・・・森喜久雄さん一周忌「追悼展」のため、JR桃谷へ。
《JR桃谷駅》
https://www.westjr.co.jp/press/article/2016/07/page_8917.html
JR西日本グループでは、平成25年度から「大阪環状線改造プロジェクト」をスタートし、これまで森ノ宮駅全面リニューアル、各駅のトイレ集中改良、新型車両323系の開発、高架下商業施設「ビエラ森ノ宮」および「ビエラ玉造」の開業、発車メロディ導入、地域や企業などとの連携イベントの実施など、大阪環状線のイメージ刷新とお客様満足度向上を図るため、さまざまな施策を展開してきました。桃谷駅においては、昨年から駅リニューアル工事と高架下の商業開発を進めてまいりましたが、このたび、一部エリアが完成しリニューアルオープンを迎えることになりましたのでお知らせします。2016年7月 8日/開業日平成28年8月31日(水)
★工事用仮囲いアート企画「桃谷アートミュージアム」
https://www.jr-odekake.net/railroad/osakaloop_kaizou/detail.php?id=21
現在、桃谷駅では、駅構内や高架下エリアを含め、駅及び駅周辺の魅力向上につながる美装改良・商業開発を進めています。桃谷駅改良のコンセプトは「桃谷成蹊」。故事成語の「桃李成蹊」になぞらえ、駅構内から北側高架下エリアに至る動線を「一本の小道」に見立て、人々が集う快適で利便性の高い駅づくりを進めています。平成28年夏頃のオープンに向けて現在工事を進めていますが、工事期間中の仮囲いを活用し、桃谷駅改良のコンセプトと同じ「桃李成蹊」を建学の精神とする大阪成蹊大学と、大阪環状線改造プロジェクトがコラボレーションし、3月3日(桃の節句)から、工事用仮囲いアート企画「桃谷アートミュージアム」を開催しています。大阪成蹊大学芸術学部情報デザイン学科ビジュアルデザインコースの学生が「桃谷の魅力を伝える」ポスター制作に取り組みました。ぜひ、ご覧ください。※ポスター展示期間は概ね3月末までです。4月以降、工事の進捗に合せて順次撤去します。
《大阪成蹊大学》
533-0007大阪市東淀川区相川3-10-62/06-6829-2554
http://univ.osaka-seikei.ac.jp/index.html
建学の精神は、“桃李不言下自成蹊”(桃李言わざれども下自から蹊を成す)に凝縮されています。これは、徳のある人のまわりには自然と人が集まってくることを喩えたことわざですが、江戸時代においてはこの「徳」と「得」は同じことを意味していたといわれますから、現実的な意味あいもあったのでしょう。今日風に解釈するなら、「徳」があっても黙っていては人も集まりません。自らが進んで行動を起こして、それを認めてもらう努力が必要になります。
【桃李成蹊(とうりせいけい)】
桃や李(リ:すもも)の木は物を言う訳ではないが、美しい花を咲かせ、美味しい実を結ぶから、それに魅かれて人々が集まってくるため、おのずとそこへ到る蹊(ケイ:こみち)が出来る、と言うことから、徳がある人は 、何も言わなくても、その徳を慕って、人々が集まってくるということのたとえを表した四字熟語です。出典は『史記』李(リ)将軍伝です。その伝の最後に「太史公曰」として司馬遷がコメントを書いています。その中で【桃李成蹊】の言葉を使って李将軍を讃えています。李将軍と言いますのは、前漢の軍人・李広(リコウ:生年不詳~ B.C.119年)のことです。李広は、口数少なく、清廉で欲がなく、恩賞はすべて部下に分けてやりました。食べ物や飲み物も、全員がことごとく食べ終わらなければ口にしませんでした。部下たちは、そんな将軍に敬意を抱き、死をも厭わず戦に臨みました。
《大阪市顕彰史蹟193「大阪能楽殿跡」》
543-0033大阪市天王寺区堂ヶ芝2丁目
《space MU》
543-0042大阪市天王寺区烏ヶ辻2-2-16/06-6771-1168
《参考》「★角淳一の大人の駄菓子屋」
★渡辺謙が会いたかった★憂歌団スペシャル
2014年10月13日(月) 9:55~10:54/毎日放送
渡辺謙ら一行が、大阪・桃谷にある★「Space MU」に入った。木村さんはライブでは殆どお酒を飲んでいるという。また、木村さんはいつもライブでは出た時に思うことをやるようにしていると話した。渡辺謙らが、「Space MU」で憂歌兄弟とトーク。木村さんはシカゴで路上ライブをした際に子どもから1ドル貰ったエピソードを話し、いい刺激を貰いながら自分たちの曲を出したいと話した。また、BEGINがデビューした頃に憂歌団と一緒に歌ったが、BEGINとは想像する海が違っていたと話した。桃谷本通商店街を通り、桃谷にある憂歌団の原点となったライブハウスへ向かった。ライブハウス「ビーハウス」はなくなり、現在は居酒屋に変わっていた。かつて、ライブハウス「ビーハウス」があった場所は現在、居酒屋「乾杯」に変わっていた。デビュー当時、憂歌団はこの場所で熱唱していたという。
・・・「桃谷」そして「Space MU」は、深く掘り下げていく値打ちのある街ですね。
【Oboe Player tomoca】
3歳でピアノ、13歳でオーボエに出会う。桐朋学園大学でクラシック音楽を学び、卒業後、国内外のミュージシャンに導かれインプロビゼーションを学ぶ。2001ライブ活動をスタート。2005「Aqui」でCDデビュー。2009★「Lotus」をリリース。多彩な編曲でアレンジャーとしての高評を博す。2013年 久保田麻琴Produceアジアの名曲を集めた「PURNAMA」リリース。2014年 全曲バリ島録音・セルフプロデュース「Cantica」リリース。オリジナリティ溢れる表現の追求・進化を続け、★2012バリ島在住の画家・森喜久雄との入籍を機に、バリ島⇔東京の2住生活をスタート。作曲をバリ島のスタジオで行うようになる。日本ではライブ活動の他、スタジオミュージシャン(広多智香)としても活動。 これまでの録音は数千曲に及ぶ。この数年、確立されてきたオリエンタルでエスニックなtomocaワールドは リスナーの想像力をかき立て自由な音旅へと誘う。
・・・2009「Lotus」をリリースするにあたり、森さんとの出会いがあったことなど、つきない話をいっぱいいっぱい聴かせていただきました。本当に貴重なお話、ありがとうございました。次は「マシンズー」でお会いしましょう。