・・・平野区、東住吉区そして阿倍野区から天王寺区へ。
《「大阪府誌」》明治36年刊より
1898年ごろ、庚申堂参りの道として知られる同街道は「葛井寺道」などさまざまな異名があったが、次第に「庚申街道」の名前が定着した。
《大阪市営バス》
かつて大阪市営バスの停留所に「庚申街道」(1946~1979)が存在した。位置は現阿倍野区役所交差点を西に約50メートル入った地点。
《参考》大阪市バス歴代改定履歴1927~2014
http://platinumsubway.com/final/04.html
1927年に産声を上げ、長年に渡って市内の足として活躍した大阪市バス.時代の変化に合わせて、惜しまれることなくその歴史に幕を閉じることに・・・そこで、大阪市営交通の廃止に合わせて90年近くに渡ったその足跡をたどる歴代改訂履歴を一から振り返る。なお、履歴のほうは改訂回数が膨大なため、データは10個のpdfファイルに分割している.市営交通を心から愛していた人のために送る歴史の記録。
本来の庚申街道は阿倍野区松崎町から文の里・田辺方面へ向かっているが、現在、あびこ筋の1本西側の西田辺・長居方面へ向かう道を地元では★「庚申街道」と呼んでいる。街道沿いは小中学校や専門学校などが多く見られ、普段から人通りが多い。
《近鉄南大阪線》
1977年、大阪都市計画事業近鉄南大阪線連続立体交差事業により、新しく都市計画線阿倍野松崎線が設けられ、踏切が廃止となり、「庚申街道」は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅東口地下コンコースを通る形で南北を結ぶこととなり、地下部分をエスカレーター付きの地下道で大阪阿部野橋駅★庚申口から同駅★松崎口に出るように残るユニークな古街道となった。
《庚申街道歴碑》
1988年、近鉄南大阪線の立体交差事業完成を記念して近鉄と地元「庚申街道を守る会」の起案で近鉄及び大阪市建設局の手により、近鉄大阪阿部野橋駅東の松崎口にあるサンクンガーデンに街道の歴碑が残されている。
・・・新しい施設や開発に、うまく伝統文化が組み込まれ、とても素晴らしいことだと思います。