・・・目的のギャラリーへ。
《iTohen(いとへん)Books Gallery Coffee》
531-0073大阪市北区本庄西2-14-18富士ビル1F/06-6292-2812
カフェの奥に位置するギャラリーでは、約2週間に1回のペースで色んな作家の展覧会を開催しております。 カフェでは、開店以来から人気のフレンチトーストや注文を頂いてから淹れるコーヒーなどをご用意しています。 ぜひ、本や作品を観ながらゆっくりとした時間を過ごしにいらしてください。iTohenに置いている本や雑貨は、過去に展示してくださった作家が自費出版している少部数のZINE、写真集、作品集や、中には1冊しか取り扱いのない古本や、ローカル誌などを幅広く取り扱っています。どれも作り手の想いのこもった物ばかりです。
【林敦子】写真展 a Water/2017年5月3日~14日
2011年<Planetone>、そして<How many World.>と題した展示を重ね、iTohenでの個展は3度目を迎えます。今回は、この展示をアーカイブした作品集も刊行しました。この機会にぜひご来場くださいませ。
《参考》(有)スカイ「鯵坂兼充」
http://www.mebic.com/creators-file/942.html
カフェ&ギャラリーiTohen、店内に入るとカフェスペース、その奥にギャラリー、さらに奥にあるのがデザイン事務所SKKY、代表の鯵坂さんは1971年鹿児島生まれ。アーティストをサポートする楽しさの延長がiTohenだった。
・・・ずっと気になっていたギャラリーにようやく訪問できたので、記念に「象工場のハッピーエンド」を購入しました。
★追悼【安西水丸】(1942~2014)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201206280205.html
イラストレーターで作家の安西水丸(本名:渡辺昇)さんが、2014年3月19日脳出血のため神奈川県鎌倉市の病院で亡くなりました(71歳)。1942年東京都生まれ。日本大学芸術学部美術学科を卒業。電通、ニューヨークのデザインスタジオADAC、平凡社でアートディレクターを務めた後、フリーのイラストレーターとなられました。朝日広告賞、毎日広告賞、日本グラフィック展年間作家優秀賞(1987年)、キネマ旬報読者賞(1988年)を受賞され、エッセー「村上朝日堂」など村上春樹さんと組んだ作品でよく知られていました。
・・・安西さんを知ったのは、「青の時代」でした。1974年から77年にかけて月刊漫画誌「ガロ」に不定期に発表された、安西さんの自伝的な内容の短編が収録されています。
《NEWS》2012.6.29朝日新聞デジタルより
安西水丸「青の時代」一発勝負、描き方の原点
団塊世代の青春時代、雑誌「ガロ」があった。あの時代、「ガロ」は日本の漫画表現の先頭を走っていた。そこから単行本『青の時代』(1980年)が生まれ、安西水丸というイラストレーターも生まれた。日々起こる様々な事件を、自身が育った港町の風景と共に描き出した作品は、いまの安西を形作る原型となった。僕が平凡社に勤務していたころ、嵐山光三郎さんの小説「怪人二十面相の墓」を漫画化しました。嵐山さんが僕に「絵、描ける?」と聞いてきて「絵なら描けますが」と応じたら、「文章を書いているので一緒にやらないか」となった。その後3年間、「ガロ」に読み切りで連載をしました。この時は自分でストーリーも考えた。それが初の単行本『青の時代』になりました。米ニューヨークで働いていたころの話を描かないかと言われたけれど、外国に行ったことのない人にとって、それはあまり興味のないこと。だったら、海があって、母がいて、土地の仲間がいて……という子どものころ育った、南房総の体験の方が描きやすいと。そういうのは誰もが体験しているし、共有しやすいと思いました。「ガロ」の担当編集者だった南伸坊君から「明日、締め切りです」と電話があると、平凡社の地下の図書館にこもってストーリーを考える。まず最後のシーンを考え、それに合わせて話の流れを作っていき、1時間ほどかけて完成させて、先に文章を渡す。帰宅後、午後11時くらいから午前5時までかかって絵を描き上げる。翌日は徹夜で会社に行く。そんなふうに二足のわらじをこなしていました。『青の時代』は僕のイラストレーションの基になっていると思っています。漫画は、風景、人間、乗り物といろんなものを描かなくてはならない。描いていくうちに、いまの画風が出来上がったと思います。使いこなすのが難しいと言われる「丸ペン」も、使っているうちに独特の線が出てきたし、筆圧、インクの量、ペンの紙へのあたり方がわかってきた。イラストレーションを描くときに大切にしているのは、「がんばろうと思わないこと」。がんばらなきゃ描けないのなら、まだまだ自分は勉強不足だと思っています。素の自分で向き合い、一発勝負。基本的に描き直しはしない。『青の時代』のころから変わっていません。「安西水丸」というペンネームも、このころ決めました。嵐山さんが自分の名前が「あ」で始まるから、僕にも「あ」から始まる名前を勧めた。それで、祖母の名字「安西」に決めました。「水」という漢字の、アンバランスでものかなしい感じが子どものころから好きで「水丸」に。この名前を面白がって、仕事を頼んでくれた編集者もいます。僕の知り合ったころ、林真理子さんはコピーライターだったし、柴門ふみさんはお茶の水女子大の学生だった。村上春樹さんもそうだけど、嵐山さんも、南君も、単行本『青の時代』の編集担当だった渡辺和博君も知り合った人たちがみんな偉くなっていく。その流れに乗ってここまできた感じです。大学で講師を務めたこともあるけれど、日本の美術教育は石膏(せっこう)デッサンをやり過ぎる。「うまい」「下手」を重視しすぎていると、その子にしか描けない絵が描けなくなる。教養を身につけていくうちに見る目を失っていく。「有名なものイコール良いもの」では困る。少年の目を持った、孤独な観察者であり続けたいと思っています。
・・・そして帰り道、巨大なキリンを発見したのです。
《音色つばさ保育園》
531-0074大阪市北区本庄東1-24−9/06-6373-0283
http://www.julien.or.jp/shisetsu/hoiku/index2.php
・・・スゴイ存在感です。保育園の子どもたちは、どう思っているのかな?キリンさんが大好きだったら、うれしいな。