《1970「アベノセンタービル」》設計★村野藤吾/施工:竹中工務店
545-0052大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-36
http://www.kisimoto.co.jp/building.html
地上9階・地下3階、1989年(平成元年)全面改装、2009年(平成21年)全館耐震工事済。
・・・このビルに泉茂さんの作品が展示されていることは、以前から知っていました。今回、展覧会があるので再度じっくり観ておきたいと思いました。どうして、ここに飾られているのか疑問でしたが、今回そのヒントになるビルのロゴマークを発見し、とても納得した気持ちになりました。
《ギャラリー「the three konohana」》
554-0013大阪市此花区梅香1-23-23-2F/06-7502-4115
次代の私たちの現代美術のあり方を考え、再構築していくために必要な諸要素を、新たなプラットフォームに置き換えて実践する、大阪市此花区に開いたギャラリースペースです。展覧会を中心に、現代美術に特化した各種企画を進めてまいります。《three/3》 に、ギャラリースペースとしての重要なコンセプトを込めています。「第三者」の存在を意識することを念頭に置き、従来の限られたコミュニティの中で固定化された、「作家、ギャラリー・ディレクター、美術愛好者」の関係のみで留まることなく、新たな「第三者」を見い出して、この場に迎え入れます。それによって、現代の流動化する価値観と共に、美術の価値やあり方をより深く議論する機会を提供する場とすることを目的といたします。そして、「Konohana’s Eye」「Director’s Eye」「Gallerist’s Eye」、この3種類の展覧会企画を継続的に開催することによって、美術界の主役となるべき作家と彼らをサポートするギャラリーやディレクター/キュレーターの関係性を考察し、大阪・関西はもちろんのこと、日本の現代美術が進むべき理想的な協働形態を追求していきます。さらには、現代の優れた作家・作品・ 表現を後世に残すことの意味、さらには将来の日本の現代美術が時代と共に健全に歩んでいける確信を、ここで見出していければと思っております。上記の展覧会企画の他にも、アートによる新たな街づくりを提唱し実践している此花エリアの各種活動と連動した企画も提案・実行して、時代性を鑑みた美術における思想の追求、私たちの生きる社会構造の進展へ、美術を通じて微力ながらでも寄与していくことをめざしてまいります。2013年2月the three konohana代表:山中俊広
★泉茂「PAINTINGS 1971-93」
2017年2月25日(土)~3月26日(日)
いま美術の現場では、20世紀後半の日本のアートシーンを見直し、再評価する機運が高まっています。関西でも具体や関西ニューウエーブを中心にその活動を再考する展示やイベントが目立っています。本展でご紹介する泉茂さんは、戦後すぐに瑛九と共に「デモクラート美術家協会」を設立し、大阪芸術大学で教鞭をとられた間に多数の作家を輩出するなど、亡くなられて20年余りが経ちますが泉さんの活動面については明らかに大阪および関西のアートシーンを捉えるための重要なポイントになっています。一方でその活動面だけでなく、泉さん自身の作品表現においてもその要素を考察することが本展の大きな目的です。それは、同時に開催されている★和歌山県立近代美術館での泉展も同様です。泉さんの作品を実際に目の当たりにして、当時の表現の傾向を再考する機会であると同時に、本展を開催する私たちコマーシャルギャラリーとしての立場としては、いまの若い世代の表現を考える上でも絶好の機会であろうと考えています。とりわけ、近年の絵画・平面表現の傾向としては、直接的な身体性や感情といった主観的要素から意識的に距離を置くアプローチが、若い世代の作品に目立ってきている印象があり、本展で紹介している泉さんの作品群にも同様の傾向が随所に見受けられます。以前から美術の表現は常に更新されていると同時に、一定のスパンで同様の傾向を繰り返す図式もあります。もちろんそれぞれの時代背景や環境は異なりますが、細部を比較することによって見えてくる泉さんの作品といまの若い世代の作品の間との共通項を、様々な角度から見出していければと思います。ただ過去を懐かしむだけでなく、現代を過去から見直すことが、過去と現代を隔絶することなく歴史を継承していく大切な考え方だと思います。本展では、ニューヨークとパリにいた60年代を経た、帰国後の70年代以降の絵画作品を取り上げています。若かりし頃からデモクラート時代の作品には有機的な雰囲気がありましたが、60年代から徐々にその要素が薄まっていきます。そして本展でご紹介する70年代以降の作品は、ほぼエアブラシによって制作されている絵画ですが、いかに身体や感情と距離を置くことで絵画が成立するかに取り組んでいた時代のものです。そのアプローチは、ただ画面をいかにシンプルに構成するかというものではなく、客観性を保ちながら、論理的かつ理知的に画面を構成する制作方法でした。★「Yoshimi Arts」で展示している70年代の絵画と、「ttk」で展示している80年代以降の絵画は、以上の観点で一貫性はありますが、実際の作品は両会場でとても対照的です。自らと絵画そのものとの間に距離を置くことと、泉さんが生涯通じて変化を求めてきた狙い、そして壮年期から晩年期に向かう際の変化なども、両会場の作品の比較を通じて見えてくるポイントだと思われます。本展は「Yoshimi Arts」と2会場の展示に加えて、「和歌山県立近代美術館」で開催されている回顧展の計3会場で同時に泉さんの展示をご覧いただける機会になりましたが、3会場それぞれ違う視点で泉さんの作品と向き合えるかと思います。和歌山近美の展示では、本展では展示されていない初期の絵画からデモクラート時代、海外渡航時代の作品に加えて、版画作品もあり、泉さんの活動の全容を時代に沿って総体的に捉えることができます。一方で本展は、泉さんの生涯の後半部分を取り上げ、さらに絵画に絞ることで泉さんの平面表現における本質的な思考を読み取っていただく構成になっています。また美術館と対照的な展示空間の規模もあって、個々の作品やその細部に向き合いやすい鑑賞環境になっていると思います。3会場すべての展示を通じて、泉さんの総論と各論の双方を捉えることができる構成です。本展と和歌山近美でご紹介している泉さんの作品を通じて、過去を整理すると同時に、現代の価値観と結びつけ、さらには絵画や平面表現における将来の展望まで議論や思考が広がっていく機会になればと思います。以前から泉さんをご存じだった方はもちろんのこと、これまで泉さんを知らなかった方々にもぜひご覧いただきたい展覧会です。違う時代、違う価値観であってもそれらを包括できる要素は、泉さんの作品群の随所に散りばめられています。
・・・せっかくの機会なので「区民ホール(図書館)」にも立ち寄り、「西九条」まで歩くことにしました。
《初代大坂船奉行所跡》書:橋下徹
554-0013大阪市此花区梅香1-26
http://www.city.osaka.lg.jp/konohana/page/0000351014.html
元和6(1620)年、幕府は四貫島村に船奉行所を設けた。西国諸国から大坂に向かう船は、伝法川から逆川を経て大坂市中へ向かったため、幕府は諸船の通行を吟味し、西国諸侯の動向をここで監視した。平成23(2011)年に、六軒家川に架かる朝日橋のたもとに、「初代大坂船奉行所跡」の碑が建立された。貞享元(1684)年、河村瑞賢が安治川を開削。舟運の便が改まり、大坂へは直接、安治川へ出入りするようになったことで、伝法川を経由するものが減少した。幕府は貞享2(1685)年、四貫島と木津川口にあった船番所を廃止、新たに九条村本田の北端に、「川口船手奉行所」を置いた。
・・・碑の書体は「維新流」です。