文紙メッセ(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《文紙MESSE2018》 

平成30年8月7日(火)9:00~19:00 

平成30年8月8日(水)9:30~17:00 

マイドームおおさか展示ホール1階・2階・3階及び各階ロビー 

http://www.bunshi-messe.com/

文紙MESSE協議会では、文具・紙製品業界の発展と出展各社のお取引の拡大を願って、「文紙MESSE2018」“文具ワンダーランドⅨ”を8月7日(火)・8日(水)の2日間、マイドームおおさかで開催します。初日の午前9時から午後1時までは商談タイムです。業界関係者にご来場いただき、より進んだビジネス展開の場としていただきます。初日午後1時からと2日目は★一般公開し、一般の方にもご入場いただき、商談会と一般公開を並行して行います。入場は無料です。多くの有力文具紙製品製造業社が、各社の誇る製品の数々を出展します。これだけの品ぞろえの文具・紙製品に一度に出会える機会はめったにないでしょう。日頃文具紙製品に関心をお持ちの消費者・ユーザーの皆様には、多種多様な文具・紙製品に出会える、まさに「文具ワンダーランド」です。文具の楽しさを新発見してください。主催者といたしましては、多くのユーザーをお迎えし、市場のニーズを的確に把握し、より皆様にご満足いただける商品開発のさらなる発展の場となることをめざしています。新たな飛躍・発展に挑む「文紙MESSE2018」“文具ワンダーランドⅨ”へのご来場をお待ちしております。 

※文紙MESSE協議会事務局 

542-0061大阪市中央区安堂寺町2丁目4番14号文健会館3階 

一般社団法人大阪文具工業連盟内/06-6768-4919

 

 

日本最大級!文具・紙製品のイベント!進化し続ける文具を展示! 

マイドームに入館するとアーチがかかったロビーからショッピングゾーンがスタート!そのまま展示場内のショッピングゾーンにつながっていきます。最新の商品からアウトレットまで、幅広い品揃えでショッピングを楽しんで!出展社もユーザーのニーズ・商品開発や販路開拓につなげる機会になります。 

【1階】防災体験シアターではエアドームの丸天井に迫力満点の映像が展開されます。また、震度7を体感できる起震車では、大地震への備えの大切さを来場者の皆様に実感していただきます。未来の消防士セイバーミライが活躍します。 

【2階ロビー 】新製品コーナー 

各社こだわりのデザイン・機能の新製品が一挙に公開され、最新の製品情報が獲得できます。恒例の人気コーナーで、いつも人だかりがたえません。「あなたが選ぶ新製品人気コンテスト」として、「デザイン部門」「機能性部門」別に入場者に人気投票していただきます。業界の方にも投票していただき、最終日に選ばれた優秀製品を表彰。人気のweb投票も実施、幅広い方々の投票を受け付けています。 

【3階】大阪市内の小学生による、平成29年度防火防災図画優秀作品が壁面いっぱいに展示され、文具紙製品を縦横に駆使してメッセージを伝える子供たちの力強さが実感されます。優秀作品はポスターやカレンダーになります。

 

 

《立川ピン製作所》大阪支店(総務部) 

540-0029大阪市中央区本町橋8-16/06-6946-2101 

http://tachikawa-net.jp/

http://tachikawa-net.jp/history

株式会社立川ピン製作所は、1935年(昭和10)に創業。鋼ペン先、ピン針、ゼムクリップを製造するメーカーとして発足しました。その前身は、文具界という文具店にさかのぼります。創業者の立川泰之助は、旧財閥の泉屋(旧・住友、現・住友グループ)の生まれ。当時の名は、泉屋新造といいましたが、わずか10歳の幼少にして改名し、泉屋から立川泰之助になりました。泰之助は、白水堂洋品店に奉公に出、一生懸命に学び、1897年(明治30年)に23歳で独立。当時、文具を商う店は「筆屋」と呼ばれていましたが、泰之助が★日本で初めて「文具店」という名を考案し、自らの店に名付けました。ちなみに当時は、現在の洋品雑貨店が文具を扱っており、筆、墨、硯や和紙等を商っていた。泰之助は、大阪の小売店ではまだ誰も扱わなかった鉛筆、万年筆などの舶来文具を販売したと伝えられています。その後、泰之助は1909年(明治42)10月に「文具界」という洋の東西を問わない幅広い品ぞろえの文具総合店を創立しました。創立後間もない時期に第一次世界大戦(1914~1918年)が勃発。輸入文具が極度に不足する事態を迎えました。当時の資料では、1グロス60~80銭の舶来ペン先が3円から5円になるという状態だったといいます。この困窮に、1915年(大正4年)、国産文具の権威高揚とアピールのため、心斎橋の本社社屋を会場に文具界主催の「国際文具展覧会」を開催。現在の文具オフィスフェアの前身的催しを生み出しました。3年後の1918年(大正7年)には、大阪全業界人が株主となり、四世福井庄次郎氏(福井商事、後のライオン事務器の社長)を社長、当時の有力者を重役として日本ペン先(株)が設立されました。(以下略) 

http://tachikawa-net.jp/pen

鋼ペン先、ピン針、ゼムクリップの製造を始めて70年以上。今もプロのマンガ家に愛用されているタチカワおよび日光ブランドの丸ペン、Gペン、サジペンを製造している日本で★2社しかないメーカーのひとつです。我が国でのペン先の歴史は、明治4年にイギリスから輸入されたことに始まります。大正2年には、国内での製造体制が整い、国産化して発売されました。戦後、生産量は拡大し、昭和25年には最盛期を迎え、ペン先メーカーは18社を数えるほどでした。帳簿用として愛用されてきたペン先ですが、ボールペンの普及とコンピューター化により、その後は徐々に需要は減少。しかし、ペン先の需要はゼロにはなりませんでした。近年は★マンガ用として、マンガ家にとって、なくてはならない筆記具となっています。そして、そのマンガは、日本国内だけでなく、東南アジアやヨーロッパ、アメリカなど、世界中に広がり、ペン先への評価が再び高まっています。 

http://tachikawa-net.jp/pen/pen_history

今現在つけペンの用途は毛筆の様に「跳ね、はらい」をしたり、筆圧によって線の太さの強弱が一筆でつけられるなど、つけペンでないと表現できない線画が描ける為に、マンガの下書きの画を清書する“ペン入れ”という作業に使われています。つけペンは習熟に時間のかかる画材です。慣れないうちは筆圧加減がわからず、線が太くなったり、細くなったりと思うように描けないことでしょう。反面、描き方のクセが失敗ではなく個性に昇華しやすく、その人にしか出せない唯一無二の線画を描くことが出来る画材です。 

http://tachikawa-net.jp/pen/manga

また、つけペンは日進月歩のデジタル機器と違って、今現在でも形状や性質が全く変わっていませんので、自転車と同じ様に、一度ペン先を使えるようになれば、何年後に描いても、以前と同じように使えるのも大きな魅力です。このように、唯一無二の線画を描くことによって、1度として同じ作品が描けないライブ感のある画を描くことが出来るうえ、いつでも以前と変わらぬ様に描けるのが、この「つけぺん」です。パソコンも画を描く画材として扱われるのであれば、なおさらつけペンという画材を用いてみることをおすすめします。

 

 

・・・久しぶりに「ペン」を使ってみたくなりました。

 

 

・・・お土産もいっぱい買って、堺筋本町界隈を散策してから帰ります。

 

《参考》文房四宝 

中国文人の文房趣味のひとつで筆墨硯紙の四つをさす。別に文房四友という言い方もある。これらは文房具の中心であり、特に賞玩の対象となった。この四つの文房具の中でも特に硯が重んじられ、多くの文人に愛でられる対象となった。使用しても消耗することがなく、骨董価値が高かったためである。次に墨・紙という順で、筆は新しくないと実用的でないので骨董的な価値に乏しく、愛玩の対象とはあまりならなかった。唐代においても硯や墨の優劣について論じたという記録があるが、南唐文化の影響を色濃く受けた宋代以降に文房四宝が語られることが多くなった。硯は端渓硯が最も有名であるが、歙州硯も同じくらい賞玩され、墨も歙州に名工と評される李超・李廷珪父子が名を馳せ、張谷もこの地に移ってきた。紙についても、歙州にて澄心堂紙という極めて良質の紙が産出された。宋初には硯・墨・紙について、歙州は代表的な生産地となっていた。これは南唐の国王である李中主・後主の親子2代にわたる工芸優遇政策によるところが大きい。工人に官位を与え俸禄を優遇したため、優秀な人材が集まり、技術が高度化して、優れた製品を継続的に生産できるようになったのである。南唐期の文房四宝は歴代皇帝に珍重され、復元が試みられた。また、葉夢得・唐詢・欧陽脩・蘇軾・米芾・蔡襄など著名な文人、書家も重用した。

 

 

《プロルート丸光》 

541-0056大阪市中央区久太郎町2-1-5/06-6262-0303 

http://www.proroute.co.jp/

明治33年(1900)大阪市西区靱町に「前田利右衛門商店」として創業。トレンドアウターから実用商品までフルラインの品揃え、1枚からお仕入れできる前売卸本来の機能がここに。 

★一願地蔵尊/現プロルート本店の建設着手より、様々な苦難や異変に遭遇。当時の代表前田光一が、長い歴史の積重なるこの地に、奈良春日大社より地蔵菩薩を勧請、プロルート丸光の南側に建立後、一願地蔵として今では地元の皆様からも広く想いを寄せられるお地蔵様です。 

 

《船場ダイヤモンドビル》 

541-0056大阪市中央区久太郎町2-1-30 

http://www.chitosenet.co.jp/building/senba/

大阪商人(あきんど)の街、繊維問屋街として有名な船場。秀吉が商人たちを集めて造った城下町筋で大阪経済の中心地。この地は新しいオフィスビルや都心型マンション開発が進んでいる一方、戦前の建物も多く、新旧の建築が同居しています。その中央大通りと堺筋が交差する地に平成7年5月、三菱UFJ銀行をはじめMUFGグループをキーテナントとし安心・快適なオフィス空間の提供というコンセプトで建ち上がった船場ダイヤモンドビル。時代の最先端を走り続ける企業のビジネスステージに相応しいオフィス機能、オフィスワーカーのための快適な環境、セキュリティ、多様なニーズに応えるフレキシビリティーの確保などを実現しています。 

【吉水絹代】 

http://www.kogei-kyoto-art.com/member/yoshimizu.html

1946京都府生まれ。日展会員/日本新工芸家連盟理事/京都嵯峨芸術大学名誉教授。 

 

《イケマン》ビジネス品、文房具、事務用品 

541-0054大阪市中央区南本町2-2-5/06-6262-4701 

http://www.ikeman.co.jp/shop/

イケマンは、初代池田萬兵衛が大阪船場堂島新地3丁目に米方両替商を創業したのは江戸時代の中期、元文元年(1736)まで遡ります。大阪は「天下の台所」と呼ばれ全国諸藩の年貢米を集積する中央市場の機能を有していました。米市場では実際の正米の売買のほか、投機目的の帳合米の取引も盛んに行われていましたが、萬兵衛は正米取引のみを行いました。代々継承者は「萬助」を襲名、経営の第一線から退いて隠居名「萬兵衛」を襲名します。現社長は10代目にあたり、「全従業員の物心両面の幸福の追求とともに、世の中の生活文化を向上させることにより幸福な社会の実現をめざす。」と、事業の目的・意義を制定し、日々専門店としての品質の向上を努めております。イケマンの名前は「池田屋萬兵衛」の屋号である「池萬」に由来しています。池田の性は全国に沢山ありますが、どれも★物流業に縁の深い名前なのです。阿波池田は土佐、讃岐、阿波の交通の要衛に地名が残っています。摂津池田は丹波と摂津です。物流のあるところに池田屋が出てきます。 

 

・・・一つひとつの会社や商店に「歴史あり」、ですね。