【辻本病院】
589-0031大阪狭山市池之原2-1128-2/072-366-5131
10月10日、辻本病院の一室(5階)に「わたしの美術館」がオープンしました。
・・・ご病気の方々や、来院される様々な方々の気分転換になれたら幸いです。
・・・さて、ずっと気になっていた病院アートがあり、とうとう我慢できずに電話で問い合わせをしました。作者を知りたくて、サインを解読しようと努力しましたが結局わかりませんでした。
《大野記念病院》
550-0015大阪市西区南堀江1-26-10/06-6531-1815
大正13年1月、初代院長・大野良蔵が西区南堀江に外科大野病院を開設。平成元年10月、現在地へ移転し、大野記念病院へ改称。地域住民の皆様の生命と健康に貢献したいと考える最先端医療機器を整備した地域中核病院です。法人グループで複数のクリニック運営をしており、特に透析に強みを持っております。地域住民の皆様の生命と健康に貢献したいと考える最先端医療機器を整備した地域中核病院です。法人グループで複数のクリニック運営をしており、特に透析に強みを持っております。
・・・亡くなった父が最初に救急車で運ばれたのが、この病院でした。その時は、病院アートに気付くこともなく、病室への行き帰りだけが精いっぱいでした。
・・・病院としては、大胆なアート作品を設置したなあと感心させられました。
【アンドレ・デュプレッシ】André Joseph DUPLESSIS
531-0072大阪市北区豊崎1-1-14/090-8366-6260
●André Duplessis(アンドレ・デュプレッシ)絵画教室
中崎町エリアの北、豊崎に昭和にタイムスリップしたような町家が並んだ素敵な路地があります。その通りの中ほどに、フランス人のアンドレさんの絵画教室があります。アンドレさんはフランスで美術を学ばれ、日本には30年ほど前に来日されたアーティストです。京都に長く住んでおられましたが、10年ほど前に豊崎に引っ越して来られました。現在は自宅で絵画教室も開かれています。外見は昭和の町家ですが、中は淡いブルーを基調にした色に塗られ芸術の香りに満ち溢れています。(2008年頃の情報)
★Hono Bioin Hospital , Namba Osaka : sculpture murale de 7×4 m
Hotel Hilton , Osaka : 17 formats 100×100 et fresque du loby d’entrée .
Décoration restaurant UMEDA Osaka
・・・アンドレさんのHPに、Hono Bioin Hospitalとして掲載されています。日本の墨を作品の中に取り入れた独自の抽象も描いておられます。
《参考》「もう一つの園」セバスチャン・クロエ
アンドレ・デュプレッシの画は伝統に裏づけされたものが織りなす2つの世界の出会いでありながら、必ずしもその枠にとらわれない。それは同時に日本から見た西洋文の読解、表意文字、新しさへの探求を併せ持つものなのである。彼の作品は東洋と西洋のあらゆる対置的要素を一掃しながらも、従来のエキゾティスム的エロティスム色を排したところに一つの緊張感、交わりを求める。東洋と西洋の間で作者は自問しながらこの2つの世界の間の様々な境界線を独自の視点で読み取ろうとしているかのようである。東洋はどこから来て、西洋はどこに向かうのか・・・彼のこの2つの問いが創意と技巧を介し作品に間(ま)と時(とき)を定義するのである。そして彼は絶えず描く、秘密も空間もない園、すなわち時(とき)の園<もう一つの園>を。
素材はデュプレッシの作品において重要な部分を占める。常に新しく、一貫性を持たない素材使いは作品に用いられる言語とイメージ(画)の融合を可能にする。布、土、陶器、金属、紙、竹、木材などの研究にも余念がない。例えば和紙はその製作から始まって彫刻、浮き出し、版画、折り紙などのテクニックの試行、竹は割いたり剥いで見たり、あるいはそのしなりと曲線の探求、木材は形にしたり、燃やしたり、すり減らしたり、削いでみたり・・・とりわけ紙は、彼の作品とその呼称の土台をなす重要な素材である。
大部分の作品の中で、紙の存在は、ニスの塗られた地味な額縁から離れ(を取り払い)、引き立てられている。そして彼はそこに画と書、反復と変化の間で、柔軟でいて硬直、静かながら時に激しくぶつかり合い、議論ともすれば戦闘に入らんとするアクリル絵の具と金属絵の具、竹や金属、木材たちのいわば‘国際会議’を組織するのである。常に起伏を伴う和紙の上で、唯一色彩はきつね火のような、微かに聞き取れるだけの聴覚映像をこだまのように醸すムードを漂わせる売り子のような(淡い)輝きを放つ。そんなデュプレッシの色彩は、けっして彩色としての意味を持つものではない。それは彩を施すために用いられるのではなく、一つの独立したオブジェ(対象)であり、視覚ではなく知覚を振るわす作品の最も重要な要素をなすのである。
もし、彼の影に対するアプローチがピエール・スラージュの黒を想起させるとしたら、彼はむしろそれを光との組み合わせのなかで一層、起伏や非両立性、相異性に強調を加えながら用いている。影は、ねじれやうねり、書の抑揚や建築風の構造を介し、トルコ石(青緑色)やカーミン(洋紅色)の裂け目、オークル(黄土色)、錆色、ベージュの静かな面 、そして‘無限’の上に浮かび上がる金と銀の輝きまで、画のそれぞれの要素の関わりのあり方として配置されている。
デュプレッシのエデンの園、すなわち時は期間を意味しないという彼の園には不可知の樹がある:画家というものは己を理解しているのだろうか?世界は?絵画はどうか?・・・悪い冗談だ!律動(リズム)の園の中、各イメージは映画のように動きを持ち、それぞれに異なり、それを押さえつけうるあらゆるものを逃れる。作品それぞれは東洋と西洋の神話にも似たストーリーを語りかけながら、その間で2つの世界の今後を謎めいた面持ちで問いかける。この園を耕す(画を論理的に熟考、理屈づける)というのは、極端なリスクを犯すということ:発言し企てると言うリスクであり、成功のためとはいえだれもあえて犯そうとしないリスクである。
・・・難解な文章ですが、デュプレッシさんの作品を表現するには、こうなるのかなあとも思います。とにもかくにも、作者がわかってスッキリしました。