具体美術(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《芦屋市立図書館打出分室》

659-0028芦屋市打出小槌町15-9/0797-38-7220

http://www.city.ashiya.lg.jp/kouhou/omoide/modernism-05.html

1930年(昭和5)に逸身銀行(大阪市)の建物(明治末期建築)を、美術品コレクターの松山与兵衛氏が購入して当地に移築したもので、仏教美術の収納庫 松濤館(しょうとうかん)として使われており、両開きの扉に松・濤の文字がデザインされています。現在は芦屋市立図書館打出分室になっており、レトロな図書館として有名です。平成20年に「国の登録有形文化財」に登録されました。庭に鯉が泳ぐ池があり、西の壁一面がガラス張りで明るく開放感な図書館です。作家の村上春樹さんも通い、図書館南側にある公園は『風の歌を聴け』の、猿のいる公園のモデルにもなりました。

 

 

《打出天神社》

659-0021芦屋市春日町1-21/0797-22-1877

http://www.city.ashiya.lg.jp/shisetsu/uchidetenjinsha.html

当神社が鎮座する打出は、西国街道が箕面の山麓から武庫の平野を横断して、初めて海岸に打ち出る地点であった。また、神功皇后と麛坂・忍熊皇子に由来する打出の浜。さらに打出の小槌の伝説のある所である。古くから交通の要所である打出は、幾度となく戦火にまみれ、又この大戦(太平洋戦争)にも本殿はじめ焼失し、当神社には古記録はない。それ故当神社の創建は明らかでないが、古来、産土神を祀っていたものを、天神信仰が盛んになり、天神さま(菅原道真公)を勧請したものと思われる。この地が古くから交通の要地であったので、天神信仰が早くから伝わったと思われ、天暦元年(947)に北野天満宮に道真公が祀られて、ほど遠くない時期に勧請されたとみたい。又、時代は下がるが室町時代には北野社(天満宮)領の葦屋荘の記録があるのも、なにかしら深い縁がある。また当社のすぐ南には、「金津山古墳」、西には「打出小槌古墳」があります。

 

 

《金津山古墳》

659-0021芦屋市春日町3-14

http://www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/isekimap_2.html

古墳時代中期(5世紀後半)に築造された古墳です。本来は前方後円墳でしたが、前方部が鎌倉時代に壊されており、現在は後円部しか残っていません。前方部で行われた発掘調査では、古墳の周囲を巡っていた濠の中から、円筒埴輪や形象埴輪(人物・鶏・盾など)が多数出土しました。

 

・・・「打出」から「尼崎」へ。もちろん、目的は「白髪一雄」さんです。

 

 

《尼崎市中小企業センター》

660-0881尼崎市昭和通2-6-68/06-6488-9501

http://www.ama-in.or.jp/

 

・・・中小企業センターの道路を隔てて北側にあるのが、目的地です。

 

 

《尼崎市総合文化センター》設計:山下設計/施工:前田建設工業

http://www.yamashitasekkei.co.jp/

660-0881尼崎市昭和通2-7-16/06-6487-0800

http://www.archaic.or.jp/

さまざまな出会いの場。人と、芸術と、音楽と。市民のみなさまが数多くの文化と出会い、その芽をはぐくみ、そして花開かせるための施設で、1982年にグランドオープンした。建物は、美術館や文化教室の役割をもつ文化棟(1975年開館)と、音楽・演劇公演の会場となるホール棟(1982年開館)で構成される。声楽家集団関西二期会の活動拠点である。

 

 

・・・「ホール棟」から「文化棟」へ。