・・・月刊「なごみ」で「売立目録」について書いておられた武内さん、「畠山記念館」について調べました。
《参考》「畠山記念館」
108-0071東京都港区白金台2-20-12/03-3447-5787
http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/
畠山記念館は、茶道具を中心に、書画、陶磁、漆芸、能装束など、日本、中国、朝鮮の古美術品を展示公開している私立美術館です。収蔵品は、★国宝6件、重要文化財33件を含む約1300件です。春夏秋冬季節の移り変わりに合せて年4回、作品を取り合わせて展示しています。
【畠山一清】(1881~1971)
能登国主畠山氏の後裔で、東京帝国大学工科大学を卒業、技術者としてポンプの開発に取組み、株式会社「荏原製作所」を興して実業界に名を馳せました。
事業のかたわら、即翁と号して能楽と茶の湯を嗜み、長年にわたり美術品の蒐集に努めました。昭和の初めには旧寺島宗則伯爵邸のあった白金猿町の土地約三千坪を購入、明治13年に天覧能が催されたという由緒あるこの地に、奈良般若寺の遺構や、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築して、私邸「般若苑」を造営し、昭和18年に開苑の茶会を催しています。戦後、国宝の「林檎花図」「煙寺晩鐘図」をはじめ、大名茶人松平不昧の茶道具や加賀前田家伝来の能装束など、今日の畠山記念館の中核をなす美術品の蒐集がおこなわれました。畠山即翁は主として茶事の場において所蔵の美術品を披露してきましたが、その文化的価値に鑑み、恒久的な保存を図るとともに、広く一般の研究鑑賞に資するため、苑内の一角に美術館を建設、昭和39年10月に財団法人畠山記念館が開館しました。その7年後、昭和46年11月17日に即翁は91歳の天寿を全うしましたが、愛蔵の美術品を受け継いだ畠山記念館は、現在にいたるまで、茶の湯の美術館として親しまれています。
・・・国宝6件というのはスゴイですね。調べた限りでは、藤田美術館(国宝9件)徳川美術館(国宝9件)根津美術館(国宝7件)静嘉堂文庫美術館(国宝7点)三井記念美術館(国宝6件)五島美術館(国宝5件)毛利博物館(国宝4件)大倉集古館(国宝3件)MOA美術館(国宝3件)林原美術館(国宝3件)サンリツ服部美術館(国宝2件)和泉市久保惣記念美術館(国宝2件)でした。
《参考》「国宝」
★「国宝」という言葉が誕生したのは、今から約120年前の1897年(明治30)のこと。2017 年8月現在、国宝は合計で1101件指定されている。「美術工芸品」と「建造物」の2分野に大きく分かれ、「美術工芸品」が878件、「建造物」が223件。「美術工芸品」の分野はさらに7種類に分けられ、「絵画」160件、「彫刻」131 件、「工芸品」253 件、「書跡・典籍」225 件、「古文書」60 件、「考古資料」46 件、「歴史資料」3 件という内訳。重要文化財(国宝含む)が合計で1万3128 件指定されているので、国宝の割合は約8% となる。
現在、一番国宝が多い都道府県は★東京都で、その数は277 件(2017 年8月現在)。東京国立博物館をはじめ、博物館や美術館が多いことがその理由だろう。また、個人所有の国宝も比較的多いこともある。次に多いのは、★京都府で232件、★奈良県で201件となっている。一方で、国宝が一つもない都道府県は、徳島県と宮崎県の2県。それぞれ重要文化財を所持しているので、今後それらが国宝に格上げされる可能性はある。国宝所持数トップは、奈良県の法隆寺。建造物が18 件、美術工芸品が20 件の合計38件が指定されている。建造物には、世界最古の木造建築物で世界遺産にも登録されている『金堂』や『五重塔』、美術工芸品には『四騎獅子狩文様錦』などが含まれている。2位は同じく奈良県の東大寺で合計31 件、3位も奈良県の興福寺で26件と、トップ3は★奈良県の寺院が独占している。
【武内範男】
https://www.kashima-arts.co.jp/column/column_4.html
日本文化史研究家。昭和22年高知県生。大谷大学大学院仏教文化専攻、修士課程修了。思文閣勤務ののち、財団法人★畠山記念館に学芸員として奉職、退職後、茶道・花道史を軸に日本文化史に関する論文を執筆する。また茶道愛好者を対象に茶花の講習会を開催、普及に努める。講演、著書も多数。
《美術商「山中商会」》文:山本真紗子(立命館大学大学院・先端総合学術研究科)
http://www.arsvi.com/w/ym11.htm
近代以前の山中家の記録として、大阪天満宮に二代目山中吉兵衛(文化3〔1806〕年~明治5〔1872〕年)の名が確認されている。初代山中吉兵衛(明和4〔1767〕年~文政10〔1827〕年)は伊丹から大阪へ出て天満大工町で経師屋を開業したとされ、三代目吉兵衛は明治期に長く大阪天満宮の氏子総代を務めた。現在も大阪天満宮の本殿前には戦前、高麗橋一丁目の山中商会本社玄関前にあった白大理石の狛犬がすえられている。中村作次郎『好古堂一家言』の記述も、山中吉郎兵衛の先代(二代目)吉兵衛は経師屋であったとする。本来の商売のかたわら書画骨董をなりわいとしはじめ、彼の長男(三代目)吉兵衛は天満におり天山、次男吉郎兵衛は北浜の角の店のため角山、娘にむかえた養子、與七は高麗橋一丁目に住んだため高山と称した。この三人のうち、もっとも世に名をしられたのが次男山中吉郎兵衛であろう。「山中春篁堂」として明治・大正の大茶人との交際や取引をおこない、高橋箒庵『萬象録』などにもその名は登場する。『角山篁翁薦事図録』は吉郎兵衛3回忌時の陳列の記録であるが、その巻末には「山中篁翁小伝」がある。それによると吉郎兵衛は弘化3(1846)年12月12日生まれで、幼名は岩次郎。明治15 (1882) 年高麗橋で店舗を開いたという。その後は、二十代のころ川崎正蔵に本願寺伝来顔輝筆寒山拾得二幅対を八百円でおさめたとのエピソードに象徴されるように、当時のコレクターとの取引も盛んにおこない、また★平瀬家蔵器入札では晴海★戸田らとしのぎをけずるなど、多くの入札の札元もつとめた。また大阪美術倶楽部には明治43 (1910) 年の創設時より取締役の一人として参加した。
《株式会社「山中商会」》
542-0081大阪市中央区南船場2-11-9 417号/06-6252-8715
http://yamanaka-syokai.com/index.html
★『東洋の至宝を世界に売った美術商——ハウス・オブ・ヤマナカ』著:朽木ゆり子
ロックフェラーらアメリカの大富豪を相手に国宝級美術品を商った山中商会の興亡史。19世紀からアメリカに進出し、日本美術品を大量に販売した骨董商・山中商会。20世紀初には清朝崩壊で大量放出された中国美術の大オークションをニューヨークやロンドンで開くが、日米開戦で莫大な資産を失い、所蔵コレクションは全て売り払われる。歴史の荒波に揉まれて消えた、世界的美術商の知られざる六十年。
★『芸術新潮』第18巻第1号(1967年1月)
山中商会盛衰記「世界一の東洋古美術商」文:桑原住雄
《NEWS》2015.7.6ジャパンニュース倶楽部より
日本国外の美術館を訪れて日本美術品の充実ぶりに驚いた経験はないだろうか。私(リポーター)はニューヨークやワシントンDCの美術館で、日本セクションの一級品や仏教美術品の多さに愕然とした。いったい誰が海外に持ち出しのただろうか。4月末、日本をはじめアジアの美術品を大量に売買した山中商会に関する講演会がデトロイト美術館(DIA)で開催された。講演者に★『東洋の至宝を世界に売った美術商——ハウス・オブ・ヤマナカ』の著者であるジャーナリスト★朽木ゆり子氏(ニューヨーク在住)を招き、英語による講演が行われた。これは、以下団体の協賛、また、在デトロイト総領事館の支援を得て実現したもので、会場には200人を超える聴講者が足を運んだ。協賛:The Freer House, Wayne State University; Friends of Asian Arts & Cultures, DIA; Japan America Society of Michigan and Southwestern Ontario 協賛団体の筆頭に記載した“The Freer House”は、デトロイトで巨万の富を築いた美術コレクターであるフリーア(Charles Lang Freer, 1854-1919)の旧宅の名称で、デトロイト美術館の近くに現存している。建物は残っているものの、蒐集品はワシントンDCのフリーア美術館(スミソニアン博物館群の一つ)に収蔵されて旧宅には残っていないが、邸宅の保存修復とフリーアの業績を伝え広める目的をもつ「フリーア友の会」が絵画のレプリカを元の位置に飾るなど復元を進めている。フリーアの蒐集品はアジア美術において世界屈指と言われながら、彼の遺言により門外不出であるためにあまり知名度が高くないが、日本にあれば重要文化財、国宝間違いなしと評される逸品が数多く揃っていることにも触れておきたい。フリーアは数回も訪日したほど日本美術に傾倒し、フリーアハウスにも東洋の美を愛していたことが見て取れる。朽木氏の講演は、フリーアと山中商会との関係に焦点をおき、海外に渡った美術品の種類や傾向、売却の経緯、そして商会の盛衰について多数の映像を交えて解説した。山中商会(ハウス・オブ・ヤマナカ)は19世紀末のニューヨーク進出を機に、第2次世界大戦まで欧米各地に店を構え、海外の蒐集家に大量のアジア美術を販売。人脈と信頼を糧に、日本や中国の書画骨董を買い集めては売り渡したという。仏教美術品も、寺院の経済事情を背景に海を渡ることになった。当時の浮世絵は作品によっては$35程度の値段であったこと、山中商会のニューヨーク店は一等地であった5番街に構え40人ほどの従業員を擁していたことなど、素人にも面白い話が多く、高い関心を集めていた。品物の確かさやマージンの低さが功を奏して繁栄していた商会であったが、敵国となったためにアメリカ政府に美術品やその他の資産をすべて接収・売却され閉店を余儀なくされたという話に関して、質問タイムに聴講者から従業員らの行方・・・強制収容されたのかを懸念する質問が上がった。聴講者の9割以上が日本人以外と見られたが、盆栽収集についての質問もあり、日本文化についての知識や関心の高さが窺われた。山中商会のような美術商によって大量の美術品が国外に流出したのは事実であり、否定的にとらえる向きもあるが、同時に、海外にアジア美術を紹介した功績は大きいといえる。浮世絵は国内では挿絵かプロマイド程度の位置づけであったものが、海外でその技術の高さや美しさを評価されたことで“美術品”の域に価値があがり、紙くず扱いの危機を免れたように、保護現存に寄与したのも事実である。フリーアのようなコレクターの存在価値も然りであろう。講演を聴いた日本人からも、「優れていると認められ、海外に売られることがなければ、捨てられたり消失していたのかもしれない」「海外で日本美術が見られることに感謝の気持ちが生まれた」との声が聞こえた。講演後には、フリーアハウスの邸内ツアーが提供された。現在はWayne State Universityに属する研究所のオフィスとして使われており、通常、一般に公開されていない。アメリカのNational register of Historic Placesに登録されている歴史的建造物を見学する貴重な機会となった。余談ではあるが、フリーアは庭の植物の詳細な購入記録を残していたため、それを基に庭の再現プロジェクトも進行中とのこと。フリーアハウスに関する問い合わせは313-664-2500またはwww.mpsi.wayne.edu/freer/朽木氏に、海外にある日本美術品の見方について助言を求めたところ、★「印象派やフランス美術に人気があるのは、作品が世界中に拡散したから。日本美術も広く見られれば日本に対する理解も深まると思います」との言葉をいただいた。また、DIAの展示品に関して、西洋美術やコンテンポラリーの内容が素晴らしいと評価。講演前に廻る機会を得たというデトロイトのダウンタウンについては、「デトロイト市破産から、デトロイト美術館が独立法人になるまでのプロセスは外部から見ていて感心した。デトロイトは実行力があるんですね。」とのこと。最後に「美術コレクターがいる。そして、破たんしかけたデトロイトの美術館を存続するために寄贈した人々がいる。そういう土地なのでしょう」と穏やかな口調で語った。
【朽木ゆり子】
https://www.icualumni.com/interview/guest037.html
東京都生まれ。小学校時代一時期神戸市に住む。東京都立小石川高等学校を経て国際基督教大学教養学部社会科学科卒、同大学院行政学修士課程修了。コロンビア大学大学院政治学科博士課程に学ぶ。1987年から1992年まで「日本版エスクァイア」副編集長。1994年よりニューヨーク在住。美術関係の著作が多い。著書に『盗まれたフェルメール』『パルテノン・スキャンダル』(ともに 新潮選書)、『マティーニを探偵する』(集英社新書)、共著に『謎解きフェルメール』(新潮社)がある。★『盗まれたフェルメール』と『謎解きフェルメール』は韓国語版が出版されている。
《参考》「消えたフェルメールを探して」
http://www.uplink.co.jp/kietavermeer/index2.php
・・・朽木さんの本、「消えたフェルメールを探して」DVDを購入、寄り道・脱線がとまりません。