国宝展(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「修学院離宮」土産は「おたべ」でしたが、「一乗寺」土産は「雲母漬」です。 

 

《雲母漬老舗「穂野出」》 

616-8153京都市左京区一乗寺谷田町43/075-781-5023 

http://www.kiraraduke.net/

穂野出は元禄二年創業の老舗です。契約栽培で厳選した小茄子を使用し、京都独特の白味噌で漬けたものを雲母漬と言います。この独自の漬物を創業時より一子相伝にて代々伝わる製法を守りながら全て手作り製造しております。霊峯比叡山は洛北一乗寺の里をへて比叡山、山王院に通ずる坂道を雲母坂又は勅使坂とも云う。ここから山へ登る名僧達がこの難所雲母坂の和労堂に憩う人々の多くはこの茶店にて中食し「みそ漬」を賞味しこの地特有の風味を好評して昔より「雲母漬」と名づけられた故えんである。登山者が急坂をのぼる苦しさの中の楽しい味の一つとなったので、その名残りと伝統と、ともに今に至るまで好評を博している。いま雲母漬の由来を記し、風味をかたねるゆかしさを推奨する所以である。 

★鷲尾家雑掌宅跡 (田辺家) 

田辺家は江戸時代の元禄年間より「雑掌」として鷲尾家に仕えてきた。江戸時代、「雑掌」とは公家に仕える事務職員のような役割を果たしていた。室町時代の永正年間に「二水記」を著した公家の鷲尾隆康の後裔、鷲尾家は一乗寺村に家領を有し、田辺家にその管理をさせていたほか、納米の用務や、時には家臣として宮中出仕もさせていたといわれる。江戸時代になって、一乗寺村は諸寺の寺領や公家の家領であったばかりでなく、比叡山への道筋である雲母坂(きららざか)にあったところから、田辺家が番所を兼ねることもあった。幕末の洛中の騒乱、戦火を避けて、鷲尾家に伝わる諸々の古文書等がここに保管され、今日に至っている。後醍醐天皇などの宸翰七巻をはじめ、沢庵禅師之偈之書、後水尾天皇修学院離宮御幸御道筋絵図一巻、一休和尚之書等、多数の文化財、美術品を保有する。中でも寛永十一年(一六三四)江戸幕府三代将軍 徳川家光上洛の際、京都中に銀五千貫を下付した時の町民代表者の署名捺印の請取覚は貴重な史料で、この覚書により当時、京中の家紋が三万七千三百十三戸あったことがわかる。 

 

 

・・・続いて後日、平日の雨の朝「七条駅」に降り立ちました。絶好の「京博」日和です。 

 

 

・・・どう考えても、長蛇の列が予想されるだけに、タイミング(日時)が大切です。

 

 

◆【京都国立博物館】◆ 

605-0931京都市東山区茶屋町527/075-525-2473 

http://www.kyohaku.go.jp/jp/

2017年、京都国立博物館は★120周年という節目の年を迎えます。 明治30年(1897)に「帝国京都博物館」として開館して以来、古都・京都を中心とした寺社仏閣等の貴重な文化財を保護するために保存・収集・研究・展示を進めてきました。 京都国立博物館は、未来へむけて新たに歩を進めるにあたり、「京都」という伝統文化を継承する地にあることを重視し、「文化財を護り伝える」「文化財を護る風土を育む」拠点として、さらに「開かれた博物館」として、多くの皆様に愛され、利用される博物館をめざします。

 

 

★特別展覧会「国宝」 

2017年10月3日(火)~11月26日(日) 

2017年は、日本の法令上「国宝」の語が初めて使用された「古社寺保存法」制定より120年にあたります。当館開館と軌を一にするこの節目の年に、昭和51年(1976)に「日本国宝展」を開催して以来、実に★41年ぶりとなる「国宝」展を開催します。古より我々日本人は、外来文化を柔軟に取り入れつつ、独自の美意識によって世界にも類を見ない固有の文化を育んできました。歴史的、芸術的、学術的に特に優れ、稀少である国宝は、何よりも雄弁に我々の歴史や文化を物語る、類い希なる国の宝といえましょう。本展覧会では、絵画・書跡・彫刻・工芸・考古の各分野から、歴史と美を兼ね備えた国宝約200件を一堂に会し、わが国の悠久の歴史と美の精華を顕彰いたします。★会期中、作品保護のため展示替えを行います。 

 

 

《NEWS》2017.10.2毎日新聞より 

特別展覧会「国宝」京都国立博物館開館120周年記念/第1期あす開幕 

京都国立博物館(京都市東山区、京博)の開館120周年を記念した特別展覧会「国宝」が3日、開幕する。国宝に指定されている美術工芸品885件のうち、約4分の1にあたる210件が京博に集結。8週間の会期を4期に分け、絵画や彫刻、工芸、書跡など各分野の名品を展示する。15日までの1期には教科書でもおなじみの俵屋宗達筆「風神雷神図屏風(」などが登場。美と歴史に彩られた国宝物語がいよいよ始まる。総金地の空間で躍動する風神と雷神。中央に配された大胆な余白は無限の広がりを感じさせる。17世紀に制作された「風神雷神図屏風」は言わずと知れた宗達の代表作で、尾形光琳や酒井抱一ら琳派の絵師によって繰り返し描かれてきた。時代を超えて守られてきた文化財の意義を見つめ直す本展の開幕を彩るのにふさわしい。京博で国宝展が開かれるのは41年ぶりとあって、各ジャンルの「スーパースター」が満を持して登場する。考古の分野では、日本最古の国宝で、新潟・笹山遺跡から出土した指定番号1の「深鉢形土器(火焔型土器)」が関西で初めて公開される。ほぼ原形をとどめた姿は燃え盛る炎を思わせ、「縄文雪炎(ゆきほむら)」の愛称で親しまれている。「女神」を冠した国宝土偶3体もそろう。 同じ女神でも、福徳をもたらす天女を描いた奈良時代の仏画「吉祥天像」は気品にあふれる。三日月形の眉に切れ長の目、ふっくらとした頬は天平美人そのもの。半透明の天衣が風になびく様は写実的で、優雅な装いに目を奪われる。薬師寺に伝わる本図像は、罪を悔いて国家安泰を祈る「吉祥悔過」の本尊だったと考えられている。中世絵画で注目したいのは室町水墨画★雪舟の「秋冬山水図」は切手や長野五輪のポスターにも使われ、目にしたことがある人も多いだろう。力強い筆致と堅固な構成を特徴とする雪舟らしさがよく表れている。1展示室に集結した雪舟の国宝全6件を鑑賞できるのは、1期を含む開幕からの★3週間だけだ。 

http://kyoto-kokuhou2017.jp/works.html#sessho

金工の分野では「赤韋威鎧」も見逃せない。備中国赤木家に伝来する平安時代後期の鎧で、当初の姿をほぼとどめた唯一の作例とされる。今年は国宝という言葉が初めて使われた旧古社寺保存法制定から120年でもある。明治初期の廃仏毀釈と急激な西欧化に伴う日本文化の危機から生まれた「国宝」。そこに込められた心に今一度思いをはせ、全4期を通じてその魅力にどっぷりつかりたい。 

 

【雪舟】(1420~1506) 

室町時代後期の禅僧、水墨画家。幼少時に出家し上京して相国寺に入り、春林周藤に師事して禅僧となる。諱 を等楊 (等揚) といい、知客 の職をつとめるかたわら、周文に画法を学んだと推定される。34~35歳頃周防、山口に移り、大内氏の庇護下に画房雲谷庵を営み、ようやく画僧として高名となる。元の禅僧楚石梵琦の墨跡「雪舟」の二大字を得て雪舟と号した。応仁1 (1467) 年室町幕府の遣明船で入明、天童山景徳寺を訪れて禅の修行をし、第一座の位を与えられた。のち北京において礼部院中堂の壁画を描いて名声を博したと伝える。文明1 (69) 年帰朝。初め大分に天開図画楼を構え、のち山口に雲谷庵を再興し、以後ここを本拠として死没までの間に美濃、京都、丹後などへ旅した。遺作には『山水長巻』 (86、国宝、毛利博物館) 、弟子如水宗淵に与えた『破墨山水図』 (95、国宝、東京国立博物館) などの山水画、『鎮田瀑布図』 (76、焼失) 、『山寺図』 (模本) 、『天橋立図』 (国宝、京都国立博物館) などの風景画、『寿老人図』、『益田兼堯像』 (79) 、『慧可断臂図』 (96、斎年寺) などの人物、道釈画などがある。雪舟の画風は従来の日本画の抒情性を離れて、構図や広大な空間表現の巧みさなど、自然に対する写実的表現を特色とし、そこに禅僧のもつ真摯なきびしさが表出される。弟子に雲峰等悦、秋月等観、如水宗淵らがいる。  

 

・・・余韻を楽しみながら、雨の日だからこそ「東の庭」を散策してみたいと思います。