国文祭・障文祭(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「国文祭・障文祭」期間中、奈良で★森喜久雄「3回忌展」が開催されました。「具体美術」の残滓、残り香のあるギャラリーです。 

 

《喜多ギャラリー》 

http://kitagallry。exblog。jp/

639-1035奈良県大和郡山市額田部南町413/0743-56-0327 

 

【浮田要三】(1924~2013) 

1924年大阪市生まれ。1947年尾崎書房(大阪)に入社し、竹中郁・井上靖らが中心となって企画した童詩雑誌『きりん』の創刊準備に参画。翌年1948年に創刊した『きりん』の制作・編集にその後15年に亘り従事する。同年、表紙絵の依頼を機縁に吉原治良と交流を深め、1955年吉原治良主宰の「具体美術協会」に参加し、10回展まで連続出品。1964年同会を退会し、以後10年以上にわたり制作活動を休止する。1970年代後半より作品制作を再開。1984年デュッセルフドルフ(ドイツ)にて「具体・AU(ARTUNIDENTIFIED)展」、1991年「具体展」ヨーロッパ巡回展(パリ、ローマ、ダルムシュタット他)、1999年フォルサ(フィンランド)のアトリエ・バリヤーモ、ハメリーン美術館にて個展。2012年「具体展」(東京・国立新美術館)ほか、国内外で個展、企画展多数。LADSGALLERY(大阪)にて個展(1995、97、2000、02、04、05、07、09、10、11、13年)。★喜多ギャラリー(奈良)にて個展(2003、2004、2006、2008) 

2013年 88歳で永眠。 

 

・・・「ヨシダミノル」さんの展覧会も開催されています。 

2012年1月25日~2月26日、ヨシダミノルが2001年に制作した「観激」78年〜80年のパーフォーマンスの記録10章61シート。 

【ヨシダミノル】(1935~2010) 

1935年大阪生まれ。京都市立美術大学を卒業、モダンアート協会へ参加した後に、1965年から具体美術協会会員となる。ステンレスやプラスティック、プレキシグラスなどの新しい素材を使い、サイケデリックな色使いで動きのある作品を発表して、一躍注目を集める。1967年の日本国際美術展で大原美術館賞を受賞し、「現代の空間'68〈光と環境〉」展(神戸そごう)、「現代日本の美術――蛍光菊」展(ICAロンドン、1968)、「国際サイテック・アート展――エレクトロマジカ'69」展(ソニービル)などへ参加し、1970年の大阪万博には、《バイセクシャル・フラワー》以外にも同様に音の出る有機体状のオブジェ《アートマシンno。2》や透明の自動車《アートマシンno。3》を出品する。1970年に渡米し、7年間滞在する。1974年に《シンセサイザー・ジャケット》を着用したパフォーマンスを行ない、「ニューヨーク・アヴァンギャルド・フェスティヴァル」などさまざまなイヴェントに参加する。帰国後は、京都にある自邸を「大空ライヴ美術館」と称し、美術、パフォーマンス、音楽など異分野の芸術家たちが集まる場所にする。「京都アンデパンダン展」(京都市美術館)では1980年から展示会場の中で日常生活をおくり、芸術を成立させている制度を超えて「生」を意識した活動を実践している。個人作家としての活動以外にも、1991年からは「AGAフェスティヴァル」(1993年まで)という音楽を中心としたイヴェントの企画やサウンド・パフォーマンス・ユニット〈現代家族〉の活動も行なっている。

 

 

《NEWS》2013.5.22独身タイムズより 

http://twitter-trend-blog.com/

音楽バンド★「くるり」のギタリスト・吉田省念がくるりを脱退を発表しました。2011年にファンファンと田中佑司を含む3人が加入した際は、驚きの声があがりましたが、結局、残ったのは岸田繁と佐藤征史、ファンファンの三人になってしまいました。吉田は脱退理由について公式には語らなかったものの、「自分なりの音楽活動を続ける」とコメントしていることから、音楽性の違いによる決別である背景が強いのではないかと思われます。ここ最近はバンドも良い状態だったように思いますし、くるりファンとしては残念な脱退となりました。ところで、吉田さんといえば、父親がかなりすごい人物だということが知られています。父親である★ヨシダミノルさんは、残念ながら2010年に亡くなってしまわれましたが、サイケデリックな色彩美を誇る作品は、現代美術の大御所とも言える存在でした。ちなみに彼の弟も音楽家をしており、以前は「BobCat(ボブキャット)」という兄弟ユニットを組んでいたこともあります。 

 

・・・森喜久雄さんも生前、ここで数回個展を開催されています。 

 

 

【森喜久雄】 

http://www.iip.co.jp/ARTISTINDEX/17/17home.html

http://www.art-yuran.jp/1998/02/post_36.html

1944神戸生まれ1965留学のため渡米1966シュナード美術学校入学、スカラシップ獲得1970カルフォルニア芸術大学卒業ファインアート科B.F.A.1984帰国1991スタジオストローク開設、絵画・壁画を中心に活動。 

 

 

・・・tomocaさん、そして喜多さんとも日が暮れるまで様々なお話をさせていただきました。さらに、恩田武史さんの作品も観ることができました。 

 

【恩田武史】(1970~) 

1970年生、上智大学文学部哲学科卒。奈良県天理市在住。不思議な生き物たちはどこからやって来たのだろうか?おどろおどろしさの中にもユーモラスな表情が観る者の気持ちを楽しくおおらかにさせる。大きな作品は気持ちがいい!紙、樹脂、アクリル、PP、鉄、アルミ等の多様な素材による立体造形。paper、resin、acrylic、pp、iron、alminum、etc.再生、回帰をテーマに多様なマテリアルを溶融、変容、再構築するコンプレックスアートを展開。お母さま★恩田彰子さんも現代アーティストで、なんと40歳を過ぎてから制作を始められたとか。また、「グループでないグループ展」(具体★元永さんの教室)のメンバーでもあった。 

 

《参考》「グループでないグループ展」 

現代美術作家★元永定正の指導のもとに、上は80歳代から下は20歳代までの幅広い年齢層で構成され、プロの作家、会社員、医師、教員、主婦、学生等が参加し、作品は平面からインスタレーションまでと多種多様です。「グループでないグループ展」とはグループの表現活動ではなく「それぞれがオリジナリティーをもった作家の集まりによる展覧会」であることから、元永定正氏によって名付けられたものです。「人の真似をするな」「アートのことはアート(後)で」という師の教えのもとにメンバーそれそれが個展はもとより、全国公募展や海外での発表、美術館企画展への出品、など意欲的でコンクールでの上位入賞者も多数であり、その活躍はめざましい。 

 

《NEWS》2011.10.7「ART IT」より 

2011年10月3日午後9時42分、関西を拠点とする抽象画家の元永定正が、前立腺がんのため、兵庫県宝塚市の病院で死去した。88歳。葬儀・告別式は親族のみで行なった。後日、お別れの会を開く予定。連絡先はモトナガ資料研究室(兵庫県宝塚市社町4-104)。喪主は妻で画家の中辻悦子。 

元永は1922年、三重県上野市(現・伊賀市)生まれ、三重県上野商業学校卒。卒業後一度大阪で就職するが、郷里に戻り、郵便局員、工員、店員など職を転々としながら漫画家を目指す。郷里の画家・濱邊萬吉に師事して油絵を始め、1952年、神戸市東灘区に転居し抽象的なオブジェや平面作品を作り始める。1953年の兵庫県芦屋市展に油彩画「黄色の裸婦」を出品しホルベイン賞を受賞。同作に注目した前衛美術家・吉原治良の誘いにより『真夏の太陽に挑む野外モダンアート実験展』に参加し、ビニールに着色した水を入れて木の枝から吊った作品などを出品する。 

1955年にリーダーである吉原の誘いで前衛美術グループ「具体美術協会」(1954–72)に参加(1971年まで)。水の作品のヴァリエーションや煙を用いた舞台上のパフォーマンス作品などを発表し、絵画作品、オブジェ、ハプニングと幅広く活動する。1958年に元永の作品特有の抽象形態「かたち」から絵具がはみ出したことをきっかけに、日本画の「たらし込み」の手法に着想を得て、偶然性を活かした絵画作品を作り始める。傾けたキャンバスに、予め描かれた下絵の「かたち」に沿って絵具を流す躍動的な絵画によって国際的にアンフォルメルの画家として注目され、戦後日本の前衛美術の代表的な作家の一人となる。 

1966年から67年に掛けてジャパン・ソサエティーの招聘でニューヨークに滞在し、その後ヨーロッパにも渡る。渡米後はアクリル絵具やエアブラシを用いた詩的な抽象絵画を作るようになる。1970年頃からユーモラスな抽象形態やタイトル、明るく豊かな色彩が特徴的な、「ファニーアート」とも呼ばれる作風を確立する。1970年代からは版画、映画、陶芸、絵本、カーペインティング、タピストリーや椅子のデザインなどと、活動領域が更に広がる。絵本作家としての活躍は特に広く知られ、詩人・谷川俊太郎作『もこもこもこ』(文研出版1977)、元永定正作『ころころころ』(福音館書店1984)、ジャズピアニスト・山下洋輔作『もけらもけら』(福音館書店1990)などが代表作に挙げられる。2010年9月には再び谷川俊太郎と組んだ『ココロのヒカリ』が文研出版より刊行された。 

受賞・受章は1964年の第6回現代日本美術展優秀賞、1983年の第2回芸術文化振興協会賞・第15回日本芸術大賞・第4回ソウル国際版画ビエンナーレ大賞、1986年の兵庫県文化賞、1988年のフランス政府からの芸術文化シュバリエ章、1991年の紫綬褒章、1992年の大阪芸術賞、1997年の勲四等旭日小綬章、2007年の損保ジャパン東郷青児美術館大賞など多数。1993年には第45回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。1996年に成安造形大学造形学部造形美術科教授に就任する。近年の個展には広島市現代美術館『元永定正展いろかたちながれあふれててんらんかい』(2003)、三重県立美術館『元永定正展MOTONAGASADAMASA』(2009)など。2011年9月には★兵庫県立美術館に野外彫刻を寄贈した。

 

 

・・・人里離れた?ギャラリーで多くの新たな出会いがあり、それもこれも森さんが引き会わせてくれたのだと思うと、自分がなすべきことが多くあることを痛感しました。さあ、つぎ行ってみよう。 

 

《国文祭・障文祭なら2017 in へぐり》 

http://www.town.heguri.nara.jp/web/banner/banner05-0sub.html

「総合スポーツセンター」 

636-0936奈良県生駒郡平群町福貴72/0745-45-6550  

http://www.town.heguri.nara.jp/web/profile/annai/sisetsu/sportcenter/

★作品展示(一般展示・パラアート展) 11月5日(日)午前9時から午後3時/総合スポーツセンター体育館メインアリーナ

★嶋左近関連資料&町内中世城郭出土遺物「特別展示」 

http://blog.goo.ne.jp/manben_2009/e/820b1909a55979eec6c1de494c206d95

 

 

「平群の小菊」は市場の高い評価を受けていて、ブランドとして確立しているものです。夏・秋の小菊は★日本一の生産量を誇ります。色鮮やかで匂い立つ小菊が、へぐり谷を秋色に彩ります。 

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