・・・小ネタばかりの「羽曳野」ですが、それが「はびきの」の「ハビキノ」らしさなのかもしれません。
・・・市役所そして警察署にも、かろうじて絵画が掲示(展示)されています。
《光宗寺》
583-0857羽曳野市誉田3-6-7/072-956-2297
・・・古民家が次々に解体され更地になり、これまでなかった景色があちらこちらで見かけられます。
《「フラワー」★竹内街道軽里店》
583-0854羽曳野市軽里2丁目73-1/072-958-4444
http://www.cf-flour.jp/?page_id=47
<店舗>9:30~20:00<カフェ>9:30~18:00<モーニングサービス>9:30~11:00<ランチ>11:00~18:00※オーダーストップ1時間前★年中無休(1/1除く)
1963年10月、羽曳野市栄町にて和菓子と欧風菓子の店フラワー(FLOWER)を個人営業にて開店。
《峯ヶ塚古墳》
古市古墳群の中では内部施設が発掘調査されている数少ない前方後円墳です。古墳の復元整備に伴う12回の発掘調査で多くの成果を上げました。墳丘は96mで二段に築かれており、外部施設としては南側以外は二重濠を有し、墓域は東西168m×南北148mを測ります。1991年(平成3)の発掘調査で、後円部墳頂付近で新たに確認された石室からは、盗掘を受けていたものの多くの副葬品が発見されました。この中には、銀や鹿角製などの装飾品を付けた大刀をはじめ、武器や武具、馬具など軍事的な副葬品や、装飾品となる金銅製の冠帽や帯金具、魚佩、銀製の垂飾りや花形飾り、ガラス玉や石製玉類などがあり、総数は3,500 点以上に及びます。この古墳は、副葬品や出土した埴輪の特徴から5世紀末頃に築かれたと考えられます。
・・・久しぶりに「峰塚公園」を散策して、石彫モニュメント(トーテムポール?)を発見、その来歴がわからなかったので調べてみました。
《参考》「日本に於けるメキシコのモニュメントに関する歴史ノート~日墨交流400 周年に寄せて~」より/文:米田博美(在日メキシコ大使館翻訳官)
http://cristinarascon.com.mx/ja/creditos/hiromi-yoneda/
大阪府羽曳野市にも巨大な「戦士の像」がある。このレプリカは★「国際花と緑の博覧会」(平成2年、大阪市の鶴見緑地にて開催)にてメキシコが出品し、翌年、メキシコ政府より贈呈された「トゥーラの像」であり、当初、花博記念パークとして同市市役所敷地内の「憩いの広場」に展示されたが、現在は市内の峰塚公園近くに移築され市民の憩いの場となっている。メキシコ中部、イダルゴ州にあるトルテカ文化のトゥーラ遺跡より発掘された「アトゥランテ・デ・トゥーラ(戦士の像)」の実物大のレプリカである。トルテカ族の太陽の使いである神を象徴している。像の近くには、温室が設けられ、上記博覧会のためにメキシコから運ばれサボテン類が展示されたが、老朽化が進み、現存していない。羽曳野市に同像が寄贈されたのは、「当時、同市が市民の国際感覚の醸成を図るため国際交流事業に着手しており、異文化に接する機会を模索しており、譲渡におけるメキシコ国と羽曳野市の条件が合致し」寄贈が実現したことによる。羽曳野市は、奈良時代には多くの仏教寺院がたてられ、仏教文化の中心地の一つであり、古墳時代には全国でも最大の古墳群である「古市古墳群」が造営されるなど歴史的にも重要な町であり、現在は人口10 数万の都市である。(現在、白川公園内に移設されたトゥーラ像は高さ約4 メートル、直径約1 メートルの巨大なものである)
《小口山古墳》
峯ヶ塚古墳の西方約200mの羽曳野丘陵の東縁に位置する横口式石槨をもつ終末期古墳で、直径約30mの円墳です。1912年(明治45)に開墾に際して発見され、喜田貞吉が「河内軽里の掘抜石棺」として紹介し、広く周知されるようになりました。近年、公園整備に伴って発掘調査が実施され、墳丘の範囲が確認されるとともに、内部構造を考えるうえでも大きな成果を得ることができました。築造時期は、横口式石槨の形態から考えて7世紀後半ごろと推定されます。また古墳の所在する西側には白鳳時代に栄えた善正寺が位置しており、この寺に関係する人物が埋葬されている可能性が考えられています。