カエル小ネタ集(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【格安自販機】

(1)激安自販機の仕掛け人は、自販機メーカーのフジタカ(京都府)だ。2002年から飲料安売りのための自販機を販売したところ、普及台数は右肩上がり、今では4万台に達している。フジタカでは、消費者に安く、またワンコインで便利に利用してもらうために、設置者に100円で販売するようにすすめている。ただし、ただ百円での販売をすすめるのではなく、仕入れのルートを工夫し安く仕入れたり、通常はひとつの自動販売機に、ひとつのメーカーの商品だけが入るところを、複数の大手メーカーの商品を自由に組み合わせ販売することで、販売効率を上げている。そのため設置者も無理なく100円で販売することができるのだ。日本自動販売機工業会によると、07年時点での飲料自販機の普及台数は263万台で、すでに飽和状態だ。競争に勝つためには価格を下げることが1つの方法であり、またこのところの金融危機や株価下落により、消費者は価格に敏感になっていることからも、激安自販機の普及は今後しばらく順調に伸びていきそうだ。

 

 

(2)自動販売機で飲料の値下げ競争に一服感が出ている。1缶120円で売る通常の自販機に対し、安値を武器にした100円自販機が普及してきたが、ここに来て導入が止まっている。自販機設置料に上昇圧力が強まっているのに加え、東日本大震災の影響で清涼飲料の需給が引き締まったためだ。夏場の猛暑で値下げを見送った側面もあるようだ。自販機の設置や運営を請け負う八洋(東京・新宿)は今年に入り100円自販機の新たな設置を取りやめた。2010年は東京都内を中心に前年比で約5%増の1万2000台程度だった。10年に100円自販機を同7%程度増したユカ(東京・目黒)も今年は「新規の100円自販機の設置はほとんどない」という。「他社は売り上げの35%払うけど御社はどうするの」。ある自販機設置会社の営業担当者が設置主からこう問い詰められた。自販機運営会社は設置主に手数料(ロケーションフィー)を支払う。売り上げの20~25%が通例だが、好立地では場所の奪い合いが激化し、設置コストが上昇。ある営業担当部長は「100円の商品を売るのに(仕入れなどを含めて)100円の経費がかかることもある」と漏らす。コスト増を吸収するための値下げが限界にきている。震災後に清涼飲料が品薄になったことも背景にある。大手キャップメーカーの日本クラウンコルク(東京・千代田)や日本山村硝子の工場が被災した。復旧は当初の見込みより早かったものの「4月半ばの復旧までキャップの供給量は例年比で25~30%落ちた」(飲料総研=東京・新宿)。一部飲料メーカーの工場も生産を停止した。飲料総研によると、キャップなど素材メーカーなどの被災を受け3月の清涼飲料の生産は前年同月比で1~2割と大幅に減少した。一時的な減産を受け自販機設置会社は仕入れ難に陥った。「非常事態の際は店頭向けが優先されやすい」(業界関係者)こともあり自販機業界では在庫の不足感が強まった面もある。ある自販機設置会社では、通常1つの自販機あたり30種類程度ある飲料の種類が3分の1に減少。仕入れても入荷量が半分になった商品もあった。「7月後半からようやく商品を欲しい分だけ仕入れられるようになった」(自動販売機運営会社)メーカーもあるようだ。飲料総研が発行する月刊誌「飲料ビジネス」の宮下和浩編集長は「前年の猛暑や緩やかな景気回復で安値競争は弱まった。震災後の品薄で価格引き下げ圧力はさらに弱くなっている」と指摘する。

 猛暑で販売増が見込めることも背景にある。総務省の家計調査では、猛暑だった昨年7月の1世帯あたり(2人以上)の飲料全般への消費支出は4915円と前年同月比で約7%、8月は同11%上昇した。日本自動販売機工業会(東京・港)によると10年末時点の清涼飲料の自販機設置数は前年同期に比べ1.6%増えた。一方、年間売上額は同4.7%伸びており1台あたりの販売額が増加したことがわかる。ただ、「再び値下げ競争が始まるのでは」との見方もある。首都圏の場合、100円自販機は08年秋のリーマン・ショック後に消費者の節約志向が強まったことで一段と広がった経緯がある。自販機業者の利益は圧迫されているが、急激な円高や世界景気の先行き不透明感から「消費者が再び価格に敏感になる可能性も否定できない」(大手自販機運営会社)と警戒する声も上がる。

 

 

【僕ビール、君ビール】

http://yohobrewing.com/bokukimi/

ローソン×ヤッホーのオリジナルクラフトビール第1弾は「僕ビール、 君ビール。 」(以下、僕ビール)。果実のような香りとさっぱりとした味わいが特徴のエールビールで、若い世代を中心に話題を集めました。2014年10月に初登場して、累計販売数150万本を突破するという人気ぶり。第2弾「僕ビール・よりみち」は4月26日から数量限定の発売。僕ビールの人気を考えると、早めに売り切れてしまいそうです。ヤッホーブルーイングの広報さんも「よりみちは新鮮な状態のものを味わってほしいから、早く買って飲んでほしい」と言っていました。

 

・・・残念ながら「よりみち」を味わうことができませんでした。

 

《参考》キリンビールはテレビ放送中のカエルのキャラクターを使った缶チューハイ「本搾り」のCMやキャンペーンを2014年1月24日で中止、終了すると公式ホームページ上で発表した。アルコール問題を扱う団体から、未成年者の関心を引き飲酒に誘導しかねない、などといった指摘を受けたからだという。  カエルの着ぐるみが問題だったようなのだが、ネットではこのカエルは子供受けするキャラとは全く思えないのにCMを中止するなんて「モンスタークレーマー増えすぎ」などと異論が出ている。

 

・・・テレビで放送しなかったら、カエルのキャラクターはOKなのかな?この「僕ビール」はヤバイほど可愛いデザインです。

 

 

【松井正文】京都大学名誉教授/カエル研究の世界的第一人者

文:神戸市立須磨海浜水族園学術研究統括・亀崎直樹

「よう、亀さん。うちに来て学位とれよ」当時、35歳になっても博士をとる目途のついてなかった私に声をかけてくれたのが、松井正文さんでした。当時、私は京大の理学部の動物学教室にお世話になっており、研究テーマもしぼりきれず、また、ウミガメの保護にも手を染めていた私にとって学位は遠い存在でした。そんな時、松井先生は新しくできた京大の人間・環境学研究科の教授になり私をそこの大学院に誘ってくれたのでした。「指導はしない」という京大理学部の伝統という温泉の中にいた私は、カエルの大先生の厳しい指導のもとで研究を続け、先生の博士1号となったのでした。
 松井正文先生は両生類(カエルやサンショウウオ)の大先生でこの道で知らない人はいません。特に先生の専門は系統分類学です。どこかに変わったカエルやサンショウウオがいるときくと捕りに行って形態を調べたり、DNAの違いをみて、違いがあるなら新種として記載するのです。そんな先生の趣味はコレクションです。昆虫に切手、テレフォンカード、カメラを集めておられ、どれもが両生類の膨大なコレクションに匹敵するくらいです。

《参考》「カエル~水辺の隣人」著:松井正文/2002.6中公新書

日本でのカエル研究(とくに系統分類学)の第一人者の著者が、カエルの進化から系統・形態、生態、そして減少の危機まで、カエルのあらゆる側面を紹介した本。第1章の両生類の系統と、その中でのカエルの特徴の解説。第2章の日本のカエル類の分類学上の問題点の紹介。こういった辺りは、著者のまさに専門分野で、面目躍如って感じ。興味深く読める。

 

・・・素敵な題名、購入しました。これから読むところです。

 

 

【カタヤマサイクル】

大阪市中央区松屋町1-1/06-6768-9562

http://katayamacycle.com/

トライアルバイク関連商品を品数豊富に取り揃えています。トライアル選手のアドバイスを元に開発したオリジナルフレームをはじめ、お客様のどんなオーダーにもお答えする用意を整えています。世界でただ1つのオリジナルバイクを作る事も可能です。また初めての方にはビギナー教室も開催しています。是非皆さんも楽しいトライアルの世界に挑戦してみてください!

★JIRAIYAモデル

《NEWS》大阪・松屋町の武者人形が育てた歴史作家・片山洋一さん

ときに人は多彩な顔を持つ。甲冑姿の荒武者、特注車を手掛ける自転車販売店の店主。そして新進気鋭の歴史作家。大阪を拠点に、ひとり三役をこなす片山洋一さん。大阪市中央区の松屋町。古くから人形や玩具、駄菓子などの問屋街として名高い。大阪人はそれこそ、おもちゃ箱をひっくり返したようなにぎやかな発音で「まっちゃまち」と、呼ぶ。町の一角に、片山さんが父親と切り盛りする自転車販売店「カタヤマサイクル」がある。片山少年は松屋町で遊びながら育つ。「5月の節句が近づくと、武者人形が店頭を埋め尽くす。ものごころがつくころには、武者人形の鎧や兜に魅せられていました」と振り返る。長じて甲冑の研究を始め、2004年、同志を糾合して「甲援隊」を結成。甲冑コスプレを楽しむだけではない。甲冑姿で各地のまちおこしイベントに参戦して、人の心を熱くし、まちを元気にしたいとの思いを貫く。「なんばウォークのイベントも、当初は主催者からただ歩いてもらうだけでいいと言われましたが、遠方からやってきた参加者もいるので、歩くだけではもったいない。出陣式風の演出などを取り入れてみませんかと提案したところ、急きょリーダー役を引き受けることになりました」(片山さん)隊員が勢ぞろいすることもあれば、あまり隊員が集まらない場合、他の団体と合流のうえ連合軍で作戦を展開することもある。自己表現と全体への配慮など、小説執筆にも役立つ人間関係構築の要諦は甲援隊の活動から学んだ。甲冑を通して歴史と向き合ううちに見えてきたことがある。地域の底力だ。片山さんは「江戸三百藩」とも呼ばれ、徳川政権に従属しつつも、大小の大名が独自の藩政運営に知恵をしぼりながら並び立っていた政治システムに着目する。「明治維新と昭和の戦後復興を成し遂げることができたのは、幕藩体制の下、各藩で蓄積されてきた地方の底力があったからこそ。半面、2度の奇跡を起こすため、地方の力を使い果たしてしまった。国力とは地方の総合力。今いちど、地方のパワーの重要性を再評価し、充電させる必要があるのではないでしょうか」(片山さん)地域へのまなざしが作家デビュー作を書かせた。2014年、「大坂誕生」が第6回朝日時代小説大賞優秀作となり、15年3月、朝日新聞出版から刊行された。作品の主人公は松平忠明。大坂の夏の陣終結直後の1615年6月、新しい領主として大坂へ入り、再興に挑む。家康の孫ながら5万石から10万石に加増された小大名にすぎなかったが、すぐれた行政手腕を発揮し、短期間に再興への道筋を付けた。忠明は1619年、大和郡山へ転封となり大坂を離れ、大坂は幕府の直轄領となる。幕府はまもなく大坂城を再建。城代を派遣して西の雄藩へのにらみをきかせ、長期安定政権運営の土台を築く。大坂の陣は小説やドラマに繰り返し描かれてきたが、大坂の陣終結から徳川大坂城築城に至る移行期の数年間は描かれることが少なかった。片山さんは史料を調べ、忠明の動きを丹念に追うことで、大坂の空白時代に光を当てた。大坂の陣直後、大坂の焼け跡には反徳川の余熱がくすぶる。籠城組と呼ばれる豊臣びいきの抗戦派もいた。小大名の忠明がきのうまでの敵地にどのようにして溶け込み、再建を進めていったのか。片山さんは「道頓堀が転機になった」と分析する。平野郷出身の成安道頓が1612年、新しい掘割の開削に着手するものの、大坂の陣で豊臣方に与して戦死。その後、忠明の治世下で、親戚の安井九兵衛らが道頓の遺志を受け継いで開削を成し遂げる。当初南堀川の仮称で掘り進められたが、完成に伴い、忠明が「道頓堀」と命名したとされる。「大坂再興のシンボルとなる新しい幹線水路に、忠明は敵方として討ち死にした逆賊の名前を付けたわけです。この道頓堀命名で、忠明に対する民衆の評価が変わったと思いますね。それまで町名に町民の名前を付けるという発想はなかった」(片山さん)以降、大坂では心斎橋、宗右衛門町など、まちを開発に貢献した町人の名前が町名になっていく。「忠明は石高こそ低かったが、人材に活躍の場を与える将の将たる器でした。大坂町人の哲学は自立と自律。自分たちでまちを作り守っていくなら、金や労力を惜しまず楽しみながらやろうではないか。こうした大坂町人の持ち味を、忠明はよく理解していた」(片山さん)現在、2作目の長編小説を執筆中だ。

 

 

家業の自転車販売店では一般車の販売修理に追われる一方、岩場などの障害物を、自転車で足を地面に着けないまま乗り越えていく「バイクトライアル」(BTR)用のオリジナル専用車を手掛けている。ブランド名は★「JIRAIYA」。関西のBTR愛好家には知られた存在だ。自転車販売店の誇りを持ち、品質重視で顧客の要望に応える姿勢に、大阪商人本来の血が息づく。片山さんは「ちょっと甲冑をのぞいていきますか」と声をかけてくれた。店に隣接する自宅で、凛々しい甲冑たちと対面。足利尊氏、豊臣秀吉、石田三成様式などの甲冑とともに、どこかで見かけたことのある甲冑も。「なんばウォークで着用したもので、松平忠明様式の甲冑です」と笑顔が弾ける。

《参考》自来也、児雷也

江戸時代後期の読本に登場する架空の盗賊・忍者。明治以降、歌舞伎や講談などへの翻案を通して蝦蟇の妖術を使う代表的な忍者キャラクターとして認識され、現在に至るまで映画・漫画・ゲームなど創作作品に大きな影響を及ぼしている。