・・・猫ふん(5)ブログで、歩き疲れてホット一息。紹介した★青山ビル1階の「桜屋珈琲館」がななんと、閉館となりました。
《青山ビル》
541-0044大阪市中央区伏見町2-2-6/06-6231-6397
http://www.aoyama-bld-osaka.co.jp/
大正10年 落成(地下1階地上3階塔屋 スパニッシュ風建築)
昭和22年 先代青山喜一が野田氏より譲り受ける。GHQにより建物接収するという話が持ち上がるが、交渉の結果GHQ将校の施設とすることを条件に接収を免れる。
昭和26年 日本独立とともに返還される。その後貸ビルとして利用。同時に名称も「青山ビル」とする。のちに4階・5階を増築。それに伴い屋上庭園と裏庭の日本庭園が廃止される。 平成9年 国登録有形文化財に指定される。平成22年 大阪市都市景観資源に登録される。
・・・もう1枚珈琲チケットがあったのに使えなくなってしまいました、記念に残しておきましょう。
《桜屋珈琲館》06-6202-3838
http://www.sakuraya-coffee.com/
桜屋珈琲館の原型は、1973年に京都府舞鶴市に開業した「自家焙煎の店/珈琲十番館」まで遡ります。その後、レストランチェーンを開業展開を果たしましたが、2015年秋、42年前の創業当時の珈琲に対する熱い想いを届けたいと、大阪市北浜に桜屋珈琲館1号店をオープンいたしました。これまでのレストランチェーンの経験を活かして、お食事にもこだわり「温かいものは温かいうちに」を大切に、ご提供したいと思っています。この1号店は、大正時代に建築され、「登録文化財」に指定された、趣ある佇まい。懐かしくレトロな雰囲気のお店で、1杯1杯丁寧に淹れる、香り高いサイフォン珈琲をぜひお楽しみください。朝の1杯に、ランチに、仕事帰りに、お客さまのくつろぐ時間をぜひ淹れたての珈琲とともにお過ごしください。
・・・もと★「丸福珈琲店」その後に★「澁谷珈琲」が2015年春ごろ閉店、その年の10月に★「桜屋珈琲館」オープン、そして2018年5月29日(火)に閉店。さてさて、この後はどうなるのでしょう。
《参考》「渋谷珈琲」
2014年7月★芦屋にオープン、着実に地域に定着しつつある『渋谷珈琲』。名前から東京からの進出と思われがちですが、そうではないようです。店内は天井も高くかなりゆったりとしたくつろげる空間になっています。地域でのライブなども開催されていたようです。コーヒーにはこだわりを持ちつつも、女性客のご利用が多いことから、紅茶やスイーツ類にも力を入れ、まさにお客様目線でメニュー展開されていましたが、このお店も閉店されたようです。
《参考》「丸福珈琲店」
http://marufukucoffeeten.com/kinen80/history.html
丸福珈琲の「濃い珈琲の極み」を生み出した創業者 伊吹貞雄。豆に魅せられ、豆に命を懸けた、豆一筋の一生でした。鳥取県の商家に生まれ育った創業者は末弟だったことから父親より自分のやりたいことを見つけ、一生の仕事として全うするように教えられます。そんな彼がめざしたものは、洋食レストランのオーナーシェフになることでした。志を抱いて、くいだおれの街 大阪に居を移しますが、いざ自分のレストランを出店する際には、当時、世界的にハイカラな街 銀座や帝国ホテルに憧れ、東京に上京することを決心します。「丸福珈琲店」を創業する前に、東京武蔵小山にて洋食レストラン「銀嶺」のオーナーシェフとして腕を揮いはじめます。得意のドミグラスソースを使ったタンシチューなどが評判でした。ちょうど、その頃、銀座の街で珈琲という飲み物が、流行しはじめます。彼も、その珈琲に衝撃を受け『自分のレストランでも食後の珈琲をお出ししたい』と考えます。しかし、当時、入手できる豆や器具では彼の望む味わいや香りを作ることが出来ませんでした。彼は自分の作った料理と食後の珈琲について日本古来の茶道の茶懐石と濃茶のイメージに重ね合わせていました。また、イタリアンシェフや香港出身のシェフ達との親交もあったことから、"濃厚でコク深い味わいだが後味のさっぱりした珈琲" を創作することを目指し、独自の研究をはじめます。(以下略)
★「薔薇の雨」著:田辺聖子では小説の舞台となり、主人公が「丸福珈琲店」を訪れるところから、 ストーリーが始まります。
・・・ミナミにある「丸福本店」に、久しぶりに行きたくなってきました。
・・・そして、「青山ビル」の西隣にあるのが「伏見ビル」です。