうち、30代から40歳前後の男性とみられる4号人骨について3次元プリンターで骨格をつくり、肉付け作業をした。その結果、鼻の付け根が落ち込む彫りの深い顔立ちが現れ、中国南部や東南アジアの古人骨や、のちの縄文時代人と似ることが確認できた。河野礼子・慶応大准教授(自然人類学)は「デジタルデータで手に取って見えるような形にでき、学問的にも重要な手がかりとなる」と話す。アフリカを出発した現生人類が日本列島に到達したのは4万年ほど前といわれる。日本人の起源をめぐり、もともと南方系の形質を持つ人々だったとの有力な説がある一方で、遺伝子の分析などから北方系とみる説もあり、★議論が続く。流入経路も、対馬海峡や樺太経由、南西諸島伝いなど複数のルートが出されている。旧石器人骨は全国でも10例ほどしかなく、ほとんどは土壌が保存に適する沖縄県での出土。同遺跡ではこれまで、少なくとも19体分が見つかっている。復元された顔の模型は20日、国立科学博物館(東京)での企画展で展示が始まった。6月17日まで。

〈白保竿根田原洞穴遺跡〉 石垣島の新空港建設にともなって発見され、人骨千点余りが出土した。旧石器時代の骨は少なくとも19体にのぼり★世界屈指の規模。学術的な価値の高い全身骨格もある。出土状況から墓域とみられ、当時住んでいた人の姿形、食料や暮らしぶり、葬送儀礼など多角的で総合的な研究が進められている。

 

【旧石器時代】

ホモ・ハビリスなどヒト科による石器(打製石器)の使用が始まった時代で、石器時代の初期・前期にあたる。年代的には200万年前に始まる。旧石器時代は石器の出現から農耕の開始までの時代(完新世)をさす。通常、旧石器時代は以下の3つに区分される。

●前期旧石器時代(約260万年前~約30万年前)

ハンドアックスがひろく用いられた時代。この時代の人類はホモ・ハビリスおよびホモ・エレクトスが主流であった。

●中期旧石器時代(約30万年前~約3万年前)

剥片石器が出現した時代。

ネアンデルタール人が広がった。極東アジアの中期石器文化の特徴から、ヨーロッパから来たネアンデルタール人に依ったものではなく、アジアの原人から進化した古代型新人によって形成された可能性が大きいとされる。

●後期旧石器時代(約3万年前~約1万年前)

石器が急速に高度化、多様化した時代。このような技術革新の原動力を言語に求める説もある。クロマニヨン人(ホモ・サピエンス)が主流となり、他の化石人類は急速に姿を消した。

 

 

・・・歴史の教科書における「旧石器時代」の記述は2~3ページ程度で、日本と大陸が地続きだった、氷河期、打製石器、また群馬県の関東ローム層から岩宿遺跡が発見された(考古学者・相沢忠洋)や、長野県野尻湖の遺跡からナウマンゾウの骨と打製石器が発見されたぐらいの内容です。大学などで専門的な研究に従事でもしない限り、旧石器時代について学ぶ機会は乏しいのが現実です。

岩宿遺跡が見つかるまでは、先土器文化の時代はないと考えられていましたが、日本では、後期旧石器時代の遺跡は北海道から九州にかけて5000カ所が確認されています。前期および中期についても、数は少ないながらいくつか確認されています。ちなみに、世界史や人類史の視点では、石器の分布によって文明を測るのが通例となっています。しかし、日本には縄文土器や弥生土器といった時代によって特徴が大きく異る「土器」が存在するため、こちらを指標として文化を測るのが通例となっています。