王寺町(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「王寺町地域交流センター」の展示にもありましたが、「達磨寺」へ行ってみましょう。

 

 

《達磨寺》

636-0012奈良県北葛城郡王寺町本町2-1-40/0745-31-2341

http://www.darumaji.jp/

飢人伝説に基づいて開かれた達磨寺は、達磨大師の墓と伝えられる古墳の上に本堂が築かれています。鎌倉~室町時代には興福寺や東大寺の僧兵に放火されたりしましたが、室町幕府の将軍、足利義満・義持・義教らの支援を得て再興されました。平成16年4月には、老朽化に伴って再建された新本堂が完成しています。寺内には、重要文化財として木造達磨坐像・木造聖徳太子坐像・達磨寺中興記石幢があり、奈良県指定文化財として方丈があります。毎年4月11日には、達磨会式が行われています。

 

 

《片岡神社》

636-0012奈良県北葛城郡王寺町本町2-6

http://www.town.oji.nara.jp/history/kataokajinja.html

http://www.oji-kanko.jp/spot/000111.html

八幡大神、住吉大神、豊受大神、清滝大神、天照大神が祀られ、放光寺の鎮守社であるとされています。延喜式の神名帳には片岡坐神社とあり、古人は雨の神として尊信していたと言われます。記録によると、正暦5年(994)、疫病や天変地異が続いたため、中臣氏が救済を祈願して奉幣したと言われています。

 

 

《放光寺》

636-0012奈良県北葛城郡王寺町本町2-6-1/0745-72-3710

http://www.oji-kanko.jp/spot/000112.html

第30代敏達天皇の皇女片岡姫による創建といわれ、聖徳太子が建立した四十六院の一つにも数えられています。古代では片岡王寺とも呼ばれ、南向きの四天王寺伽藍をもっていたと考えられています。しかし、永承年間の雷火と元亀年間の兵火でほとんどが消失しました。その後、元禄の頃に再興されました。2004年には国道168号線改良事業に伴って、王寺小学校グランド部分で発掘調査を行ったところ、片岡王寺に関わる奈良時代の掘立柱塀と石積み溝が検出され、平城京と同じ文様をもつ鬼瓦も出土しました。

 

 

《乳かけ地蔵》

636-0021奈良県北葛城郡王寺町畠田7-2-8

http://www.town.oji.nara.jp/history/mamakakejizou.html

推古天皇が乳母の乳が少ないことを悲しんで、この地蔵に使いを送って祈願させたところ、乳母の乳がたくさん出るようになったという伝承があり、乳垂地蔵とも言われます。かつてはそばに柳の木があり、参詣にきた婦人がここに母乳がよく出るようにと乳をかけて祈願していたので、柳は乳で白くなっていたといいます。1810年(文化7)「香塔寺略縁起」には、松永久秀が諸所の寺院を破却した際、香塔寺一宇が災厄をまぬがれ、火中にあった乳かけ地蔵もまったく被害にあわなかったと記されています。境内には、1576年(天正4)と1615年(慶長20)に建立された六斎念仏講の石碑があります。

 

 

・・・カエルの「とまれ」、久しぶりに発見しました。いざ「明神山」へ。