大山崎(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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《アサヒビール大山崎山荘美術館》

618-0071京都府乙訓郡大山崎町銭原5-3/075-957-3123

http://www.asahibeer-oyamazaki.com/

アサヒビール大山崎山荘美術館は、関西の実業家・故加賀正太郎氏が大正から昭和初期にかけ建設した「大山崎山荘」を創建当時の姿に修復し、安藤忠雄氏設計の新棟「地中の宝石箱」などを加え、1996年4月に開館しました。正太郎氏の没後、加賀家の手を離れた大山崎山荘は、平成のはじめには傷みが激しく荒廃寸前となっていました。さらに周辺が開発の波にさらされるなかで、貴重な建築物と周囲の自然の保護保存を求める声が多くあがりました。加賀氏は、ニッカウヰスキーの設立にも参画し、アサヒビールの初代社長であった故山本爲三郎と同じ財界人として深い親交がありました。京都府や大山崎町から要請を受けたアサヒビール株式会社は、行政と連携をとりながら、山荘を復元し美術館として再生することとしました。アサヒビール大山崎山荘美術館では、貴重な建築物や美しい庭園を後世に遺すとともに、美術館としての個性を生かした企画展示など、独自の文化発信を行っています。こうした活動が、ご来館いただいたみなさまに喜びと潤いをお伝えできることを願ってやみません。

 

 

★開館20周年記念うつくしいくらし、あたらしい響き―クロード・モネ

2016年9月17日(土)~12月11日(日)

エトルタ、アルジャントゥイユ、ロンドンと創造の源泉を求めて旅に明け暮れたクロード・モネ(1840~1926)は、40歳代に入るとパリ近郊のジヴェルニーに居を定め、絵を描くように庭を造りました。草木の配置や花々の配合を細かく研究し、庭師を雇い、自身のイメージを現実の庭に再現したのです。庭に思索と安穏を見いだしたモネは、睡蓮を育てながら描きつづけ、やがて睡蓮の絵画に囲まれた部屋で人々がやすらぎを感じることを期待しました。当館が所蔵する《睡蓮》連作5点は、このジヴェルニーの庭で生まれた作品です。開館20周年を迎えた2016年は、奇しくもモネの没後90年にあたります。本展では、当館所蔵品の柱である印象派の巨匠モネに焦点を当て、所蔵する8点を一堂に公開するとともに、国内美術館等から厳選された珠玉の作品を合わせた20点で、モネの作品と生きた時代を振りかえります。絵画の新しい時代を切り拓くとともに、庭を造り、食を楽しみ、美しいくらしを追い求めたクロード・モネは、日本にあこがれ、最後にジヴェルニーの地に理想郷をつくりました。その作品群は、ここ大山崎で、同じく美を求めてこの地に集った人々の足跡と出合い、相互に響きあうことでしょう。それぞれのあたらしい目で捉えられた世界が、見るものに新鮮な驚きと喜びをあたえ、やすらぎへと導く機会になれば幸いです。

 

 

アサヒビール大山崎山荘美術館は、歴史ゆたかな土地に建つ貴重な近代建築と、同時代の先端を行った芸術運動の遺産、そして国際的に活躍する建築家・安藤忠雄が手がけた現代建築の三つを擁して、1996年に開館しました。2004年には、「大山崎山荘」の6つの建物、霽景楼(せいけいろう)[現本館]、彩月庵(さいげつあん)[茶室]、橡ノ木(とちのき)茶屋、栖霞楼(せいかろう)[物見塔]、旧車庫[現レストハウス]、琅玕洞(ろうかんどう)[庭園入口トンネル]が国の有形文化財として登録されました。

 

 

《宝積寺(宝寺)》

618-0071京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原1番地/075-956-0047

http://oyamazaki.info/archives/1407

奈良時代に聖武天皇の勅願により僧・行基が開いたとされる真言宗の寺院。通称「宝寺」という。鎌倉時代の傑作といわれる本尊の十一面観音像をはじめ閻魔王と眷属御影など寺宝が多い。参道沿いの三重塔は羽柴秀吉が山崎の合戦の際に一夜にして建てたといわれ、美しい桃山建築様式を今に伝える。古式ゆかしい2月の「星供節分会」や、鏡餅に写った自分の姿を見て鬼が退散するという4月の「大厄除追儺式(鬼くすべ)」もみもの。

 

 

《1915大山崎山荘「栖霞楼(物見塔)」》登録年月日:20040723

敷地北奥の高台に南面して建つ。3m×4mほどの矩形平面の小塔で、木造3階建、急勾配の切妻造、鉄板葺の屋根をかける。1階の円形、アーチ形などの出入口、2階南面の縦長窓、3階展望室の大きく開いた横長窓など、多彩な開口部をもつ遊び心あふれる建物。

 

 

《参考》戸時代に柴田鳩翁という心学者が書いたお話しの中に、天王山にまつわる、「京の蛙と大阪の蛙」というお話があります。

http://oyamazaki.info/archives/1427

 

◆【大山崎町歴史資料館】◆

618-0071京都府乙訓郡大山崎町大山崎竜光3番地

大山崎ふるさとセンター2階/075-952-6288

http://oyamazaki.info/archives/660

http://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/contents_detail.php?frmId=6992

大山崎。それは天王山が淀川へ最もせり出した場所を意味します。その自然の関門ともいうべき地形から、日本の東と西を結ぶ交通の要衝として古代以来発展してきました。当歴史資料館の常設展では、これまで歩んできた歴史的特色を踏まえ、7つのコーナーを設けて町の歩みを紹介しています。まず、エントランスルームでは、年表、文化財地図パネル等で町の歴史概観ができます。そして竹林のプロムナードをぬけると、そこには大山崎の名水にちなむ井戸ビジョンがあり、映像で各時代の特色ある文化・歴史を紹介し、次のコーナーへの興味を高めます。展示室は5つのコーナーに分かれ、古代コーナー、中世コーナー、山崎合戦と待庵・利休のコーナー、近世コーナーという構成になっています。各コーナーとも実物展示のほか、解説ビデオやイラスト、模型や複製などを用いて、楽しみながら歴史学習ができるように心がけた展示となっています。天王山、淀川とともに生きる大山崎町の歴史を存分にお楽しみください。

 

《大山崎油座》

鎌倉時代から戦国時代にかけて、山崎地域で荏胡麻油を、原料の仕入れから製油・販売までを独占して販売し発展していた座がありました。座の構成員は主に離宮八幡宮の神人であったといいます。石清水八幡宮の神事に携わったことから、当時の幕府や実力者達から保護を受け、崇敬心や神威をかざして巧みにふるまい特権を拡大していました。大山崎を「荏胡麻製油家の元祖」として,諸国の関所や渡し場を自由に通行できるようにし,課益を免除しました。おかげで最盛期には近畿内だけでなく、美濃・尾張まで広げていたそうです。