カエル旅(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《香川県漆芸研究所》 

https://www.pref.kagawa.lg.jp/sitsugei/ 

香川県漆芸研究所は、香川県の伝統工芸である蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)などの技法を保存し、後継者の育成と技術の向上を目的とする全国★最初の施設として、1954(昭和29)年11月設置、翌年、高松工芸高校の校舎の一室を借りる形で発足しました。当初は県内漆器産業従事者の技術向上をめざし、漆器業界の協力のもとに各職場の研究熱心な従業員が入所し、磯井如眞や香川宗石をはじめとする漆工芸作家から直接に漆芸技術の手ほどきを受けました。その後、1960(昭和35)年に高松工芸高校の敷地内に鉄筋コンクリート2階建(延面積477平方メートル)の独立した新施設が竣工し、続いて、1967(昭和42)年に3階部分(延面積304平方メートル)が増築されるなど、実習環境が整えられました。漆器業界からの入所者が漸減するなかで、1967(昭和42)年度から高松工芸高校定時制課程塗装科との技能連携教育を開始しました。その後の社会経済環境の変化を受け、1980(昭和55)年度入所生から技能連携制度を廃止し1982(昭和57)年度から修学年限3年、1学年の定員10人とする現行の研究生課程を設置しました。研究生課程終了後の研究員課程についても、1979(昭和54)年度から現行の公募制に改めました。また、地域文化の一層の振興を図るために、2007(平成19)年度から文化芸術に関する業務が知事部局の所管となり、2009(平成21)年4月に★香川県文化会館に移転、新たな実習環境と運営体制のもとに、香川県の漆芸振興の拠点施設として再出発をしました。2014(平成26)年11月に創立60周年を迎えた香川県漆芸研究所の修了者(研究生)は400人を超えており、漆工芸作家や漆工技術者として活躍するなど、香川の伝統漆工芸や伝統産業の振興に寄与しています。2013(平成25)年には、山下義人指導員(第15回修了者)が当研究所修了者として初めて重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認定されました。

 

 

※参考「巨匠が残した建築を訪ねて」 

https://www.my-kagawa.jp/course/2393/

《香川県庁東館(旧本館・旧東館)》 

平成31年12月まで(予定)耐震改修工事を行っており、ご見学いただけない状況となっております。戦後の新しい時代を建築で表現した丹下健三の意欲作。1階のロビー、ピロティー、南庭はすべて県民に開放され、開かれた県庁舎を体感できる場所です。建物の外観は、日本の伝統を意識し各階軒先の小梁は木造建築の「垂木(たるき)」を思わせるデザイン。1階ロビーに配された、画家★猪熊弦一郎の陶板壁画「和・敬・清・寂」は、茶の精神を借りて民主主義のあるべき姿を表現したものです。新時代の庁舎像を示したお手本のような作品です。

 

 

・・・ちょっと散策程度に考えていたのですが、ずいぶんはまってしまいました。

 

 

《NEWS》2017.8.29朝日新聞デジタルより 

http://nagarefound.jp/news/170713.html

「父帰る」「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に」などの作品で知られる高松市出身の作家、菊池寛(1888~1948)の生家跡に、彫刻家★流政之氏(94)が自作の彫刻を寄贈した。28日に除幕式があり、高松市庵治町に住む流氏も姿を見せた。菊池寛は来年、生誕130年、没後70年を迎える。菊池寛通りを挟んだ中央公園の向かいにある生家跡には、それを記念する顕彰碑があったが、2015年、土地を所有する第一法規(東京)がビルを取り壊した際に中央公園の敷地内に移された。今回第一法規が改めて生家跡の目印を作ろうとしていることを知った流氏が、彫刻の寄贈を決めたという。作品は大黒天をモチーフにしている。人びとに福が訪れるように、との願いを込めたという。大黒天は黒御影石で、台座は庵治石でできている。台座も含めた高さは130センチ、幅50センチ、奥行き50センチ。流氏は、生前面識があった菊池寛を「とても癖の強い人だった」と振り返り、訪れた人には「彫刻を実際に触ってみてほしい」と話した。

 

 

※「菊池寛の生家跡」 

http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/kikuchikan/walk/3.html

http://www.bk-web.jp/2017/0601/beauty.php

1888年(明治21)12月26日に、香川県香川郡高松7番丁(現高松市天神前)で生まれた。「私の家は、高松藩の藩儒であったと云えば、体裁はいいが、恐らく三両五人扶持と云うような小禄の家であったに違いない。それでも、二百坪位の屋敷であった。家は六間位であったろう」(菊池寛『半自叙伝』より) 

※「菊池寛記念館」 

760-0014高松市昭和町1丁目2-20サンクリスタル高松3階/087-861-4502 

http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/kikuchikan/index.html

菊池寛の功績と人間像を伝える展示室、著書を閲覧できるコーナーがある。また芥川賞・直木賞の展示室があり、受賞作や一部作家の生原稿も見られる。4階には「高松市歴史資料館」もあります。 

 

・・・菊池寛生家跡で、流さんの作品(最後?)に出合えました。なんだかジ~ンときます。

 

 

・・・テーマ「かえる友の会関西支部」が★150回を迎えました。続きは、単純に「カエル」というテーマで新規スタートしますので、よろしくお願いします。