新美術館(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・・・さて、大学ミュージアムのところで「新美術館」のキーワードは「パサージュ」のようですと書かせてもらいましたので、少し調べていきたいと思います。

 

《参考1》「パッサージュ」(仏: passage)

18世紀末以降、パリを中心に建造された商業空間で、★ガラス製アーケードに覆われた歩行者専用通路の両側に商店が並んでいるもの。百貨店の発生以前に★高級商店街として隆盛した。パサージュはフランス語で「通過」や「小径」などをあらわす。

 

 

《参考2》西南学院大学研究旅行報告書より

http://www.seinan-gu.ac.jp/

「パリのパサージュの魅力」(2010)

アンケート調査を行った結果、フランス人にとってのパサージュの魅力とは、

・利便性(直接的な接客と迅速な対応)・独特な雰囲気・歴史・美しさ・品揃え(デパートでは手に入らない古いものが手に入るなど)・和気あいあいとした雰囲気・静かな雰囲気・知的な雰囲気・雨にぬれない・交渉できること・町のような一体感といった点にあることがわかった。多くのフランス人にとって古いものでありながら、利便性があるところに魅力があると感じていることがこの研究でわかった。そして意外なことも分かった。パサージュは地方のフランス人にとってそれほどメジャーではないということだ。パリジャンはもちろん知っていたが地方の観光で来ていたフランス人に尋ねてもパサージュを知らない人が多かった。しかし観光でパサージュを訪れる団体や研究目的で訪れる学生なども多く、パサージュが人々に再注目されていることを実感した。

「19世紀パリ都市計画におけるパサージュ」(2005)

パサージュ(Passage couvert)とはガラス屋根で覆われ、両側には商店が立ち並ぶ比較的狭いアーケード街で、18世紀から、19世紀にかけてパリを中心にヨーロッパ各地につくられ、一階部分には商店、その上には個人の住居があった。パサージュよりも高級感があるものは★「ギャラリー」(Galerie)と呼ばれ、1788~1860年の間に50、小規模のものを含めれば、100以上のパサージュやギャラリーがつくられたが、第2帝政下のオースマンによる都市計画の実行後、衰退の一途をたどっていった。全部で18あるパサージュ一つ一つがそれぞれ全く異なる個性を持っている。寂れきってほとんど機能していない場所、半ば記念碑的な役割を担っている場所、改装され繁華街とはいかないが、ひっそり息づいている場所、日本の商店街のように下町の雰囲気を持つ場所等様々だが、総じてパサージュ自体当初予想していた雰囲気とは全く異なり、開通当初の繁華街めいた場所とは比べものにならないくらいに寂れてしまっていたというのは明白で、その事実に大きな衝撃を受けた。現在パサージュは「記念碑的な対象」と「開通当初のような商業施設」との狭間にある。歴史の1ページとして機能ではなく保存のみを優先させるには現在の人々の生活に結びつきすぎている。一方、現在パリでモードの最先端となっている場所はサン・ジェルマン・デ・プレ地区やリヴォリ通りの地下に近年新たに創設された商業施設であるため、パサージュのような、現在では場末となってしまった場所を改装し、創設当初のように、パリのトレンディーなスポットとしての役割を復活させる試みにも賛同しかねる。現在のパサージュには「記念碑的な対象」でも「開通当初のような商業施設」でもない、何か別の視点が必要とされているのではないだろうか。

 

 

・・・「新美術館」における「パサージュ」とは、まさかパリを模倣したものではないにせよ、どのようなイメージで提案されているのだろう?

 

《参考3》「クンストホフ・パサージュ」ドイツ/ドレスデン

もともとは★歴史的建物保存のために外壁を修理するだけの予定でしたが、ドレスデンで初めて明確な★コンセプトを持つパサージュとして誕生しました。今日まで活気が失われることなく、人気No.1のパサージュとして市民に愛され続け、観光客も多く訪れています。アラウン通りとゴーリッツァー通りに挟まれており、5つのホーフ(中庭)から構成されています。建物の上階部分は★住宅ですが、ホーフの小道に面してレストランやカフェ、小洒落た文房具屋やアクセサリーの店、木のおもちゃの店、アンティーク屋、本屋、バレエ・スタジオなどがあります。1番の特徴は★テーマごとに分かれた5つのホーフで、「色」「光」「エレメント」「変化」「動物」という具合に名前が付いています。

 

・・・行ってみたくなるほど、素敵な街です。★「キリン」がいいなあ。

 

 

《ホワイト・キューブからアーバン・パッサージュへ-大阪市立近代美術館のあり方への提言-》2010.1近代美術館あり方検討委員会

●新たに美術館が、今、大阪市に必要だろうか。それが旧態依然とした従来型の美術館にとどまるものならば、★「否」としか答えようがない。しかしそれが、過去の事例を検証し、旧来の美術館概念を超える存在として、新しい都市文化を大阪、中之島から提案する★“新たな挑戦”として構想されるものであるならば、美術館整備の意義と緊急性は極めて高いと考える。それは★いっそ“美術館”という名称すら必要としないものであってもよいものである。

★「キリンプラザ大阪」や「サントリーミュージアム天保山」の閉・休館に見られるように、従来、大阪の芸術文化の一翼を担ってきた民間企業支援型による芸術・美術のあり方は大きな曲がり角を迎えている。

 

《参考》サントリー「グランヴィルコレクション」

http://www.suntory.co.jp/culture/smt/

イギリスのフィリップ・グランヴィルが30年近くをかけて収集した世界中のポスター約3800点は、ポスター美術の歴史を包括するコレクションとして知られている。その★散逸を惜しむグランヴィルの要請を受けて、1989年同コレクションを購入したサントリー株式会社は、1990年3月17日から4月15日までその名品展を開催し、一般に公開した。ポスターの歴史的名品を揃えたグランヴィルコレクションとの出会いがきっかけとなって、1994年にサントリーミュージアム[天保山] が誕生した。

 

・・・「キリン」も「サントリー」も、お酒の会社ですね。

 

 

一方で、「水都大阪2009」では、現代美術作品や市民参加型の芸術活動をメインに据えることで、190 万人と予想を大きく上回る入場者を集め、全国から注目された。この成功の背景には、市民の側の欲求が、単なる作品を鑑賞する機会の享受から、より主体的な芸術活動の実践へと大きく変化してきていることが挙げられる。大阪市が構想する美術館では★この市民意識の変化を正しく分析し、その方向性をさらに発展させ次の位相に進むことを促す戦略性と柔軟性を、当初計画の段階から含めておくことの重要性を特に強調しておきたい。

●中之島西部地区では、国立国際美術館、科学館、国際会議場といった文化・集客施設が計画的に整備され、さらに近年、ほたるまちの開業、京阪中之島線の開通、中之島ダイビルイーストの竣工やフェスティバルタワーの着工などの民間開発が進み、これらに続いて、近代美術館の整備予定地である中之島4 丁目周辺の開発が進められようとしている。これらの施設を★有機的に関係させるとともに、活き活きとした街として完成させるための核(運用ソフトを生み出す頭脳)として、新しい概念を持った美術館を機能させるには、周辺の都市基盤が新しい形で整備されようとする今こそ、街とつながる美術館として明確に位置づけることが必要である。

●すでに収集した4,400 点を超える美術コレクションは、国内屈指の規模と内容を誇り、長い年月をかけて極めて質の高いコレクションを築き上げてきた大阪市の努力は高く評価されるべきである。しかしながら、現在、心斎橋展示室等を活用して一部を公開しているものの、その全貌は市民の目に触れることもなく埋もれており、こうした状況は★行政の怠慢ともいえる。これらの優れたコレクションを、広く公開するだけでなく、創造的に活用することは社会的責務である。

●最近は近隣のマンション建設により、美術館を生活圏内に組み込むことのできる住民も定着してきている。都市の中心にありながら★定住者が増加していることは、注目すべき利点である。従って、これらの地域に来訪・滞在する相当数にのぼるビジター及び定住者をターゲットにした戦略作りが可能である。近世・近代と続く大阪の歴史の中で、常に文化揺籃の地であった★中之島という立地を活かした美術館の整備は、新たな都市の魅力創出と水の都市軸再生を相乗的に創り出すものである。中之島にあることにより、美術館を単なる一文化施設の建設ではない広い視野に立った都市計画の一部として位置付けることが可能となり、大阪の街および大阪市民の利益にかなうものとなる。

●私たちの提言は、新しい都市文化を大阪から提案する“新たな挑戦”という前提に立ち、従来の美術館の枠組みにない機能、役割を果たしていくものをめざしている。街や地域から孤立した施設ではなく、それらと繋がる機能を備え、まちを活性化する役割を果たしていくものである。それは、都市計画の中に位置付けること、この地域が既に蓄積している多様な文化資産と都市基盤の豊かさを正しく認識し、それらを有機的に関係付ける計画性を持つことによって、文化施設の側面からだけではなく、大阪を再活性化させるものである。そのためには、市民の潜在的ニーズを受け止めそれらを未来に向けて再構築していく総合的かつ戦略的視点が不可欠であると私たちは考える。そのような周辺の都市機能との有機的な関係性を生み出すために、私たちはこの美術館に★「パッサージュ」という概念を提言する。

 

・・・ようやく「パッサージュ」が出てきました。さて、「パッサージュ」とは???

 

 

★敷地または施設内を貫く空間(パッサージュ)を提案する。それは、大阪の街を移動する歩行者のための空間であると同時に、美術館機能、NPO の活動拠点、ワークショップ、教育活動の連携拠点として活用できる★流動的な空間として構想することが可能である。また、パッサージュから展示空間や作業現場を覗くことができる構成など、外界から閉じられた館ではなく、館の★内と外が融合する空間であることが必要である。ここを訪れる人々は、このパッサージュを通過し、その一部は美術館の展示室へ、また個別の目的のために館内の他のスペースへ、あるいはそのまま周辺の都市機能を求めて移動していく、そうした★装置としての空間を提案する。また、設備だけでなく機能面においても、様々な分野で活動するアーティスト、市民団体、企業市民、他のミュージアムや施設・機関など、この美術館に関わる人々を★緩やかに結びつけるパッサージュとなることが必要である。

 

《参考》「ホワイト・キューブ」

「白い立方体」。1929年に開館した★「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」が導入し、展示空間の代名詞として用いられる。かつては王侯貴族や宗教者が富や権力の象徴としてコレクションを邸宅内のギャラリーや宗教空間に展示したが、近代社会の到来とともにコレクター層が変化し、美術作品の社会的なあり方や作品そのものも変化した。公共性に支えられた近代の美術館制度が制度としての「美術」を存続させるためには中立性を担保する象徴的空間が必要であり、何もない空間ゆえの可変性と柔軟性を特徴とするのは、近代美術が鑑賞体験の純粋性を追及したゆえである。建築史家の藤森照信はホワイト・キューブを「白い立方体の箱に大きなガラス窓がついた建築」とし、バウハウス、ル・コルビュジエ、ミースによるモダニズム建築のひとつの到達点とし、《青森県立美術館》(2006)を設計した青木淳はホワイト・キューブを「空間をサイズとプロポーションと光の状態だけに」抽象化し、その緊張感に満ちた空間の魅力をある種の無根拠性に求めた。現代美術館としては《金沢21世紀美術館》(2004)でもホワイト・キューブを曲線により統合したデザインでまとめられ、また《ビルバオ・グッゲンハイム》(1997)が装飾過多な外観にもかかわらず内部にホワイト・キューブを採用したように、その汎用性により現在に至るまで美術館空間としての絶対的な地位を確保しているのは確かだろう。

 

・・・ところが提言では、

 

●これまでのようなホワイト・キューブとしての美術館ではなく、都市の賑わいやいろいろな出来事と★一体となったパッサージュをめざす。そこでは、まちを行き交う人たちとミュージアムを使っている人たちが交錯する。駐車場や基盤施設の整備や広場・歩行者空間などの公共的空間形成とともに、新しい近代美術館に求めたい空間や機能をまち(文化ゾーン)全体でつくっていく取り組みとして地区計画などで計画的に位置づけることにより、美術館はコアとなる施設整備から始めることが必要である。例えば、一部の設備は、民間ビルの利用や既設の文化施設と共用するなど、また、サービス機能は民間施設と連携するなど、ハードとソフトの組み合わせを多様にすることにより、空間としても、また活動としても、多様な可能性を探ることができる。こうした工夫により、本体のミュージアムスペースは、フルスペックの巨大なものではなく、小さくても高質の★都市空間としてつくることを提言する。

 

・・・そして、大阪市は2月9日、「(仮称)大阪新美術館」の公募型設計コンペで遠藤克彦建築研究所の提案を最優秀に選んだ。黒い直方体が浮遊するようなシンプルで存在感のある外観や、立体的に配置したエントランスやカフェなどで構成する★「パッサージュ」と呼ぶ屋内空間が、美術館の独自性につながると評価した、ということです。