《NEWS》2015.5.17産経ニュースより
「山口小夜子/未来を着る人」永遠の表現者その魂に触れる
http://www.mot-art-museum.jp/sp/exhibition/sayokoyamaguchi.html
切れ長の目、まっすぐつややかな黒髪。かつて「東洋のミューズ」と世界でたたえられたモデル、山口小夜子による資生堂のポスター3点が展示室に並んでいる・・・と思いきや、それらは美術家★森村泰昌が「小夜子になった」新作シリーズだった。名画の中の人物やハリウッド女優、あるいは三島由紀夫にふんした「自画像的な写真作品」で知られる森村だが、まさか小夜子になってしまうとは。東京都現代美術館(東京都江東区)で「山口小夜子/未来を着る人」展が開かれている。小夜子は1970年代から80年代前半、世界のファッションシーンで一世を風靡するとともに、国内でも資生堂の広告を中心に、欧米の模倣でない「日本女性の美」を提示した。彼女は偶像ではなく、常に能動的な表現者だった。モデル活動と並行して寺山修司の舞台に出演したり、天児牛大率いる舞踏集団「山海塾」や勅使川原三郎のダンス・カンパニー「KARAS」と協働するなど女優、パフォーマーとしても活躍。そして晩年、メディアアートなど新分野の若手クリエーターらと彼女が積極的に交流し、実験的な表現を追求したことはあまり知られていない。「展覧会を一周すれば、小夜さんという人がどのように自分の可能性を拡張しようとしたのか、わかってもらえると思う」と藪前知子・同館学芸員。生前関わりのあったクリエーターらが、彼女にささげた新作も展示している。森村の場合、彼女と親交があったわけではないが、ずっと小夜子を憧憬し、ついに新聞紙上で彼女と往復書簡を交わす機会に恵まれたという。そして記念すべき1通目の手紙を送ったものの、返ってきたのは彼女の訃報だった。新作で森村が小夜子に変貌するにあたり、メークは資生堂の富川栄、着付けはスタイリストの江木良彦と、往年の小夜子のイメージを小夜子とともに創った面々が担当した。「肉体は失われても魂は残ると言いますが、小夜子さんの魂を森村の体に入れていただいた感じがあった。非常に大切な体験となりました」。10日に資生堂花椿ホール(東京・銀座)で開かれたトークショーで、森村はこう話した。富川も「小夜子が舞い降りてきた瞬間があった」と、不思議な体験を振り返っていた。
晩年の小夜子に一度だけインタビューする機会があった。ホテルの一室でカメラマンが撮影を始めようとした瞬間、空気が変わり、ゾクゾクしたのを思い出す。ポーズをとるというより、その動きはまるでシャーマンが舞い踊っているように見えた。彼女は自分のことを「ウェアリスト(着る人)」と名乗った。「『私は何でも着られる』と小夜子さんは言っていた。空気も水も、そして映像や音楽だって着られる、と。晩年には『こころも身体を着ている』と言い、彼女にとって着ることは存在することそのものを指すようになった」と藪前さんは解説する。彼女をよく知る人は皆、「冒険心のかたまりだった」と口をそろえる。その魂はいまなお現代のアーティストを刺激する。その意味で、彼女は「未来を着る人」でもあったのだ。蔵書やレコード類、おびただしい数の人形、雑誌やパンフレットの切り抜きなどを貼ったスクラップブック・・・。山口小夜子が残したものからは、1930年代の米映画『上海特急』に出てくる中国系女優のアンナ・メイ・ウォン、おかっぱの黒髪がトレードマークだった米女優ルイーズ・ブルックスなど、「小夜子像」に影響を与えたイメージ源も見て取れるという。少女のかれんさと大人の妖艶さをもつ彼女の多面的魅力の源を、遺品の数々に探ることも可能だ。また、服飾学校で学んだ小夜子は生涯、ものづくりにも熱心だった。自ら手掛けた舞台衣装や、江戸糸あやつり人形劇団「結城座」のためにデザインした人形なども見応えがある。
【山口小夜子】やまぐち・さよこ
昭和24年、横浜市生まれ。服飾学校で学ぶかたわらモデルの仕事を始め、47年にパリコレクションにデビュー。一躍トップモデルとして世界で活躍するほか、48年から資生堂の専属モデルを務めた。また映画や演劇、ダンスなどの分野で女優、パフォーマー、衣装デザイナーとして活躍。身体表現、ファッション、音楽、映像、文学など、ジャンルを超えたコラボレーションを追求した。「小夜子」から「さよこ」に改名、そして平成19年8月14日急性肺炎にて急逝。57歳だった。
《参考》資生堂「花椿」Binodoku / 森村泰昌連載「美の毒な人々」
http://www.shiseido.co.jp/hanatsubaki/about/
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資生堂の企業文化誌「花椿」が、2015年12月号をもって月刊誌を廃止し、2016年1月からデジタルに移行することがわかった。これに伴い、ウェブサイトの全面リニューアルを予定しているという。「資生堂月報」と「資生堂グラフ」を前身に持つ「花椿」は、「時代の最先端を伝える媒体」として1937年11月に創刊。美容・化粧情報を中心に、文芸、カルチャー、ファッション、食文化や海外トレンドを発信している。戦時中に一時休刊したが、1950年に復刊。創刊70周年にあたる2007年にリニューアルを実施し、ヴィジュアル中心の「みる花椿」と読み物を中心とした「よむ花椿」を交互に発行するという新しい取り組みを行っていた。資生堂が創業140周年を迎えた2012年に創刊の原点に還り、月刊誌「花椿」として一新するとともに電子版を本格展開。2014年11月号で創刊800号が刊行された。
・・・本展のために新たに制作された「映像作品」、始まるまで少し時間がありましたので、
【田中一光ポスター展】
グラフィックデザイナーとして、戦後日本の視覚文化の形成に大きな足跡を残した田中一光(1930~2002奈良市生まれ)。そのポスターの仕事の中から、選りすぐりの作品を紹介します。田中一光は、京都市立美術専門学校卒業後、鐘淵紡績、産経新聞社でデザイナーとして活動を開始しました。23歳で日本宣伝美術会(日宣美)会員になると、57年、拠点を東京に移し、63年に独立して「田中一光デザイン室」を主宰します。以後、東京オリンピックを始めとする数々の国家的行事や、セゾングループ、無印良品などのデザイン事業に関わり、海外でも多くの個展を開催するなど、国際的にも高い評価を得ました。田中のデザインの特徴は、日本の文化や伝統芸術と、戦後欧米のモダンデザインとの融合にあると言えるでしょう。それは田中自身の美意識の発露であり、創作の原点であると同時に、終生一貫したテーマでもありました。ぜひこの機会に、田中一光の造形の魅力と、彼が目指した芸術の世界の深淵に触れてみてはいかがでしょうか。
・・・さすが「田中一光」さん、このシンプルな美しさは迫力があります。