・・・森喜久雄さん46歳当時のインタビューが、転職情報誌「DODA」(1990年10月25日号)に掲載され、その後、再構成されて★「わたしの仕事10」に収録されています。
《「わたしの仕事」(理論社)著:★今井美沙子/写真★今井祝雄》
求人雑誌(上巻は「週刊求人タイムス(学生援護会)」下巻は「DODA」)に掲載された様々な職業につく人へのインタビューを再構成して本にまとめたもの。
【今井美沙子】《参考》心の糧
http://tomoshibi.or.jp/radio/imai/
《参考》DODA(デューダ)
元々デューダは★転職情報誌(それ以前にあった「週刊求人タイムス=Q-tai」をリニューアルする格好で1989年創刊)であった。当初はDÖDAとドイツ語表記であり、このため読みがデューダとなり、後にÖはOに変更されたが、読みはデューダのままとなった。創刊当初から積極的にテレビCMを流すなどして知名度を上げ、転職することを意味する「デューダする」という言葉も生まれた。雑誌媒体としては学生援護会が編集・発行していたが、その後2006年7月、インテリジェンスと学生援護会の合併に伴い、インテリジェンスが運営することとなった。情報誌としての全国各地のデューダは順次休刊され、最後まで残っていた中部版も2009年5月に休刊した。2010年10月にブランドスローガン「いい転職が、未来を変える。」を掲げ、ブランドカラーやロゴを刷新している。
・・・森喜久雄さんは、★今井祝雄さんの誘い(勧め)で「壁画」を始められました。その記念すべき最初の作品が、
《1986フェスティバルあまがさき》
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=1986%E5%B9%B4
8月、尼崎市は市制★70周年を記念して、会場★記念公園(スポーツセンター)において多彩な★展示とイベントを行なう「'86フェスティバルあまがさき」を、8月1日から24日まで開催した。
《参考1》「記念公園(スポーツセンター)」
660-0805尼崎市西長洲町1-4-1ベイコム総合体育館/06-6489-2027
1940年(昭和15)の紀元2600年を記念して、西長洲(現西長洲町1)に建設された公園。市民運動公園・市民グラウンドとも呼ばれる。敷地3万3000坪は省線以南土地区画整理事業の対象地域に含まれていた。うち1万坪が買収・整備され、1940年11月10日に紀元2600年記念式典が行なわれて供用開始、その後も残りの用地の整備が継続された。戦後、米軍が西隣の住友金属工業プロペラ製造所に駐留するにともない、記念公園も資材集積場として提供するようを申し入れた。市民の反対運動の中、交渉の結果1955年1月に一部が貸与され、1956年12月には返還された。
そして今年は100周年ということで、
現在は、総合体育館・陸上競技場・野球場などの設備を備えたスポーツセンターとなっている。今年は、「2016スポーツのまち尼崎フェスティバル~尼崎市市制★100周年記念祭~」2016年10月10日(月)体育の日に開催されました。
《参考2》尼崎市制★70周年記念モニュメント「AMAMAMA」
神戸を拠点とし、旋盤工をしながら現代美術家として活動してきた★榎忠さんの作品が残っています。
この作品は尼崎の子供達との対話の中で生まれました。都市は時と共に変貌し、成長していく「いきもの」です。尼崎市が市制70周年を迎え、さらに未来に向かって飛躍していく姿を表現したものです。製作に際し、久保田鉄工株式会社の多大な協力のもとに株式会社乃村工藝社が構成した。1986.8.1榎忠(現地の案内板)
《参考3》鉄道芸術祭vol.6「ストラクチャーの冒険」於★アートエリアB1
2016年11月12日(土)~2017年1月22日(日)
http://artarea-b1.jp/archive/2017/01221006.php
・・・なんと30年前の作品です。その時、森さんは壁画を描かれていたわけです。榎さんの作品は、先日も「アートエリアB1」で観てきたところです。
・・・今年は、森さんが「壁画」を始められて★30年目にあたります。「今井祝雄」さん、そして「具体美術」について調べていきたいと思います。
・・・今井祝雄さんの作品については、1991「第2回大阪市都市環境アメニティ賞」をとられていたので、パブリックアートの視点から調べていました。
http://www.artcourtgallery.com/artists/imai/
1946大阪市生まれ。1964★個展「17歳の証言」(ヌーヌ画廊/大阪)第14回具体美術展(高島屋/大阪)、解散の1972年まで具体美術協会の会員であった。1966年11月には銀座松屋デパート8階で開催されたインターメディアな歴史的展覧会「空間から環境へ」展に参加、第10回シェル美術賞展1等賞(東京、京都)。当時20歳だった今井は、白のラバースクリーンを電動で隆起・伸縮させ、そこにスライドプロジェクターでイメージを投影するという実験的なインスタレーション作品「白のイヴェント×映像」を発表。このことは、それまで今井が具体で発表をしてきた白の作品と、具体解散以降現在も継続している映像メディアを使用した制作活動とが結びつく契機となった。白のレリーフ作品を中心に、平面でありながらも空間や物質を意識させる美術的なアプローチを試みてきた一方、高度経済成長に伴い発展する情報化社会に関心を寄せ、写真や映像等のメディアにも取り組んできた。
《1990「なにわ筋SIAビル」》(旧ニッセイなにわ筋ビル)
550-0013大阪市西区新町2-4-2
★「NSストーンズ」作:1990今井祝雄
《住吉大社》
558-0045大阪市住吉区住吉2-9-89/06-6672-0753
http://www.sumiyoshitaisha.net/
★「住吉万葉歌碑」(反橋横)作:1991今井祝雄
《京阪電車》天満橋駅1番ホーム
大阪市中央区天満橋京町1-1
http://www.keihan.co.jp/traffic/station/stationinfo/020.html
★開業90周年モニュメント「ここから、ここへ」作:2001今井祝雄
(37kgレール+3000系車両軸箱+ウイングばね)
開業90周年を記念するとともに、中之島新線の早期事業化を願ってここに製作したものです。レールで作った台座の六角柱は、6つの路線、すなわち中之島新線・京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線を表しています。上部には歴史を刻んだ軸箱とウイングばねを据え付け、未来への進化を託して、光り輝く円筒をクロスさせています。内部には、社員一人ひとりの”未来へのメッセージ”を収めました。ここ天満橋駅は、京阪電車が明治43年4月15日に、大阪天満橋~京都五条間で営業運転を開始したときの起点でありました。さらに昭和38年4月には淀屋橋まで地下線を延長し、大阪と京都の両都心を直結しました。中之島新線もまた、開業の地であるこの天満橋駅から分岐して、中之島西端・玉江橋に至る約3kmの路線で、大阪東西軸の要として都市部活性化に大いに寄与することを期待するものです。2001年1月京阪電気鉄道株式会社
★2016年開催の個展
クレジオ、耕衣、九条(ぷらすいちあーと/大阪)今井祝雄展(ギャラリーあしやシューレ/芦屋)今井祝雄 Retrospective―方形の時間(アートコートギャラリー/大阪)今井祝雄「白のイベント × 映像・1966-2016」(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku/東京)Performing for the Camera(テート・モダン/ロンドン)
・・・老いて(70)ますます盛ん、私も「ガンバリタイ」です。