個展(11) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・個展3日目、今日も多くの来訪者がありました。

 

 

・・・私の家族や孫たちも来てくれました。

 

 

・・・ギャラリーでの雑談、私が父親から棚をかいたり、セメントの煉り方を見様見真似で学んできたという話をしたら、「棚をかく」って何と質問されてしまいました。そんなこと聞いたことないと、全員が言うので、すっかり自信をなくしてしまいました。早速、ネットで調べましたが「棚をかく」という言葉は出てきませんでした。私の思い過ごし、思い込みだったのでしょうか?

 

 

・・・唯一、折口信夫さんの「死者の書」の中に、「棚を架いた上に載せてあった」という記述を発見し、ホッとしています。

 

《死者の書》著:折口信夫 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/4398_14220.html

こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃(たの)む知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎女の望むままに、才を習した方が、よいのではないか、と言う気が、段々して来たのである。まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重って起った。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだったと見えて、二巻の女手(おんなで)の写経らしい物が出て来た。姫にとっては、肉縁はないが、曾祖母(ひおおば)にも当る橘(たちばな)夫人の法華経、又其御胎(おはら)にいらせられる――筋から申せば、大叔母御にもお当り遊ばす、今の皇太后様の楽毅論(がっきろん)。此二つの巻物が、美しい装いで、★棚を架いた上に載せてあった。横佩大納言と謂われた頃から、父は此二部を、自分の魂のように大事にして居た。ちょっと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人(とねり)の荷として、持たせて行ったものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言わずにいたのである。さすがに我強(がづよ)い刀自たちも、此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく撲(う)たれたように、顔を見合せて居た。そうして後(のち)、後(あと)で恥しかろうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであった。郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し予期したような興奮は、認められなかった。唯一途(いちず)に素直に、心の底の美しさが匂い出たように、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたように見まわして居た。

 

・・・みなさんは「棚をかく」って、聞いたことありませんか?