宝塚昆虫館(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《NEWS》2016.9.18神戸新聞NEXTより

ロスト阪神「宝塚ファミリーランド」

兵庫県宝塚市の阪急宝塚駅から東へ歩いた。宝塚大劇場前に“ヅカファン”の列。もう少し進むと、大きな火の鳥のモニュメントが見えてくる。★「宝塚市立手塚治虫記念館」のシンボルだ。館内は手塚ワールドが広がる。自分が描いた絵を実際に動かす「アニメ工房」が楽しい。1階には無数のカプセル。中には手塚治虫氏ゆかりの品や原画があり、昆虫の標本も。同館係長の矢野喬士さん(35)が「手塚先生はこの記念館の近くにあった★昆虫館をよく訪れていたんですよ」と教えてくれた。昆虫館、手塚記念館が立つこの地域には、2003年まで宝塚ファミリーランドがあったはずだが・・・。矢野さんが、その歴史をひもといた。そもそもこの場所にあったのは宝塚新温泉。1911年に開業し、その後、植物園、遊園地、動物園、★昆虫館と広がり、一大遊園地へと成長していった。矢野さんが続ける。「昆虫館が戦時中の★逃避所だったと手塚先生は書いています。5歳から24歳まで過ごした宝塚が、作品に大きな影響を与えています」高度経済成長期の60年、宝塚新温泉に替わり宝塚ファミリーランドが誕生。さらに高さ30メートルの二重観覧車「スカイフープ」に、約600体の人形が踊る宝塚大人形館「世界はひとつ」が開館した。80年には、東京ディズニーランドのあのスペースマウンテンを先取りし、建物内を走る関西初の全天候型遊戯施設「スペースコースター」も登場。施設を経営した阪急電鉄の広報担当者は「スペースコースターも大人形館もアメリカの遊園地をモチーフにしたのでしょう」。この地域の変貌ぶりをつぶさに見詰めてきた女性がいた。創業1909年の和菓子店「永楽庵」の先代店主松尾昌子さん(82)。店は宝塚大劇場のそば。伝統のもなかはタカラジェンヌに愛されてきた。「昔は夏になったら浮輪持った親子連れで人の流れが絶えることがなかったんよ。私も子どもや孫を連れてよう行った。夏はプールに入って遊園地で遊んで、お風呂入って、1日おれたわ」ここは1世紀を超すレジャーゾーン。楽しかった思い出は祖父母、両親、子どもそれぞれ違う。松尾さんは「懐かしんで店に来てくれるお客さんがいる。親子三代で語れる、いい思い出ですな」と目を細めた。

 

 

《参考》宝塚文化芸術施設及び庭園整備(宝塚ガーデンフィールズ跡地利活用)

http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/kanko/bunka/1016594/index.html

宝塚ガーデンフィールズ跡地が位置する場所には、かつて昭和初期に設立された旧宝塚植物園や★昆虫館がありました。当時は、隣接する遊園地、動物園と合わせて市内外の多くの人に親しまれ、賑わいにあふれ、「家族」とりわけ「子ども」が集い、憩える場所でした。また、宝塚ファミリーランドの面影が唯一残された空間でもあり、多くの市民にとって、わがまちを象徴する貴重な一角です。宝塚市は、当跡地について、緑をはじめとする現在の良好な環境を活用し、新たな宝塚文化の創造につながるような土地活用を図るため、手塚治虫記念館の北側部分の土地、約1ha を取得しました。今後、利活用について周知していきます。

 

 

《NEWS》「宝塚昆虫館(1939開館~1968閉館)」2002.2.9神戸新聞より

宝塚市で育った漫画家手塚治虫が少年時代に描いた昆虫の細密画五枚がこのほど、親交のあった同市内の男性宅から見つかった。ペンネームの由来となったオサムシなどがていねいに描かれ、少年時代の“虫博士”ぶりがうかがえる作品。「生涯愛し続けた宝塚とのかかわりを示す貴重な資料」と関係者も注目している。保管していたのは、かつての宝塚遊園地内にあった昆虫館の学芸員で、手塚作品のキャラクターのモデルにもなった福貴正三さん(87)。治虫少年は「ひまさえあれば訪ねてきた」といい、家では図鑑や標本を熱心に模写して見つかった絵は縦約十八センチ、横約十三センチの紙の両面に、オサムシやセミの仲間のハゴロモなど七十二匹を絵の具で描写。絵を包んだ和紙には「日本産ヲサムシ図録。福貴さんへ」と書かれている。同市の手塚治虫記念館は、手塚が旧制中学三年ごろに印画紙の裏に描いたカブトムシとチョウの絵二枚を所蔵しているが、これも福貴さんが直接もらったもの。今回の昆虫図も同時期の作品とみられ、長く所在がわからなかったが、レコード箱の中から偶然見つかった。「ある日、大学生の手塚君が『これあげます』と昆虫館に持ってきたんです」と福貴さん。いつも熱心に相手をしてくれた「昆虫の師」へ記念に贈ったものと思われる。

また別の記事でもこう書かれています。現在の宝塚ファミリーランド内にあったこの宝塚昆虫館に、手塚は小学生の頃足しげく通っていた。昆虫館の学芸員をしていた福貴正三氏のところに毎日のように昆虫の話を聞きに行ったという。昆虫館には、月ごとに虫のスタンプが用意されていて、それをノートに押してくれるのも楽しみだった。実は、「新・虫マップ」の原稿を書いている丁度そのときに、幸運にもその福貴正三さんにお会いする機会にめぐまれた。あつかましくも突然ご自宅をお訪ねしたわけだが、福貴さんは本当に気さくに話をしてくださった。いろいろたくさん貴重な資料を見せていただくことができた。なんと手塚先生が描かれた昆虫の原画も見せてくださり、写真を撮らせていただいた。福貴さんのお話の中で印象的だったのは手塚治虫のペンネームの由来となったオサムシについてである。(ちなみに当時、手塚本人は”治虫”をペンネームと言わず「雅号」と呼んでいたそうだ。)オサムシの種類の中に”マイマイカブリ”といって、日本にしか生息しない種類がいるそうなのだが、そのマイマイカブリが自分に似ている、ということで手塚は非常に興味をもった。メガネをかけたような顔、肉食であること、そして夜行性。そんなわけで治は自分のペンネームを「治虫」と書くようになった。そんな手塚治虫さんが描いた鉄腕アトムの誕生日が2003年の4月7日でした。手塚作品というのは人間社会をリアルに描いているなぁと思います。人が死ぬシーンや、お酒やタバコといったものから、暴力や戦争など人間のどろどろした部分まで忠実に描かれていました。子供が読む漫画だからこそ、目をそむけないでリアルに描いて、逆に愛情や思いやりや自然を思う心を伝えたかったのではないのか・・・と思います。今、ソニーの動物ロボットの「アイボ」やホンダの「アシモ」など実用化されたロボットたちが活躍を始めました。アトムの中の2003年は、ロボットと人間の対立が描かれていましたが、現代のこのロボットたちは、人間と調和してゆけるのでしょうか?ところで、この福貴先生。どうみても「お茶の水博士」でしょう。

 

 

《NEWS1》2015.2.28産経WESTより

「火の鳥が新しい巣に」手塚治虫記念館にモニュメント設置

兵庫県宝塚市立手塚治虫記念館(同市武庫川町)で、入り口前広場の改修工事に伴い、一時撤去されていたモニュメント「火の鳥」が27日、同広場中央に設置された。モニュメントは手塚プロダクションがデザインした高さ約4メートルの銅像。平成6年、同広場西端に設置され、来館者の記念撮影スポットになっていた。しかし、昨年11月に始まった改修工事にともない、移設されることが決まり、一時撤去。来館者から、「火の鳥がいない」と残念がる声があがっていた。この日、クレーンなどを使って銅像を広場中央に設置。同館の担当者は「火の鳥が新しい巣に舞い降りた」と笑顔をみせた。

2015.4.30産経WESTより

兵庫県宝塚市立手塚治虫記念館(同市武庫川町)エントランス広場の改修工事が完了し、29日、完成式が行われた。敷地面積は1・5倍の約250平方メートルに拡張し、広場西端にあった同館のシンボル「火の鳥」のモニュメントを中央部に移設。同館前に階段を設置して記念撮影をしやすくするなど、より開放的な空間に生まれ変わった。改修工事は同館に隣接するレジャー施設「宝塚ガーデンフィールズ」(平成24年12月閉園)跡地の道路整備にあわせて昨年11月から行われていた。新たにスロープやベンチを設置したほか、「火の鳥」のモニュメントの近くには手塚治虫さんの漫画キャラクターの手形などをデザインしたタイル25枚も移設され、手塚作品をより身近に楽しめるようになった。完成式ではテープカットの後、宝塚少年少女合唱団の団員44人が鉄腕アトムを合唱し、完成を祝った。同市の中川智子市長は「多くの人にとって訪れたい場所になってほしい」とあいさつ。手塚さんの長男で同館名誉館長の手塚眞さんが「手塚は宝塚で漫画を描きはじめており、宝塚は日本の漫画のふるさと。今後も、宝塚の豊かな文化とともに、同館も永く歩んでいければ」と述べた。

 

《NEWS2》2015.4.7産経WESTより

兵庫県宝塚市は、所蔵する市制施行(昭和29年)以降の市内の風景や行事などの写真をデータ化し、市ホームページ(HP)での公開を始めた。平成15年に閉園した★「宝塚ファミリーランド」の変遷や、7年の阪神大震災直後の市内の様子など約200枚をアップしている。写真は、市広報課の資料庫に保管されていたもの。昨年に市制60年を迎えたことから公開を企画した。HPでは「たからづかアーカイブ」と題し、昭和29年から、「誕生・発足」「災害・復興」など6つのテーマに分けて掲載。市制施行当時の阪急宝塚駅前の様子を写した写真などもある。アップする写真を増やすことも検討しており、担当者は「当時を懐かしんだり、昔の姿に驚いたりして市に愛着を持ってもらえれば」と話している。

 

 

・・・「手塚治虫記念館」に入って正面に、「オサムシ」が君臨しています。もう、それだけで涙が出そうになります。

 

 

・・・小さい頃、眼を輝かせた「虫たち」なのに、いつの間にか疎遠になってしまった大人たち。失われた「子ども心」「あそび心」を取り戻すために、もう一度「虫たち」と出会い直しをする必要がありそうです。また「手塚治虫記念館」に行きたくなってきました。