(32)「難波神社」大阪市中央区博労町4-1-3
反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮を開かれたとき、父帝の仁徳天皇をご祭神として創建されたと伝えられる。その後、天王寺区上本町に遷り、豊臣秀吉が大阪城を築城したのち天正年間(1583)現在地に遷座。1945年(昭和20)第二次世界大戦大阪空襲により全焼したため、仮宮によっていたものを1974年(昭和49)7月再建され現在に至る。
●菖蒲神事/6月8日、神社の御神紋が花菖蒲であることから、境内で育った花菖蒲を御神前に御供えする神事です。祭典中、菖蒲を刈り取る所作のある神楽「菖蒲刈り」が二人の巫女によって舞われます。あやめ祭とも呼ばれています。神社の境内には市が出ています。
●難波神社と文楽/植村文楽軒が当社の境内で人形浄瑠璃小屋を開いたので、文楽発祥の地と云われる。境内東門外に「稲荷社文楽座跡」の碑があります。
・・・アート作品を「ゴミ箱」にしないでほしいなあ。
(31)りそな銀行「船場支店」大阪市中央区北久宝寺町3-6-1
「本町南ガーデンシティ」※1階:ATM/4階:営業室
りそな銀行(社長東和浩)は、大阪市中央区南船場の「船場支店」を、大阪市中央区北久宝寺町3丁目にある「本町南ガーデンシティ」に、2016年1月移転することを決定致しました。
《中央大通り船場地区貫通の記》(昭和45年3月)中馬馨市長
大坂港から都心を貫いて東大坂に至る中央大通(都市計画街路築港深江線)の建設は
戦災復興の最重点事業の一つとして鋭意事業が進められてきたが都心船場地区の貫通は膨大な経費をようするため着手至難な状態にあった。(中略)、種々検討した結果道路中央にビル10棟を建て並べその屋上を高速高架道路とし、西側平面道路下に地下鉄を走らせるという世界にも珍しい設計を決定し40年(1965)から土地の買収に着手したのである。その後本事業は万国博覧会の開催決定とともにその関連事業ともなり、また地元の人々のよき協力によって千数百軒の店舗の立退きも円滑に進み、万国博開会を前に完成を見たことはまことに喜びにたえない。さらにその経過を述べて記念とする。
●立川文庫ゆかりの地/明治37年(1904)に 立川熊次郎が設立した立川文明堂が大正期に「猿飛佐助」「真田幸村」などの勧善懲悪ものを中心とした講談を速記したスタイルの文庫本を立川文庫として出版。当時大ベストセラーとなったそうです。
(30)「オンワード樫山」大阪市中央区本町4-3-6
・・・ショーウィンドウにふさわしい華やかな作品です。
(29)「本町ガーデンシティ」大阪市中央区本町3-6-4
http://hommachi-gardencity.jp/
本町コアビルと有楽ビル跡地の再開発プロジェクト、11~27階が超高級ホテル「セントレジスホテル大阪」です。
5月15日~6月15日>本町ガーデンシティには、5月15日より書と染絵が展示されます。
(28)「御堂ビル」(竹中工務店大阪本店)大阪市中央区本町4-1-13
https://www.takenaka-doboku.co.jp/company/osaka.html
幅広い御堂筋に向き合っても負けない建築の永続感を、どうしたら近代的なデザインで獲得できるのか。説得力のある解答を出したのが、このオフィスビルである。敷地境界より建物の四周をセットバックさせることによって、十分な空地を確保し、どの面も等しい環境をつくることに配慮されている。1階の床を道路から約1m 下げてエントランスホールとし、9層のオフィス空間を合理的に確保した。最高高さ31m という当時の法的制約や周辺条件を逆手にとって建築の凝縮感を生み出し、茶褐色のタイルで覆われた外観によって都市的に統制された美と、日本の伝統建築につながる細やかな肌触りの両方を感じさせている。大阪に生まれ、竹中工務店の設計部長を務め、この翌年には校倉造りに範を取った国立劇場を竣工させた設計者★岩本博行の手腕が光る。
・・・こちらの作品もショーウィンドウ展示ですが、ビルの中からも観ることができたので良かったです。